03. 知らない爪痕


あの後、精神鑑定のような尋問を受けたけれど、隠さなきゃいけない真実は何もなくて逆に困った。
仮にどんな拷問を受けても、話せることはない。
ホカゲ様は次の会議で私の事を正式に話し合うらしい。

「それにしても、念を封じるくらいの警戒はしなくていいの?」
「……何故だ」

異文化の壁は辛くて、ネジは私が『ハンター』『念』『念能力者』などと言うと眉を寄せる。
私も、『忍術』『忍』『里』などという単語は聞きなれないから、脳内で変換するのに手間がかかる。
慣れるのには時間が掛かりそうだ。

「だってどんなに弱そうに見えたって、念能力って怖いのよ。
まして相手が得体の知れない相手なら、どんな技を使うかわからないじゃない。
里に住まわせてもらえるのはありがたいけど、
その代わりになんらかの制約と誓約を掛けられる覚悟はしてたんだよ。
この国にそういう能力者がいないわけじゃないでしょ?」

ネジは私の言葉に一瞬間を置いてから言った。

「警戒はされているだろう。監視がつくし、俺も報告の義務がある。
だが現段階で害があると判断されない限りは、普通に生活できる」
「ふうん。優しいのね、この国は」

呟いてから、(じゃあ私が今までいた場所はどんな場所なんだろう)と思った。
どんな環境で生まれ育って生きてきたのか。
思い出そうとしたけど、駄目だった。
無意識でならすべてをわかってるような気になるのに、意識すると何一つ浮かび上がってこない。

急に表情が曇った私をネジは複雑な表情で眺めていた。


その日の夜はホカゲ様の屋敷の一室に通された。
明日になったらアパートの部屋を用意してくれるらしい。
至れり尽くせりだなあ、と思う。
これに相当する役立ちが要求されるのか、とも。
私は私の能力を理解していない。

ベッドに倒れ込んで天井を見つめる。
見慣れないけれど、今の私は世界中のどこに行っても見慣れないと感じるのだろう。
急にいろんな情報が流れ込んできたはずなのに、
空っぽになってしまった記憶に静かに浸透していって、逆に心地がよかった。
疲れたといえば確かに疲れたけれど。

明日になったら生活必需品を揃えなきゃいけないとか、
自分の能力を知らなきゃいけないとか、
此処のことを調べなきゃいけないとかいろんなことを考えたけど、不可能なことはなかった。
きっと一つずつこなしていける。

不思議だった。
記憶を失って、多分今までと生活が一変して、見ず知らずの場所で、常識さえも違うのに、
当たり前に生きることが出来る。
元々こんなにしぶとい性格なのかな?と、また無意味なことを考えた。

「……シャワーでも浴びよう」

監視がつく、という言葉どおり、部屋の中には気配があった。
隠れてるつもりなのかな?絶も出来てないのに。とか失礼なことを考える。
でも、ネジが円に驚いていたことを考えると、絶という文化もないのかもしれない。
じゃあ基本の四大行が欠けているのに、どうやって念を使っているんだろう。
ああ、“念”じゃないんだっけ。

試しに円をして、部屋の中の様子を探ってみる。
監視は女の人みたいだった。
さすが、ホカゲ様自身が女なだけに、そこらへんの配慮を感じた。
今のところ私はこの国が好きだ。

監視の人は私の円に気付いていないようだった。
ネジは凝をしていたけど、この人は出来ないみたいだ。
この場合、ネジが優秀、もしくは特殊なんだろうか。
白い瞳を思い出しても、珍しい民族の血を引いているのかもしれないと思った。
もしかしたらこの里は、そんな特殊な民族を守っているのかもしれない。

勝手な憶測を繰り広げながら、私は服を脱いでいった。
暑苦しい黒い服からやっと解放されて、鏡を見て呟いた。
監視の人が息を呑んだ気がする。

「……酷い体」

傷と痣だらけだった。
刃物で切りつけられたようなものから、変色した大きな痣、無数の細かい傷、
焼いた金属を押し付けられたような醜い火傷に、抉られたように浮き出た傷跡。
足、太股、お腹、胸、背中、肩……。体中のいたるところを埋め尽くしていた。
辛うじて顔はなんともないが、大きな刀傷は鎖骨まで伸びている。

