ヴェリタ


ええ。まさか旅行先でそんな事件に巻き込まれるなんて、予想もしていませんでした。



ディーノ……――当時はたしか「お兄さん」とでも呼んでいましたが、
それはともかく。
私が不可抗力の盗み聞きのせいで黒服の怖いオジサンたちに捕まっていたところに、
彼はどこぞのヒーローのごとく颯爽と助けに現れました。
そして、イタリアンマフィアのボスを名乗り、その名でこの場を収めるというのです。

もちろん驚きましたよ、驚きましたけれど、
直後に見せつけられた無能ぶりには開いた口が塞がりませんでした。
なにせ、己の武器である鞭を振り回して自滅です。
私にもぶつかって、たいそう痛かったですし、
ご器用なことに二人分――私と彼の、所持していた携帯と発信機も華麗に破壊されました。
これを嘆かずに何を嘆きましょう。
テラワロスとしか言いようがありません。
この失敗は後々まで響きます。

戦えないのなら、なぜ助けに入ったのか疑問でした。
役に立たないわりに私を庇うことだけはしっかりしているものですから、
彼は黒服からの銃弾を腕にかすらせ、怪我をしました。
赤の散らばる怪我です。
自業自得と笑えればよかったのですが、庇われている身分では文句もいえませんね。

ディーノは、もう少し自分の特性を自覚すべきでした。
彼は部下がいないと実力が発揮できず、無能になるのです。
究極のボス気質というものだそうです。
最初に聞いたときは、それこそ笑い飛ばしたくなりました。

私――女の子が誘拐されるのをどうしても見過ごせなかったのでしょうか?
だとしても、馬鹿正直に身分を明かすことはなかったでしょうに。
名に見合わぬ力しか発揮できないのでしたら、それは弱点にしかなりません。

まぁ、過ぎたことを言っても仕方ありませんね。
そのとき彼は自分でどうにかできると思ったんですから。
馬鹿な子ほど可愛いともいいます。
ディーノは当時を若気の至りだと笑うでしょうか。

さて、状況は多勢に無勢。
飛んで火に入るネギ背負ったカモです。

ディーノは正真正銘マフィアのボス。
どれだけの利権が絡むことでしょう。
堅気な商売ではないので、敵方にはキャバッローネに恨みを持つ方もいらっしゃいました。
――キャバッローネファミリーというのがディーノの統治する組織です。

もちろん、ゴッドファザーなど通常ならおいそれと手を出せる相手ではないのですが、
こちらが連絡手段を失ってしまったので、証拠隠滅も容易。
誘拐として交渉するもよし、密かに殺して他の組織に利を生み出すもよし、
堂々とキャバッローネに喧嘩を売るもよし、というわけです。
しかも、彼の弱みになりそうな可愛い女の子が一緒ですから、取引をするにも有利です。

私ははじめ某少年探偵のように、黒ずくめの男たちの、見てはいけない現場を目撃してしまっただけだったのですが、
ここでディーノに対する人質としての価値もできてしまいました。
私たちはまな板の上のカモとネギでした。
あれはディーノの人生史上に刻まれる失態だったことでしょう。

話が大きくなりすぎたので、あちらもすぐには決断を下しませんでした。
トップに判断を仰いだり、話し合ったりしていたのでしょうね。

私たちは厳重に見張りをつけられ、待機させられました。
見た目一般人の私は侮られていたので、すぐにでも解けそうな甘い拘束でしたが、
銃をつきつけられていて、下手に動けば撃たれます。

見張りの人数からして、一般的な女の子にどうにかできるものではありません。
……そもそも一般人でしたら銃を向けられた時点で震えて動けませんけれど、
訓練は受けていたので、精神的な耐久性はあったのです。

ディーノはひたすら私を案じていたようで、真摯に謝罪と励ましを繰り返してくれました。
なんとかするだとか、俺の優秀な部下は、だとか、せめてお前だけでも、だとか。
私は善良な一般市民ですからね。

家業は殺し屋ですが。

ちなみに、私は彼に下の名前しか名乗っていませんでした。
国が違えど裏社会の人間でしたら《殺し名》を知っている可能性が高く、危険だと思ったので。
ご存知のとおり、《闇口》は己の主(あるじ)のためでなければ殺傷能力を発揮できませんから、
こういう状況で身を守ることもできないのです。
当時私は主従の契約を結んでいませんでした。

