10.星は瞬き、真実を告げる


日は落ちて、空が闇に染まりかけていた。
出会った場所のような、深い森の中で。

「今日は此処で野宿か」
「……そうね」

私の暗い反応に、ネジは片方の眉を上げた。
最初の戦闘から急に黙り込んで以来、話しかけていなかったから不審なのだ。
もともと話すことなんて探さなければなかったのだけど、それさえ見失ってしまった。
カルチャーショックなんて今更だけど、それでも、ひとつ何かをするたびに違いを思い知って、胸が痛む。
ネジから話しかけてくるはずはないから、会話のないまま進み、向かってくる敵を倒してきた。

ただ、敵の倒すとき、返り血を浴びないようにはなった。
最初の失態は緊張していたせいだ。
二度とそんなことは、と思う。つまりはまだ殺すつもりだ。

躊躇わず人を殺した感覚が、まだ手の中にある。
呼吸することと同等に自然で、当然で、且つ、
命を摘み取る一瞬に甘美を感じる自分が嫌でたまらない。
染み付いた闇を洗い落としたいと常々思っているのに、むしろ闇に身を投じている。
今日だけで一体何人殺したことか。
記憶があってもなくても、これが私の真のサガなのだ。そう思えざるをえない。
闇に身を置いているうちは、木の葉との溝を埋められない。
それでも、私は私で、そうあることしか縋るものがない。

今は情報を引き出すことよりも、早く進むことの方が大事らしいから、容認される。
けれどネジは私のことを不気味がっているだろうか。
知り合いが少ないから頼ってしまう、縋ってしまう、馴れ馴れしくしてしまう。
様々な罪悪感がある。
重荷になりたくないと思いながら、空回る。

足場なんて最初からなかったのだ。
気づかないようにしていたけれど、崩れることを恐れ始めたら、何も喋れなくなった。
もともとたどたどしかったけれど、どうやって会話を繋いでいたのか忘れてしまった。
食事中でさえ、簡単な業務連絡しかなかった。

小川の冷たい水で、身体を洗う。
木の葉に来た頃、新しかった傷跡はもう癒えていた。
刻まれた古傷の痕は消えることがないけれど、触れても痛みはない。
それは恩恵である。
これ以上傷を増やすか、手を汚すかは、私次第だ。

(でも、変われる気がしない)


そして深夜になった。

暗鬱な思考は止むことがなく、結果、すっかり目が冴えてしまっていた。
空間を見つめながら、大樹に寄りかかる。
静寂は、答えのない考えごとに適していた。
夜の闇に安心する。一方で、そんな自分を嫌だと思う。
まるで、闇に生きるべき存在なのだと宣告されているようだ。そして真実だ。
けれど癒される感覚には抗えない。受け入れようと、拒絶しようと、足掻く。黙々と。

木を隔てた背後にネジがいる。
眠っているかどうか、どうしているはわからない。
敵の気配があればお互いがそれぞれに対処するというのが了解だ。
私も休まなければ、とも思うけれど、そもそも疲れるほどのことをしていない。
絶をして座っているだけで身体の疲れは取れる。
明日に支障をきたさない自信があった。

退屈さに、立ち上がって夜空を仰ぐと、頭上には無数の星が輝いていた。
思えば、私が私として始まったときから数えて、里の外で夜を過ごすのは初めてだ。
里に住処を提供されたから、野宿する必要がなかった。ありがたいことだ。
里には夜でもそれなりに灯りがあるから、此処ほど星が映えなかっただろう。

吸い込まれそうな煌きと瞬きが暗黒色の空に映える。
澄み渡った冷たい空気が頬を撫ぜる。
顔を上げて、見上げれば見上げるほど、地に足をつけて立っていると強く感じる。

その光景と感覚が、『懐かしい』と思った。
私は夜空が、こうして見上げることが、好きだったんだろうか。
――うん、好きだったのだ。

それはきっかけだった。
自分の中に眠る知識を呼び起こすための。
星座や星の名前や軌跡など、天文学的な情報が次々と思い出される。
嫌ではなかった。
自然に、この場所からは星がどんなふうに見えるかを観察しようとした。
知っている名前の星はどこにあるかな、と探した。

そして指先を空に這わせるけれど、すぐに行き場を失った。
夜空には私の知っている星など、なかった。
おかしい。星の色が、並びが、まったく記憶とかみ合わない。
大陸が違えば、星の見え方が異なる。そんなのはわかってる。
けれど、それでも、限界がある。欠片も一致しないなんておかしい。

私はハンターだったのだ。きっと、世界中を飛び回っていたのだ。
星が好きだったのだ。きっと、どこにいても夜に見上げていたのだ。
まるで幾重のプラネタリウムが映し出されたような天球を、脳内に描く。
世界中の様々な地点から見える星空を知っている。
此処がどこの大陸だかを判断できるくらいの知識があるらしい。

星空を読み解けば、世界における現在位置がわかる。
けれど、今はそれを望んだわけではなかった。そういう問題ではなかった。

ただ、私は私の知識を信じたかったのだ。
自分を信じられなかったら何を信じればいいのかわからなくなるから。
これ以上自己を失いたくなかった。

だから、こんな星空を私は知らないという思いつきを必死で否定した。
そんなはずがない。
信じたくなかった。なにかの思い違いだ。
ここは森の中。見上げる視界を遮って空を狭くする木々がいけないんだ、と結論付ける。
木の葉はあまりにも『辺境地』だから、私が知っている場所から遠いだけ。
せめて空の果てには見覚えのある星が輝いているはずだ。

地を蹴って、木の枝を登る。
木登りの業を修行する余裕などなかった。
吸った息を吐くと同時に頂上に達した。
他よりも一際高い木だったから、視界を遮るものはもう何もない。

あたりには満天の星が広がっていた。
それが綺麗だと思うよりも、得体の知れない恐怖に怖気を震った。
駄目だ、と本能が告げた。諦めてしまいそうになった。
それでも、確認しなくてはいけなかった。私は食い入るように、その輝く星々を隈なく見つめた。
東の果てから西の果てまで、自分の中の知識と照らし合わせながら、視覚できる範囲をひたすら観察した。
けれど歪んだ線で描かれたパズルは決して嵌まり込むことがなかった。

嘘だ、嘘だ、嘘だ。

あまりにも噛み合わないせいで、知識の映像は次第に曖昧になってゆく。
揺らがないでと願うのに、残像になって、やがてかき消えた。
泣きたくなった。

月がある。
けれどその色や模様さえどこか違うように思えてならなかった。
いつも同じ面を向けているはずなのに?

真実として正しさを突きつけられて、
『間違っているのはお前だ』と糾弾されたようで、絶望した。
この世界にとって、『嘘』は私かもしれない。世界に否定された。
この世界にとって、私は異物なのだ。知らない、知られない。

どこから来たのかってずっと疑問だった。
異なった技術の進歩、念がなく、チャクラがある。
遠いなんてものじゃない。遠いのではなくて、『違った』のだ。
ここは世界そのものが違う場所なのだ。空さえも。
帰りたくないのではない。帰れないのだ。

信じられるものは一握りほどしかなかった。
けれどついに、世界にさえも私は見放されて、独りになった。
痛いほどの切なさが胸を抉る。郷愁に似ていた。
どうしようもなくて、涙が枯れ果てる。
思考は鈍り、目に映るものは既に認識されていなかった。
迷宮の中に入り込み、螺旋状の階段を上っていたのかもしれない。
朝日の白い光に照らされるまで、私はそこでひたすら空を仰いでいたのだった。



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