3-2. 『どうして』と思う。


「恋愛対象としては?」

どちらかといえば好き、という回答では満足しなかったらしい。
シャルはさらに食い下がってきた。
「そんなこと聞かないでよ」と舌を鳴らしそうになる。この上なく不躾な質問だ。
色恋沙汰はそんなに楽しいか。他人事だからか。
注意すべきは向きになっても照れてもいけないことだ。だから私は質問を質問で返した。

「じゃあ聞かせてもらうけど、その差ってなに?」
「差?」
「恋愛、恩愛、友愛、家族愛、人間愛、とか、の差。
感情の区別って、そんなに明確なものじゃないでしょう?
私はクロロを好きだって言ってるんだから、それ以上種類分けする必要なんてない」

安易な線引きは、本質を掴み損ねる危険性がある。
大切で失くしたくないと思っているんだから、それ以上はなくていい。
そうあってほしかった。

「そうかなあ、恋愛とそれ以外って明確だと思うんだけど。ようは性欲の」
「はいはい。プレイボーイは大変ね。」

聞くに堪えない話になりそうだったので、適度に打ち切った。
同時に、話題を楽な方向に逸らせそうだったから安心した。

シャルは同じ女の子と一ヶ月続いたことがないというのだから、相当な遊び人だ。
あんまり軽々しく人を口説くから、すぐに浮気と言われて女の子に逃げられるんだ。
一度修羅場に立ち会ったこともあるくらいだ、私は騙されてあげない。
そんなシャルだからこそ、軽々しくのたまった。

「ねえ、じゃあ俺のことは? 好き?」
「好きだよ。もちろん、どっちかっていえば」
「じゃあ付き合ってみる?」

わかりやすく冗談を言うから、鼻で笑った。
あるいは半分くらい本気だったのかもしれないけれど、彼にとって付き合うという行為は呆れるほど安いのだ。

「シャルは友達でしょ」

それ以上でもそれ以下でもない、心からすんなりと出た言葉だった。
私の大切な友人である。
誤魔化すことはあっても嘘はつかない、私は素直な人間のつもりだ。
別のところで絡まっている感情なんて意識していなかったのに。

「なんだ。ちゃんとその区別はあるんじゃない」

はっとすると、彼は、まるでかくれんぼで誰かを見つけた鬼のように、得意満面の笑みをしていた。
そこでやっとシャルの確信を悟る。
血の気が下りていく感覚を味わった。
自分の言ったことを反芻して、失態に気づき、ゆるゆると怖くなった。
回りくどいことを言ったけれど、つまり私はシャルの言葉を否定できなかっただけだったのだ。

感情に関係に名前を付けたくなかっただけなのだと思う。
意識してるわけでもないし、してないわけでもない。
「そう、意識してないわけでもなかった」と、心が驚きを告げる。

否定できなかったという事実は、何よりも雄弁に、隠していた心の内側を曝した。
迂闊な発言の本質を、聡いシャルは確実に見抜いたのだ。
出ていった言霊を取り繕う術を見つけることができなかった。

どうにか否定したくて、反論したくて、立ち上がって、
けれど話の流れ上、良い反論が思い浮かばなくて、しかたなく席について項垂れた。

「そうだ、ね」

すると、溜息が交じった。
『どうして』と思う。
願いごとは些細でたわいもないのに、どうして叶わない?

突きつけられた現状が、ふつふつと恨みつらみに変わっていく。
人の胸のうちを暴くのは気分がいいことかもしれないが、暴かれた方はたまったものじゃない。
むちゃくちゃな言葉をぶつけて説き伏せたかったけれど、ここでむきになるほどの馬鹿はない。
シャルは冷静に返してくるだろう。私は、自分で思うよりも冷静になれないだろう。これ以上事態が悪化することになる。
代わりに、せめて釘を刺した。

「まさかクロロ本人に告げ口するほど馬鹿じゃないことを願ってるよ」
「いっそ言ってあげればいいのに。たぶん喜ぶよ?」

この口はまだ言うか。
シャルはこれだけ私を絶望の深淵に落としておきながら、けろりとした顔でまだ追及した。
さすが幻影旅団。まともな精神とは思えないわ、と悪態をつく。

――知ってる、知ってる、知ってる。

クロロが私に、それこそ恋愛に似た感情を持っていることを。
伝わってくるそれらに、気づかないふりをしている。
クロロも無意識なのかもしれないし、なにか躊躇っているかもしれない。
もしも私が手を伸ばしたら、どんな顔をするだろうと思ったりもする。

もちろん、それはできない相談だ。――侵食を速めることになるから。

「言って、それでどうしろっていうの?」
「付き合えば?」
「簡単に言わないで。そんな関係じゃないのよ。一度変わったら戻らない。私の寿命を縮める気?」
「……どういう意味?」

疑問系の応酬は、お互いの主張のぶつかりあいだ。
不恰好で埒が明かなくも思えるけど、やめてあげない。
けれど最後の言葉から現実味を感じ取った点は褒めてあげてもいい。
意味がわからないというなら教えてあげるから、軽率な発言を悔いてほしいものだ。