――部屋には徐々に血の臭いが漂ってきました。
彼が私を庇って銃弾を受けた怪我は、予想以上に深かったようなのです。
巧く反撃できなかったのはそれが原因かもしれないとも思いました。
気の迷いです。

今になって冷静に考えれば、あの程度の怪我であそこまで鈍る腕なら切り落としてしまったほうがマシです。
実際はもっとどうしようもない性質だったのですが、
最近は完璧なボスとしてのディーノしかお目にかかれないので、文句が言えないのです。
……話を戻します。

そのとき、私は迷っていました。

殺し名《闇口》としての私ならば、その場を容易に切り抜けられるという確信はあったのです。
少なくとも、見張りは下っぱでしたから。
しかしながら、《闇口》の主従契約は一生の隷属、絶対服従を誓うもの。
主の命令ならばどんな理不尽にも従うという……まぁ、このへんはいいですよね、
とにかく、それは純情無垢な少女が初対面の男性に操(みさお)を捧げるような、いいえ、それ以上の覚悟が必要でした。
死んだほうがマシという人生の外枠ができあがる可能性もあります。男はみな狼なのです。できることなら回避したいと思うのは当然でしょう。

けれど、そもそも、不穏な空気においそれと近づいた私が悪いのです。
好奇心は猫を殺すのです。
プチ家出旅行という私の趣味も一因なのです。
罰が当たったのです。
けれどやめられないのです。
こういうのを中毒症状というのでしょうか。

彼の人柄は、悪くなさそうでした。見た目もかっこいいです。地位もあります。
部下も大切にしているようですし、命の恩人ですし、情も移りました。
ディーノが助けなければ私はあっさりと口を封じられていたでしょう。
彼がこのような局面に置かれることはなかったでしょう。

本来、主従の契約はこんなふうになし崩しであるべきではありません。
用心に用心を重ねて、石橋を壊れるくらい叩いて相手を十二分に見極めるべきです。
男はみな狼なのですから。
……大切なことなので二回言いました。

しかし、まぁ、《闇口》として生まれた以上、いつかは結ばなければならない契約であることもたしかです。
そう考えるとディーノは優良株にも思えてきました。
何事も、『ただしイケメンに限る』のです。

タイムリミットも迫っていて、思考も半ばヤケだったのでしょう。
命と矜持を天秤にかけました。
ほぼ釣り合ってしまったので、ディーノの命も足すと、ようやく傾きました。
それで、覚悟ができました。

心が決まれば、一刻も早く契約を済ますべきです。
見張りの方にも聞かれてしまいますが、すぐに殺すからいいのです。
私はディーノのほうを向いて、勝手に唱え始めました。

『"貴兄が乾きしときには我が血を与え"――』

うんざりするほど長い台詞ですので、半ばヤケになって捲し立てました。
時間もありませんでしたが、そもそもディーノにあまり正しい内容を聞き取られたくなかったのです。
やむをえぬ契約でしたから、彼を圧倒的有利な立場に置くのは癪でした。
助かるために自己犠牲をしたのですから、感謝してほしかったくらいです。
主従関係を結ぶことに代わりはなかったのですが、そのときは形式的な契約を終えることが最優先でした。

『"貴兄が飢えしときには我が肉を与え、貴兄の罪は我が贖い、貴兄の咎は我が償い、貴兄の業は我が背負い、貴兄の疫は我が請け負い、我が誉れの全てを貴兄に献上し、我が栄えの全てを貴兄に奉納し、防壁として貴兄と共に歩き、貴兄の喜びを共に喜び、貴兄の悲しみを共に悲しみ、斥候として貴兄と共に生き、貴兄の疲弊した折には全身でもってこれを支え、この手は貴兄の手となり得物を取り、この脚は貴兄の脚となり地を駆け、この目は 貴兄の目となり敵を捉え、この全力をもって貴兄の情欲を満たし、この全霊をもって貴兄に奉仕し、貴兄のために名を捨て、貴兄のために誇りを捨て、貴兄のために理念を捨て、貴兄を愛し、貴兄を敬い、貴兄以外の何も感じず、貴兄以外の何にも捕らわれず、貴兄以外の何も望まず、貴兄以外の何も欲さず、貴兄の許しなくしては眠ることもなく貴兄の許しなくしては呼吸することもない、ただ一言、貴兄からの言葉のみ理由を求める"』

