4-3. でも、それだけじゃない。


思考を働かせるために、冷たいシャワーを頭から浴びた。
考えなくてはいけないことが数珠繋ぎに生まれてくる。
どうしよう、何を話そう。どうやって説明しようか。
知っていること、愛していること、望んでいること。
今まで隠してばかりだったから、今更言葉にするのが難しい。

秘密の多すぎる関係を保つには心の壁が必要だと思い込んでいた。
その結果は手に入れるどころか、失いそうにさえなった。
もう素直に幸せを求めてもいいだろうか。
仲直り、しよう。

バスルームを出て、選んで着たのは白いワンピース。
それからテーブルに座ってブランチ代わりにシリアルを食べた。
ゆっくりのんびり、いつもの動作を心がける。
静かな部屋で、時計の針の音と、脈打つ心臓の音が聞こえる。
生活のリズムは正常に戻っていくのに、どうして鼓動は落ち着いてくれないの。

私の思考を占領するのが誰かなんて、決まっていた。
――クロロは今どのあたりにいるだろうか。
もう30分は経っているけど、まさかもう玄関の前にいたり、する?

耳を澄ましてみても沈黙が広がっているだけだ。
気配を消されていたら、私に気づけるはずはない。
受話器を見つめたけれど、たしかめるのが怖い。
タイミングはわたしが選んでいいんでしょう。

寝室に戻って、もう一度ベッドに倒れこむ。
うだうだと巡る思考を白紙に戻したくて目を閉じた。
眠れるわけはなかったけど、ぐだぐだと時間を過ごす。
不思議なことに、同じことをしていてもさっきのような絶望は見当たらなかった。
待たせているとわかっているのに急いであげない。
だって私は五日も待ったんだから。

そうしていることにも飽きて、起き上がる。
鏡で自分の姿を見つめて、顔を洗って、髪を梳かしてから、
寝室のドアにもたれかかって電話をかけた。
耳を澄ませば玄関のほうから着信音が聴こえた。

「真珠」
「クロロ」

呼びかけが伝わる幸せがある。
私はその幸せを感受する喜びを知って、声に出さず目元で微笑む。

「もう入ってもいいのか?」
「ちょっと待って。条件があるんだけど」
「――なんだ」

さんざん待たせた上に、条件まで提示しようとする自分に笑ってしまう。
そして、それを聞き入れてしまうクロロにも。
罪悪感が彼を縛りつけているのかもしれないけれど、
それをいだかれるほど、こんなにも大切にされている。

「私のお願い、いくつ聞いてくれる?」
「……いくつ聞いてほしいんだ」
「一つ目、私に危害を加えないと約束して」

クロロは気まずそうに唸ったから、
キスしたことについて釘を刺されたとでも思っただろう。
でも、それだけじゃない。
私はあなたの本質を知っているから。
本当は、命も覚悟しなければいけないことなんだ。

「約束する」
「二つ目、通話切らないままリビングに入って、座ってて」

クロロが軽く息を吐いたのが電話越しに伝わった。
数を指定しないのが私の嫌らしいところ。
それでも、玄関から上がり、リビングに入ったらしい物音がする。
こんなに素直に言うことを聞いてくれるなんて、残念ながら楽しい。
その分、あとが怖いことは覚悟しなくちゃいけないけどね。
ドア越しの様子に全神経をフル動員しつつ、
受話器をずっと耳に当ててくれることを期待して、語りかけた。

「あのね、クロロ。
私は面倒ごとが嫌いだけど、人見知りってわけじゃないよ
引きこもりだけど、世間知らずなわけじゃない」

足りなかったのは、分かり合う努力だ。
だから私は語る。今まで足りなかった言葉を捜して。
クロロは私の意図が読めず、黙って様子を窺っているままだ。

「私たちは長い間そばにいたけど、お互いに知らないことだらけだよね」
「ああ、そうだな」

クロロは単純に相槌を打っただけだったのかもしれない。
けれど私には十分。

「だから今日はぜんぶ言葉にしよう」

私が決意を表明すると、クロロは何かを躊躇った。
隠すべきことが多い男は大変だ。
全部全部暴いてあげよう。

「さてと、もう座った?
じゃあ今度は目を瞑って、勝手に動かないで」

了承の声が聞こえたから、私は立ち上がった。
ドアを開けると、目線の先に見慣れたはずのひどく懐かしい黒髪の男がいた。
本当に長い数日間だったと、あらためて思った。
熱いものがこみ上げながらも、同時に緊張を伴って、私はゆっくりと歩み寄った。
瞼を下ろしているクロロを見て、かっこいいなあなんて思いながら。
手を伸ばして届く位置まできて、私は立ち止まり、口を開いた。