「シャルは、本当にクロロが私のこと恋愛対象にしてると思ってる?」
「あ、なんだやっぱり自覚あるん」
「ないよ、ない」

私は首を大きく横に振って全否定を示した。
もしろん、クロロの好意を感じないほど私は鈍くもない。
自惚れだと謗られてもいい。本当に自惚れだったなら尚更いい。
でも、だからこそ、それはシャルが想像するほど甘くて都合の良い関係じゃないのだ。

大きく息継ぎをして、諭し始める。

「あのねえ、クロロは所有欲の塊みたいな人だから、その延長で私を所有したがるのもわかるよ。
珍しい本と同じ。人間とか異性とかいう枠組みで発生する特別な感情じゃないのよ」
「えー」
「うるさい。最後まで聞いて」

私は、此処が正念場という気持ちで威嚇した。
シャルが観念して大仰に肩をすくめる。

「そのクロロの所有欲っていうのは、たしかに普通の人よりも強いけど、
あくまで所有する過程に発生して、手に入れた瞬間失せるものなの。
その証拠に、一度手に入れたものはめったに顧みない。どんな名作でも用がなければ読み返さないし、すぐに手放す。
読み終わった本は全部手放していたんだから、本当は私なんかいなくてもいいんだよ。
私を雇ったのは何の気まぐれか知らないけど、ああ、物珍しかったのかもしれない。
とにかく、すごく渇いた人だよね。何を手に入れても満たされないなんて。最後には何も残らないなんて」

考察を述べると、シャルはきょとんとした顔をした。
私がここまでクロロを分析していたことが意外だったのだろう。
けれど私はいつだって傍観者気分だ。

「よくわかってるのはわかったけど、それで、結論は?」
「クロロがもしも私を『手に入れた』ら、捨てられる日は遠くないってこと」

たとえどんなに薄くて脆くて壊れそうでも、壁を破ってはいけない。
どんなにクロロの領域内にいても、私はあくまで私のものでなくてはいけない。
無意識で望まれていることは知っている。
叶えてあげられるものなら叶えてあげたいとも思う。
けれど、明け渡すことはできない。
自分を安売りするってことは自分の価値を失くすってことだ。
彼は手中の品に興味を抱かないのだから。

捨てられることに怯えて、踏み込まない。
それは誰のためなのか。

「せっかくの読書ライフをみすみすドブに捨てる真似をしてたまるもんですか」

私の恋人は本である、と数年前なら自信を持っていえたはずだ。
けれど、『本の為に今を守る』というそれらしい理由が、やけに言い訳じみてしまった。
失いたくないのは読書に明け暮れる時間だけじゃない。


だから何食わない顔をするの?
へえ、と、しばらくしてからシャルは感心したように言った。

「真珠って、思ったよりもケンメイだね」

白々しい感嘆を賜っても、嬉しくはない。
その言葉は、様々な含みを持っていそうだ。
一所懸命なのか、賢明な判断だったということなのか。
ハンター文字で表記すればどちらも同じだ。
つまり、両方なのだろう。

シャルはたぶん、気づいている。
私が気づいているってことに。

薄い壁の向こうから聞こえる呼びかけを、無視し続けなきゃ維持できない関係なんだ。


気づいてると伝えたら、クロロはどんな反応をするだろう?
見てみたいというのが本心だ。
けれど、たった一言に、全てを壊されてもいいほどの価値があるわけがない。
壊れた時間は戻せないし、関係が壊れたら切り捨てればいいようなどうでもいい相手でもない。

あなたが大切だから。




なおざりにソファに置かれた紙袋の中には衣服とアクセサリ。
全ては女物で、私のために用意されたものだ。
頼んではいない。私が身だしなみに労力を費やさないからって、クロロが世話を焼く。
純白のワンピースなんて、どんな顔で選んだんだか、と呆れる。
当然、という顔をされるのは、恋人面をされているようで居心地が悪い。
当然、という顔をされている限りは私も当然、という顔をしておくけれど。

件のクロロは、そ知らぬ顔でソファーに座り、読書をしていた。
私は、自分の持ち物になる品々を検め、クローゼットに仕舞い、ついでにその白いワンピースを試着してみた。
別に頼んだわけじゃないから「いつもありがとね」とかお礼を言うのはおかしい。
だから、何も言わずにリビングに帰ってきてクロロの隣に座り、本を手に取った。

「ふむ、見立てどおり似合うな」

私に負けず劣らず、出会った頃から外見が変わらないクロロが私を眺めた。
その言葉には素直に「ありがとう」と返した。
部屋で着るぶんには清純で可愛すぎる服も問題はない。

視線が重なって、急に、この額の包帯の下には逆十字が眠っているんだ、と思い出した。
黒い双眸を見つめて、紅い瞳が脳裏をよぎった。
私がたった一度「綺麗だ」という言葉に頷いたそれらを、
クロロが手中に納めてどんなふうに眺めているのかを思う。
こんなに近くにいるのに、秘密だらけの妙な関係だ。
目の前に『緋の目』を見せ付けられても困ってしまうけれど。

それとももう売り払ってしまったのだろうか?
いつか私もそんなふうに手放されるのだろうか?

不安な妄想は尽きない。考えてもきりがない。

考えなければ、『いつかの未来』が遠ざかる気がするから、
まだ、知らないふりをさせてほしい。
彼が私に突きつける、その瞬間までは。

有限の幸せだとわかっている。
だからこそ私は、

「ねえクロロ、美味しいものが食べたい」

時には最大限甘えてみるのだ。



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