何事か、と警戒した見張りの男に契約を中断するよう脅され、言うことを聞かないので威嚇射撃されました。
危ないところは避けたので、せいぜいかすり傷でした。
どうやらすぐに《闇口》とは思い至らなかったようです。ディーノもきょとんとした顔をしていました。

『―――"そんな惨めで情けない 貴兄にとってまるで取るに足らない 一介の下賤な奴隷になることを ここに誓います"』

契約完了後、即座に拘束を抜け出し、見張りから武器を奪い、
彼らを物言わぬモノにして、ディーノの拘束を解きました。
ディーノは当然ながら驚いていましたが、悠長に説明している暇もありません。
簡潔に告げました。

『私はこれを以てあなたに仕える。
あなたの部下になった、というわけです』と。

囚われている間、ディーノが部下の話をしていたので、便乗したつもりでした。
部下の前では強いのでしょう? と、からかい半分で挑発したつもりでした。
脱出するには、少しでも足手まといでないほうがいいのです。
男のプライドを刺激したつもりはあったのですが、
――まさかあれほど豹変するとは思わなかったのです。

その部屋を出てから、私の出る幕などありませんでした。
彼は"跳ね馬のディーノ"でした。
あのかっこよさは反則です。惚れ直してしまいます。
もっと早く見せてくれれば、文句はなかったのですが。

喜べばいいのか、悲しめばいいのか。
腹立たしいことこの上なかったです。
要するに、主従の契約など結ばず、一生を捧げる奴隷ではなく、
彼の部下になると宣言すればそれでよかったのですから。
状況が状況ですから、部下という身分だけならあとで撤回も可能だったことでしょう。
とても損をした気分です。実際、私は人生における自由を失いました。
それが彼のせいかと言われわれれば、先走ってしまった私のせいなのですけど。

「《ツチノコ発見! ただし見渡す限りの超大群っ》みたいな?」
「そんな感じです。おにいさま」

すべてが終わってからディーノに恨み言をいうと、
よくわかってもらっていないの慰められてしまいました……。


* * *


結果的には、主がディーノでよかったと思っていますよ。
ディーノは主として驕ることもなく、ファミリーに迎えいれるといってくれました。
マフィアに就職するにはまだ早いから、日本で通常教育を終えてからイタリアに渡れ、と。
連絡先を交換してそれで終わりかと思いきや、
ここ数年はディーノが日本に来ることが多いので、たびたび会っています。
今晩もごちそうになる予定です。

私はたしかに彼に忠誠を誓っています。
きっとあの出会いは巡り合わせだったのでしょう。

――ノロケ?
そう聞こえますか?
おにいさまも、くれぐれも崩子姉さまのことを大切にしてくださいね。

――え? 何故おにいさまと呼ぶかって、
崩子姉さまの『お兄さん』だから、『お義兄さま』です。
『いーにぃさま』とかでもかまいませんが。
萌えを追求したい場合は崩子姉さまに頼んでください。
冗談です。

――えぇ、崩子姉さまとは直接の姉妹ではありません。親戚です。

そういえば、なんの話でしたっけ。
あぁ、お義兄さまが並盛中学で仕事をするんでしたね。
私と並盛のかかわりを話そうとして、長くなったんでした。

並盛は私もディーノに連れられて、何度か行ったことがあります。
目立つところでは、イタリア最大のマフィア・ボンゴレファミリーの次期ボス候補の沢田綱吉、
彼の家庭教師でありアルコバレーノのリボーン、
並盛の秩序であり並中風紀委員長・雲雀恭弥。
このへんの名前は耳に入れておいて損がないと思います。
順に、ディーノの弟分、家庭教師、愛弟子ですからね。

もっと詳しくお話すると……――


* * *


――何かと噂の多い場所ですが、
せいぜい不良の喧嘩やマフィアの抗争やドタバタ騒動に巻き込まれることはあっても、
迷宮的連続殺人事件なんて起こりはしないでしょう。
まぁ、事件というのは起こらないと思う場所にこそ起こるものですが?
なにしろ、お義兄さまですものね。

……私が侵入調査と事情聴取ですか?
別にかまいませんが……。
ディーノにも伺いを立ててみます。
情報を集める手伝いくらいはしてくれるでしょう。

あぁもうこんな時間ですか。
では、そろそろ私はこれで。

ごちそうさまでした。



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