歩けるような足ではないが、こんなに重たい着物で、
骨折までしているのならばおぶってもらうわけにもいかない。
どうしようか困っていると、彼らは自分たちの来た方向から荷車を引いてきた。
なんでも、もともと運び物の帰りで、わたしたちの話し声が多くから聞こえて駆けつけたのだという。
「乗っていただけますか」と相変わらず敬語で尋ねる仙蔵君。
うっかり「姫様」と呼んでしまう伊作君。
まだわたしがお姫様とかじゃないって信じてくれていないらしい。
たしかにこの格好で平民の娘というには無理があるから、質が悪い。
足袋が汚れていないから山道を一人で歩いていたわけではないことは明白だ。
荷物として引かせてしまうことが申し訳なくもあるけれど、ありがたく乗らせてもらった。
するとほのかな火薬の香りが鼻腔をくすぐった。
どうやら運び物とは火薬のことだったらしい。届け先とは、戦場だろうか。
ただの運び物に六年生が借り出されるくらいだから……。
――訊くべきではない。
代わりに、走り始めた荷車の上から、わたしは話しかける。
「ごめんなさい、重いでしょう」
「軽いです」
鍛えている彼らには失礼だっただろうか。
着物だけでもそれなりの重量になるのだけれど。
「ここから忍術学園まではどれくらいですか」
「日が暮れるまでには着きますよ」
「ほんとうにいろいろとすみません」
「いいんですよ。僕はいつも不運と言われるんですが、今日はあなたを助けられてよかったです」
笑いかけてくれたのは伊作君だ。
わたしという厄介者と出会ってしまったことこそが不運だと思うのだけど……。
仙蔵君も同じ感想を持ったらしく、呆れ顔だ。
いや、でも半日で二度も真剣に危険な目に遭ったわたしのほうが不運だろうか。
ふたりの優しさをわたしは素直に受け取ることができない。
どういうつもりで言っているんだろう とか、認識に誤解はないだろうか とか、疑ってしまう。
厚意の裏側をばかり気にして生きてきたせいだ。
どうしたらこのわたしの中のわだかまりを解消することができるだろうか。
「あの、……あなたがたのこと、下の名前で呼んでもいいですか?」
距離を縮めるために、親しく話したいがために申し出た。心の中ではこっそり呼んでいたんだけどね。「はい」「かまいません」と快く了承してくれたので、
遠慮なく、じゃあ、「仙蔵君」「伊作君」と呼んだ。
それからさらにお願いをする。
「敬語は人のこと言えませんけれど、せめてわたしに『姫様』はやめてくださいね」
だってこんな格好をしていても、わたしは姫ではない。
じゃあ、と二人はわたしを『真珠さん』と呼んだ。
敬意が消えたわけではないが、妥当なところだと思っていいだろうか。
「――空がきれいですね」
林を抜けたころ、そう話しかけるとふたりは青空を不思議そうに見上げた。
たしかに綺麗だけど、快晴というわけではないし、いつもと変わらない、取り立てていうほどではない、という感じだ。
わたしは荷台の上から移ろう景色や空模様を眺めていた。
どこまでも広がる空がきれいだと思ったのは、視界を遮る高い建物がないからだろう。
穏やかな風と日差しを受けて、呼吸することが幸せに感じるのは空気が澄んでいるせいだろう。
それから、わたしが生まれてからずっと囚われていた檻を抜け出したせいだろう。
「あの、わたしの家はもう意味を成さないんです。だから本当に身分はないんです。
今のわたしに価値があるとしたらこの着物と飾り物くらいでしょう」
「……そうですか」
家が意味を成さないというと、
城が滅んだとか戦に負けたとかそんな感じに聞こえるだろうか。
しかたないからこの方針で行こう。
同情されてしまうかもしれないけど、二度と家に帰れないことに代わりはないのだ。
しばらく会話が途切れた。
荷車は、わたしの重さを無視するかのように速く進んでいる。
村にさしかかったかと思えば道を変えたので、どうやら人目のない道を選んでいるらしい。
たまにすれ違う人が立ち止まって物珍しそうにじろじろと見てくる。
すると仙蔵君と伊作君は咳払いをして足早になるから、
わたしは声をかけられる前にただ微笑んで黙らせる。
「わたしがあの場にいた理由なんですが……」
しばらくして決心がついたので、会話を再開した。
とりあえず、そのうちに指摘されそうなことを自分から話すことにした。
信じてもらえるかどうかわからない、と断りを入れた。
しかし、隠しておいていいことはない。
「うちの屋敷に、『時空の間』という部屋がありました。
普段は誰も入らないし光も差さない倉庫です。けれど、不思議な言い伝えがありました。
“清らかに祈るとき汝の望む時空が開かん”というものです」
「望む時空とは?」
すかさず質問するのは仙蔵君だ。
「わかりません。それはなんとなく伝わっていただけで、誰の気にも留まらない話でした。
古い家だったからたまにそういうことがあるのです。
けれど、わたしは事情によってその部屋から出られなくなり、
出口を探していたところ、隠し扉を見つけ、その先に行こうとして気づいたらあの場所でした」
「あなたの屋敷とあの山は繋がっている、と?」
「いいえ、それはありえません。『時空の間』があるのは地下なのです。それに、遠すぎます」
ひとりだけ荷台に座って、
戯言じゃないと伝わるように声を真剣にして、車を引く二人の背中に語った。
考え込んでいるふうの沈黙が痛い。
この時代ならまだ御伽噺が信仰として受け入れられることもあるのではないかと期待したい。
けれど忍である彼らはもっと現実的だろうか。忍術とは科学らしいから。
「信じる信じないはともかく、陸奥の姫様がこの地にいる理由にはなりますね」
「お姫様なんかじゃないんですってば」
そもそも陸奥――すなわち東北になにか縁があるわけでもない。
遠いほうが足がつかなくていいというだけの理由で陸奥を選んだのだが、
ふたりはわたしの吐いた嘘の何割かには真実が混ざっていると思っているらしい。
だからって未来人だとでも言えばいいのだろうか。
嘘っぽくなってしまって、隔たりが生まれてしまうようで嫌だな。
「あなたが身分を失くしたいうのは、
地下の部屋から出られなくなったということと関連付けて考えてもかまいませんか?」
「……ええ」
実際には関係があるような、ないようなことだが、これで説明は完成してしまった。
わたしの家は滅びる危機にあって、身を守るため地下に身を潜めていたところ、
不思議な言い伝えによってこの場所へ飛ばされた……。
と、こんな感じだ、多分。
頑として真実を偽らないという潔白な決意はわたしにはなく、
それよりも都合よく解釈される楽を選んでしまった。
これ以上こじれることを考えたらいいじゃないか、とも思うが、罪悪感は消えない。ああ、この着物は舞うための晴れ着だったと説明すればよかっただろうか。
どっちにしろ、そのくらいの大盤振る舞いできる家、ということに変わりはないけれど。
それからの道中は忍術学園がどんなところか、
どんな人がいるかなどを話してもらい、夕方になって学園に到着した。