「私はね、ずっと知っていたの」

少し間があって、何を?と問われる。
その声も、すべて抱きしめてしまいたい。

「あなたの真実を」

するとクロロは閉じろと言ったはずの目をぱっと開け、
正面に立っていた私を見つめた。
その双眸に、無性に泣きたい気持ちになる。

「新聞を読めば世間で何が起こっているのかわかる。
私の手元にあるのがどういう本なのか、あなたが何を職業にしているのか」

それだけでもはっきりと伝わる。
私たちの関係にはタブーな話題を、ついに出してしまった。
もう、日常という非日常ではいられない。私ごときが知ってはいけない、抱えるにはあまりにも大きな秘密だ。
付き合うには厄介な女に成り下がった私に向けて、彼の職業柄が抹消という手段を勧めているのだろう、
クロロの瞳には微かな殺気の混ざった迷いが生じた。

それでも、あえて『幻影旅団』とその名をさらに口にした。
刹那、息の止まりそうな殺気が部屋に波紋を作った。
それは秘密を隠しとおせなかったクロロの自己嫌悪もあるのかもしれない。
思っても、免疫のない私は震えを抑えることができなかった。

ああ、やっぱりこの人は本物で、こんなにも恐ろしい人なんだ。
本能が殺される、と叫ぶ。理性が殺されない、と信じたい。
どうでもいい女を殺すのなら殺気さえも出さないでしょう。
この瞬間がある奇跡こそが、思われている証拠だ。
立っていることはできずにくずおれた私を見て、クロロは慌てる。
触れようとして寸前で留まったのは、私を傷つけてしまいそうだったからだろうか。

「一体いつからだ」

荒ぶる心を抑えように、低い声で問われる。
漆黒がさらに深みを増したような双眸が私を見つめるけれど、答えたくない質問は無視した。

「でも、ずっと、恐れていたのは、そういうことじゃなかった」
「何?」
「隠しごとだらけってことは、真実、結びついていないって、ことでしょう。
あなたに与えられたすべては、偽りを含んでいて、永遠不滅のものではなくて、
その不確かさに怯えて、気づかないように、していたんだよ。
私は、いつか、帰ってしまうから、それでもよかったのかも、しれないけれど、
最後の壁を、あなたは、壊してしまったから。壊すことを望んでしまったから」

私はクロロを見上げて、両手を伸ばした。
よろけながら立たせてもらい、それでもまだ足が震えた。
しがみついているようでは仕方ないから、「座って、目を瞑って」とまた頼んだ。
座った彼の肩に手を置いたけれど、いっこうに目を閉じてくれる気配がない。
それならばもうそのままでもいい。

「この包帯、外すね」

クロロの頭に手を触れて、結び目を探す。
振り払われることも考えていたけど、ああ、と短い了承が帰ってきた。
逆十字が現れると、ようやくあなたの真実を目で見られたと思った。
それを指先でなぞってから、軽く口づけた。
息を呑む音が聞こえて、目が開かれる。

「真珠、一つだけ確認する。俺は本当に謝らなくていいのか?」
「うん」
「……都合よく解釈するぞ」

もう一度うなづくと、ふいにきつく抱きしめられた。
それはまさに頑丈な檻。
けれど、おとなしく腕に収まったことで、安心されたようなため息が漏らされる。
私はクロロの背中に手を回し、「あなたが好きだよ」と言った。
するとお返しと言わんばかりに、「愛してる」と囁かれる。
耳元で語られたために、顔が熱くなる。
それなのに、何度も確かめるように、クロロは愛を繰り返した。
だんだん楽しんでいるのがわかるから、悔しい。

「お前はいくつ俺の願いを聞いてくれる?」
「いくつ聞いてほしいの?」
「さあな」

そして視界は反転した。


 main 
- ナノ -