11.白い夜明け


夜はすっかり明けてしまった。
白ずんだ空が憎い。
ネジが活動し始めた気配がして、私も樹から下りる。

「どうかしたのか」

問われたからには、この世の終わりのような顔でもしていたのだろうか。
何を言えば適切なのかわからなくて、なんでもない、と答えた声は予想以上に沈んでいた。
嘘をつくな と ネジが軽く返された言葉は呪縛として作用し、速やかに口が勝手に動いた。

「"星空にまで裏切られたから絶望していたの"」

意識の外で零れ落ちた回答に、はっと口元を押さえた。
『服従者の義務』がネジの命令調に反応したのだ。

「……"解除する"」

ネジも念の作用に気付き、渋々解除を唱えた。
他人の意思を無視して強要するのは彼の不本意らしい。
この能力は 良心ある命令者の言動を制限することにもなると気づいた。

「お前の術はどうにかならないのか」
「どうしても嫌な命令は拒否できるはずだから私はいいんだけど」
「息を止めるんだろう? 今のように不意打ちで速効の命令には対処できない」
「そうだねぇ」
「権利者を変更できないのか?」
「できない……と思う」

解除方法を定めなかったから、最初に定めた制約と誓約に背くのは難しいだろうなぁ。
たとえば"命令に従うな"って命令されたら、"正反対のことをしろ"って意味になっちゃいそうだ。
いつか本当に信用・信頼してもらって、必要なくなったら、
能力を失うことを覚悟で制約と誓約に背いてみることはできる。

「私はネジならいいんだけどね」
「……お前が俺の何を知ってるんだ」
「えー。例えばこうやって心配してくれてること」
「心配とは限らないだろ」
「私が勝手に信じるんだから、裏切られてもいいよ」

裏切られたとしたら、私が信用されなかったか、相手に益を示せなかったか、状況が許さなかっただけだと思う。
それは裏切られた痛みの記憶がないからだろうか。
あるいは利害関係に裏切りは当然だと思うような冷たい人生だったのか。

自分については考えれば考えるほど嫌になる。
忘れているのか、もともとなかったのかさえわからない。記憶がすっぽりと抜け落ちた軽さはとても不安定だ。

「とにかく私は他の人じゃなくてネジに任せたことは正解だったと思ってるよ」
「……いい迷惑だ」

最初に出会ったのがネジだった というのが一番の理由だったけど、そのときに抱いた印象は間違っていなかった。
縁とか巡り合わせってあると思う。私は彼を信頼している。
だいぶ話が脱線したなぁ。

「それで、星空がどうした?」
「あぁ、うん。空にね、知ってる星がなかったから、悲しくて」
「何が悲しい」
「私、星座とかに結構詳しかったみたいなんだけど、昨日の空は全くわからなかったから、……随分遠くから来たんだなぁって思ったの」

私がどの程度の精度の知識を持っていたかなんて、どれだけ私にとって重大なことだったかなんて、私にしかわからない。
あえて言葉をぼかしたのは、世界が違うという憶測を口にするのが怖かったからだ。
するとネジはなにか思いついたようで、「"記憶を思い出せ"」と私に言い放った。

「……うん?」
「命令には従うんだろう?」

たしかに『服従者の義務』は服従者の無意識部分にも作用する。
つまりネジは私が自発的にできない範囲でも私を操作できるのだ。

「ダメ、みたい。木の葉に来てからの記憶が頭に浮かぶだけ」
「そうか」
「でも気持ちは嬉しい。ありがとう」

私のためになることを考えてくれたことが心から嬉しかったし、
ちょっと弱音を吐けたことで気分が楽になった。
ネジは少し考えて、「何かの術で封じられているのかもしれない」と言った。
たしかに、適切と思われる能力を使ってもはっきりと【欠落している】この記憶は、外からの強制力が働いているのかもしれない。

「念なら操作系か特質系かな。忍術って可能性はある?」
「あぁ。忍術は里によって違うし、秘伝や表に出ない忍術もいくらでもある」
「そうなんだ。今すぐとはいかないけど、木の葉に伝わっている分なら調べることもできるかな」

念は木の葉に存在しないから手も足も出ないけど、忍術なら里に蔓延っている。
いつか、里の軍事情報に触れられるくらい信用が得られたら、
いいものだとは限らない自分自身について積極的に知る勇気が出たら、きっと手を伸ばしてみよう。
今は目の前の忍務や訓練や雑用などめまぐるしい毎日だから、そんな余裕はない という言い訳ができる。

今私が持っている念の知識だって、全て正しいかどうか自信がない。
疑い始めたらきりがない。信じられるものなんて何もない。
星の地図みたいに 白紙になってしまったらと思うと、怖い。
だから念について調べられないのは残念よりもほっとした気持ちが強い。

念と忍術は別のもので共存するってわかったから、それについて知ることは単に知識を増やすだけでしかない。

−−知識がほしいな。私を世界と結びつけるもの。
それは生活や戦うために必要なことじゃなくてもいいの。
私の信じるものが、信じられなくなって消滅して枯渇してしまう前に、新しい苗を植えたい。
知っていることが一つでも増えれば、一つ分ここにいていいんだって思える。
任務のためにまた山道を進む途中で、ねぇ と ネジに声をかけた。
なんだ、と返答があってほっとする。

「ネジのこと教えてくれない?」
「何をだ」
「好きな食べ物とか、休日の過ごし方とか、アカデミー時代の話でも」

ちらっとこちらを見たネジはたいそうな面倒顔だったけど、めげない。
特にネジは私にとってとても大きな存在だ。
命令者というだけじゃなくて、勝手に強い親しみを覚えている。

白眼や術についても興味深かったが、タブーかもしれないので、日常会話の範囲にする。
私は術だろうと生活だろうと隠し立てすることは何もないんだけどね。

「あ、聞くばっかりは失礼だね。
じゃあその前に私のことをなんでも話すから、なんでも聞いて。念でも、なんでも……」

"私――何が好きなんだろう?"

間抜けな自問自答をしてしまった。
自分のことをどれだけ知ってる? 
技術は私自身じゃない。その上、間違ってるかもしれないことを星空に教えられた。
先入観なしにわかることって何もない。
空っぽだってわかってるからこそ、他人を知って繋ぎ止めたかったんだ。

私は暗い顔で沈黙し、しばらくしてネジが紡いだのは質問でも自分の情報でもなかった。

「お前は、黒が好きだろう」
「……そうかな?」
「黒い服が多い」

たしかに見下ろせば今の服装も黒い。
忍装束が地味なのは仕方ないと思うけど、私服のことも言ってるんだろうな。
白や桜色が眩しく見えても、自分に何が似合うのか何が好きなのかわからなくて、最初に着ていた服の印象が強いから、結局そのイメージで選んでしまう。
醜い傷を覆い隠すように、塗り潰すように、闇を選ぶのかもしれない。
そんな理由でも、それをネジに指摘されたことが何よりも嬉しかった。
親しみ深いことを、「好き」だと名付けてもいいだろうか。
こじつけならいくらでもできる。


「うん。好きだよ」

ネジを眺めながら声に出したら、"白も好きだな"と思いついた。
黒は親しみの色。白は憧れの色だ。
"これ"は大切な思い出として、今出来上がった。

こうやって思い出が、記憶が、積み重なって増えていくなら、
ゼロからのスタートでも、今はほとんど白紙でも、マイナスには進まないはずだ。
ないなら決めればいい・作ればいい、好きな色を塗ればいいって、そんなふうに単純でもいいかもしれない。

今はまだ悲しいし寂しいけれど、そう思うと少しだけ気が楽になった。



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