門番のような人たちに事情を説明したらしいネジは、私を里に入れる許可が下りるのを待っていた。
彼らも念能力者のように見える。
国境がそんな風に守られているなんて、此処はそんなに重要な場所なんだろうか。
面倒なことになると嫌なので、私は武器になりそうなものをすべてネジに預けていた。
その量は笑い事かと思うほどで、ネジは閉口していた。
現在私は完全に布製の衣服しか身に着けていない。
「それにしても、その服装は目立つな」
やっと一時的な許可が下りて、さあ行こうというときに、
ネジが不意に私の格好を眺めて、言った。
案の定、全身黒ずくめの装いは思い切り違和感を放つらしい。
私が余所者ということもあり、通りを歩けば人目を引いてしまうだろう。
「不都合なら脱いでもいいよ。中は殆ど下着みたいな格好のようだけど」
「脱げとは言っていない」
冗談のつもりで言ったら、厳しい口調で返された。
動きやすさを重視しているのか、私は暑苦しいようでそんなに重装備じゃなかった。
時間が与えられたら、まずは買い物をしようと思う。
実際に“里”の中に足を踏み入れて、思ったことは、違和感が溢れている、ということだった。
完全に見ず知らずの場所なのだ。
それどころか、そこは私が思い描く、今まで行ったことがあるのだろう、どの国たちとも違っていた。
何気なく道を歩いている人ごみの中には念能力者が多い。
しかし、念能力者にしてはどこか違っている、そんな念能力者ばっかりだ。
ネジを見たときも違和感を感じていたけれど、改めて街中の人々を観察すると、それが顕著だった。
それから――文字が読めなかった。
「ねえ、あれが此処の共通語なの?」
「そうだ。お前は違うのか?」
「言葉は通じるのに、文字は」
見たことがあるような、ないような。
ファッションやアートの一部になっているかもしれない文字だった。
「読めないのか?」
「全く。もしかして、紙幣も違うのかな?」
どうだろうな」
私たちは一旦立ち止まって、それぞれ荷物から現金を取り出して見せ合った。
案の定、それは似ても似つかないものだった。
「うわあ、どうしよう」
思わず呟いた。結構あると期待していたお金が紙くず同然だなんて。
お金が無ければ、生活できない。仕事を探すにしても、当面の資金が無ければ。
どこかに両替できる場所はないかな? 他に持っている金目のものはなんだろう?
そんなことをつらつらと考える。
せめてハンターライセンスが役に立てばいいのに。
私が悩んでいるとネジも眉を寄せたが、そうしていてもどうにもならない。
「とにかく行くぞ」と言って歩き出し、ホカゲ様のところに案内された。
「その女か」
ホカゲ様と呼ばれた人物、つまり『この里のトップ』は女性だった。
しかも若い――少なくともそう見える。
煌びやかな衣装を着ているわけではないので、王制ではないことを知る。
それどころか彼女は相当の念の使い手らしくで、強さが見て取れた。
血ではなく、実力でその座に上り詰めたのだろう。隣に控えている黒髪の女性も強い。
“不審人物”である私が特に拘束されたりしていないのは、いざとなったらその手で捕らえられると思っているからか。
ネジが簡潔に説明する。
「門の近くで見つけました。妙な術を使い、記憶がないと主張する女です」
「ふむ、どんな術だ?」
「チャクラを自分を中心とした球状に広げたり、形作ったりする」
チャクラとはオーラのことだろうか、とぼんやり思った。
ネジが言っているのは円と、オーラで鳥を象ったことだろうか。
たしかに精度には自信があるけれど、そんなの、このホカゲ様という女性にも簡単に出来ることだろうに。
そう思いながらも、ここでは事情が違うのだろうと思って、
とりあえず人差し指を立てて、その上で鳥を象ったオーラが羽ばたくようにする。
どうやら私はオーラのコントロールが得意らしい。
ホカゲ様はそれをじっと見ていた。けれど、凝をしたわけじゃない。しいていうならただ凝視しているだけ。
凝のようにオーラが目に集まっているようで、あまり集まっていなくて、その精度はこの人の強さに見合わないと思った。
もしかしてここには凝というのもないのだろうか。
いや、けれどネジには見えていた。それが特殊なのだろうか。
「たしかにうっすらと鳥の形をしているように見えるな。それは何かの術か?」
「いえ、"発"かという意味では、ただのオーラ……チャクラコントロールですよ」
「ただのチャクラコントロール、ねえ……」
そう呟いて、ホカゲ様は手元にあったペンを取ったかと思うと、
不意に立ち上がって、それを思い切り私の方に投げた。
恐ろしいスピードで空気を切り、良い音を立てて真っ直ぐに向かってきたそれを、
私は事もなく掴んだ。掴んでしまった。
当然のように目で追うことが出来た。何も考えずに最小限の動きが出来た。
ネジが驚くのが気配でわかった。
「危ないですよ」