これは多分、普通のハンターの仕事でついたものじゃない。
普通に戦ったりしてこんな体が作られるわけはないのだ。
きっとこれは拷問とか、虐待とか、そういう痕だ。
傷は古いものも新しいものもあった。
長年に渡って過酷な生活を続けていたということか。

私は、今この場所にいることが出来て幸せなのかもしれない。
軽々しく元の生活に戻ろうなんて考えない方がいいのかもしれない。
前の私がどんな人間だったかは知らないけど、さすがに同情した。
でも、気味が悪くて、顔を歪めた。

それに、自分の体が自分のものじゃないと宣告されたようなものだった。
この体は、元々の私の所有物だ。
じゃあ現在の私は?

とりあえず、今言えることは、
「街中で脱がなくてよかったな」だった。

新しい傷跡が、お湯に沁みた。


次の日は、朝から部屋のドアがノックされて、開けると、多分私と同世代の女の子が立っていた。
そういえば、私は正確な私の年齢を知らない。
そんなことを考えていると、ピンク色の髪に緑色の目をした女の子は愛想の良い笑顔を向けた。

「おはようございます。
火影様の命でやってまいりました。火影様の弟子のサクラと申します」
「おはようございます。昨日からこの里でお世話になることになりました。
名前はティアといいます。ええと、サクラさん?」

丁寧な言葉で挨拶されたので、こちらも丁寧に返す。
自分の名前を名乗ることさえ違和感があった。

「ティアさんの方が年上ですよね?私のことはサクラでいいですよ」

そう聞かれて、あらためて自分は何歳なのだろう、何歳くらいなのだろう?と思った。
身長はたしかにサクラよりも高くて、身体の凹凸もそれなりにある。
ただし、おそらく成人はしていない。

「さあ、私、記憶がなくて自分の年齢がわからないんですよ。
でも、サクラって呼ぶばせてもらうね。私も呼び捨てでいいから」
「わかりました。じゃあティアで」
「敬語も必要ないでしょ?私は客人じゃないんだから」

笑うとサクラも「そうね」と言って笑顔の種類を変えてくれた。
ネジは例えば冗談を言っても眉を寄せるだけだったから、やっと緊張が解けた気がした。
彼女とは仲良くなれそうだ。

「ところでサクラはどういう命令で来たの?」
「里を案内して、一緒に買い物に行くように、って」
「へえ、ありがたいな」

地理的知識がないだけでなく、私は文字が読めないので、
一人だったら挙動不審になりながら一軒一軒なんの店か確かめて、
値段や商品の説明などもすべて店員に尋ねなければいけないところだった。
そういえば、

「でも私、お金持ってないよ?」
「火影様から預かってるから大丈夫。“借金”ってことになっちゃうんだけどね」
「そっか。わかった」

どちらにしろ資本無しで新しい生活を始めることなんて出来ない。
どうせなら沢山借りを作って、これから返していけばいい。

「サクラ、ホカゲ様に伝えてくれるかな?」
「いいけど、なにを?」

思いついたことを言葉にまとめるために一瞬の間が空いた。

「“私はこの里にいる間、貴女と、貴女が選んだ一人の人間の命令に絶対服従します。
これは私が貴女に信頼してもらうための手段であり、逆に裏切った場合の目安となるでしょう。
私の良心が貴女に恩を返したと思うまで有効ですが、非人道的な度が過ぎれば私も里から逃げます。”
……覚えた?」
「うん」

サクラは真剣な顔で頷いてくれたので、とても賢い子なんだろうと思う。
さすが里のトップの弟子というだけある。

「じゃあ出かけようか。私ね、まともな服が欲しいんだけどいいかな?」
「勿論。ティアは綺麗だから、きっといろいろ似合うわ」

そう言われて、私は不意に昨日見た自分の体を思い出した。
綺麗なんかじゃない。傷だらけの体……。
思わず拳が震える。でも笑顔を崩さずに言った。

「ありがとう、でもサクラの方がずっと"綺麗"で可愛いよ」



 main 
- ナノ -