「一般人ではないようだな」
「ハンターのようですから」
「ハンター?」
見覚えのある反応に、私はいよいよ諦めを覚えた。
つまり、此処はハンターのことさえ知らない、独自の文化で念のようなものを作り上げた地域なのだ。
ハンターさえも立ち入らないような辺境の地なのだ。
おかしな話だった。辺境の地にこそハンターは立ち入るはずなのに。
私はあまりに遠くにきてしまったようだ。
記憶はないけど常識はある。
つもりだったのに、その常識が通用しないような場所に。
仮説として浮かんでいるのは、
私が此処にいるのも、記憶がないのも何者かの念能力のせいだろう。
ありうる話だ。迷惑極まりないけれど。
「念能力を使う職業のことです」
実際の定義はそうではないが、一々説明するのは面倒だった。
するとさらに「念能力とは?」と問われて、溜息が出る。
「オーラ……貴方たちで言うチャクラのようなものを操る能力のことです」
「先ほどのチャクラコントロールのように?」
聞かれたので、私は再び掌のオーラを弄んだ。
「これですか? これはまあ、おまけみたいなものですね。
攻撃や防御や特殊能力やら、多種多様の欠かせないものですね。
念能力者に対抗するには念を覚えていないとどうにもなりません」
「では、なにか術を見せてくれるか?」
「それは出来ません」
きっぱりと断ると、ホカゲ様の目が厳しくなった。
「何故だ?」
「私には自分に関する記憶がありません。
念の概念は覚えていても、自分の系統も忘れてしまいました」
「系統?」
「まさか、此処には系統がないんですか?それによって発の種類が決まるのに」
「性質変化は "火" "水" "土" "雷" "風" の5つに分けられる。これを『五大性質変化』と呼ぶ」
ああ、分け方が違うのだ。
ここでは水見式が開発されていない、ということなのだろう。
別の方法で区分を作っている。
けれど、
「つまり、区分があるのは変化系だけなんですか?」
「変化系?」
「オーラの性質を変える能力や、それを得意とする人のことです」
「忍は殆どの者が5つどれかの性質に当てはまるチャクラを持っている」
全員が変化系?まさか、そんなことはないだろう。
仮に操作系の能力者でも、40%の精度で変化系の能力が使える。
だから、すべての能力者にも変化系のように、オーラの性質というものがあるのかもしれない。
もっとも、例えすべての能力者が変化系だとしてもその特性はたかが5つ分けられるとは思えない。
具体的には思いつかないが、きっと例外が多すぎる。
それを無理やり変化系のような五つの区分に当てはめて、術を作っている?
そんな、自分の系統を曖昧にしたまま術を使っているのだとしたら、私たちとは大きく外れているはずだ。
少し興味が沸いた。彼らの使う術とはどんなものだろう?
そこではっと本来の目的を思い出した。
念の解説を完璧にしようと思ったら一日じゃとても足りない。
文化の相違点を挙げていったら日が暮れてしまう。
「聞かれたことには正直に答えます。文化の相違は痛いほどわかりました。
私の中にある知識は此処では珍しいもののようだから、欲しいなら差し上げます。
でも、その代わりまずは私の主張を聞いて下さい」
「なんだ?」
冷静で威厳があって強い。
こんな女性がトップにいて、念能力者がうろうろしている。
きっとこの国は強いのだろう。
「私には記憶も、悪意も、お金もありません。
だから、しばらくこの国……里?に滞在する許可がほしいんです。
信じてほしいとは言いません。私も信じられないから。
勿論条件付で構いません。大抵のことには従います」
「許可を得て、どうする気だ」
「まず仕事を探します。
何か手掛かりが見つかればいいけど、可能性は薄そうだから、お金を貯めたら出ていきます」
記憶が無くても、ライセンスがあれば大抵の場所なら生活できるし、自分の情報も調べることが出来る。
自分でも恐ろしいほど冷静だ、と思ったけれど、
あまりにもありえないことが起こりすぎて、一気に沢山のものを失いすぎて、私は感情さえも薄くなってしまったらしい。
私の言葉を聞くと、ホカゲ様はしばらく考えた。それから、「よし、」と呟いて、言った。
「許可する」
「条件は?」
「里の監視下にあること、無断で里を出ないこと、里の人間に危害を加えないこと。
それから、仕事はお前の能力を確認した上でこちらで決める」
前半の条件は当たり前すぎていた。
最後の条件は、果たして吉か凶か。
就職先を見つけてくれるのはありがたいけれど、私が念能力者で、
よっぽど役に立たなくない限りは、きっと明るい職業に就けない。
ハンター、軍人、護衛、暗殺者、スパイ……。
けれどそんな職業の方が楽に稼げることを私は知っていた。
状況が変わるのはいつになるかわからない。
それまで自分の居場所を作っておくのは悪いことではない。
「わかりました」