3-1. この縁を断ち切りたいとは思わない。


時間が過ぎるのは早い。
そう感じるのは、私が本ばかり読む変化のない日々を送っているせいでもあるだろう。
不規則な生活を送っているから、一日一週間一ヶ月の区切りがない。
読書欲と睡眠欲を交互に満たしていると、まさに光陰矢の如しだ。

一方で、書物庫にある本の数を見れば、どれだけ膨大な時間を過ごしてきたかわかる。
私でなければ、何年かかっても読み切れなさそうな量だ。そこらの図書館には負けない。
すべての本の内容はすべて鮮明に思い出せる。
けれど、どこか実感が湧かない。
生きていることと読書することは別物らしい。

変わりそうな物事から目を逸らして、私は穏やかに時間を浪費していた。


「真珠、本の趣味変わったよね」
「そうかな?」

図書館の近くのカフェでシャルとお茶をしていると、そんな指摘をされた。
シャルに昔貸した本と今日貸した本を思い浮かべて、内容を比較してみる。
たしかにその傾向には差異があるかもしれないと頷いた。

「そんなに違う?」
「違うよ。濃くなったっていうか、危なくなった、暗くなったっていうか」

不穏な言葉しか出てこないけれど、それらはたしかに的を射ているのだった。
私はクロロが選んでくる本の傾向に知らず知らず毒されていたのだ。
だって面白いのだから仕方ない。渡される絶対量が多いのだから、そこに名作を見出すことも多い。
最初は悪意を感じたし、戸惑いもしたけど、読み進めていくいうちに気にならなくなった。
むしろ時には剥き出しの感情にスリルを感じ、綴られる文章に愛しささえ覚えるようになった。
今では自分で選ぶ本もその傾向を含んでいたりする。

「だって、面白いでしょ?」
「言っておくけど、文句があるわけじゃないよ。真珠が貸してくれる本は全部、俺が面白いと思える本だからね」
「それならいいの」

シャルとの付き合いも、もう随分になる。
会うたびに、本を貸しているのだから、趣味も人柄もわかってくる。

シャルは闇が平気な人間だ。さすがは幻影旅団、どんな狂気にも動じない人種なのだ。
わかっていて、だからこそ貸している。私は価値のわからない人に無理に本を薦めたりしない。
かつて私が精神を蝕まれそうになった本たちを、シャルは平気な顔で読んでいるのだ。
そう思うと複雑な気分になったりもするけれど、真理なのだから致し方ない。

彼らの精神は三年前から何も変わっていない。
私が、緩やかに近づいているのだ。



シャルと会ったのは二年近く前になる。
クロロが――おそらく私への嫌がらせで――仲間に会わせようとしたことがきっかけだった。

ちなみに、クロロは未だに私が人見知りで社交性の低い人間だと思っている。
私が『クロロの知り合い』と会うことを過剰に拒絶していたからだ。
別に、会ったことのない人に会うのが嫌だったというわけじゃない。
いくら私が引きこもりとはいえ、この世界に来る前はまともに集団生活を営んでいたのだ。
クロロ個人にかかわることにはもう諦めたとしても、幻影旅団という殺戮集団にはかかわりたくなかったというのが真相だった。

とにかく、その『知り合い』の第一号がシャルだった。
私にとっては、この世界での二人目の、名前を知った知り合いだった。

シャルが第一号に選ばれた理由は、きっと、
比較的読書家であることと、外見が好青年的であることだ。
クロロは私に善良な市民であると誤解させたいのだから。

以来、ぽつぽつと私の元を訪れた『彼ら』。
クロロの紹介だったり、シャルの紹介だったり、そのまた紹介だったりと、増えていく。
だいたい諦めがついたから、追い返すことはしなかった。できなかったこともある。
書物庫には『彼ら』の仕事によって得られた本も数多く眠っているから、その権利は当然あると思えた。
それに、この膨大な蔵書を私が独占するのは勿体無い。
多くの人が読んで、触れて、感動して、解釈して、共感してこそ価値は増幅する。
人に飢えていたとか、お土産たる本に餌付けされたということも否定しない。

何の仕事をしているの、なんて野暮なことは――知っているから――聞かない。
クロロは万全に口止めをしているらしく、『幻影旅団』およびそれに関する単語が聞こえることはない。
もっとも、口裏を合わせているからといって、下手な隠しごとが通用するのは、単に私に暴く気がないからだ。
ちょっと追及すればすぐにボロが出るに違いない。

逆に、出会い当初に決まって探りを入れられたのは私の方だった。
誰も彼もしつこいから、すり抜けるのには苦労した。
クロロから聞かされていたとはいえ、得体の知れない女が懐に入るのをむやみに信用したりしなかった。

ただし、そんな警戒にはもちろん及ばない。
私は本を読むことしか能のない本当に平凡で非力な乙女なのだ。異議は受け付けない。
彼らが正体を曝して少し手を動かせば、一瞬で摘み取られる命だ。

クロロとの関係の経緯を聞かれると、帰る場所がないから趣味を買われたと説明する。
そうすると、詳しいことは聞かれなかった。彼らも野暮じゃない。
私じゃ想像できないくらい複雑な事情の持ち主というのは世界に溢れているらしいから。
本に執着するクロロを、『らしい』と笑ったか酔狂だと笑ったかの二手に分かれる。



現在の話をしよう。
シャルは二ヶ月に一回くらい訪れては、私に本を借りる。
そして、何冊か本を置いていってくれる。
おかげで書物庫には情報系の本も並ぶようになってしまった。
管理が面倒だとか、一度読んだものに執着しないとかいう点がクロロに似ている。

そんなシャルの周期は、短いほうだ。
同じように他の皆も、忘れたころに訪ねてくる。
借りた本を読み終わって、気が向いたら来るという感じで、半年に一回来るかこないかだったりする。
もちろん急かそうとは思わない。ゆっくり読んでくれればいい。
ふらりと立ち寄っては、本を返し、短く感想を言って、私が気に入りそうな本をいくつか預けて、新たな本を借りていく。
シャルや女性陣なんかとは、本の貸し借りだけでなく、こうやってお茶をしたりもする。

この縁を断ち切りたいとは思わない。
彼らは、この世界では数少ない私の友人なのだ。
たとえ、すぐにでも壊れそうな均衡の上を歩んでいるとしても。
いつ足元が崩れ落ちてもおかしくないとしても、知らないふりをする。知っている。しなくてはいけない。


私の前では普通の顔をしているから、
『彼ら』が一つの民族を滅ぼしたことにはひたすら現実感がわかなかった。
たまに思い出して、慄くのだけど、それでも、
たとえば致死量の血の匂いを私はリアルなものとして知らない。
知識の域を出てくれないのだ。
もしかしたら全然別の人物なんじゃないかと、くだらない幻想を抱きさえする。


返ってきた本をパラパラと読み返していると、シャルから視線を感じた。
顔を上げても、その視線はなかなか私から外れない。凝視されているといってもいい。

「ねえ、なに?」
「真珠ってさ、クロロのこと好き?」

おもむろにカフェオレに口つけた途端、ストローが、ずずっと音を立てた。
普段、隠している感情のカバーを遠慮なく剥ぎ取る、あまりに虚を衝く質問だった。
必死に保っていた均衡が崩されそうになることに、これ以上なく動揺した。
露になった感情をどうしたら枠に戻せるだろう?

今を、自分を、全てを《守りたい》と願うから、内心で狼狽えながらも平然を装った。
努めて冷静に、答えを導くしか術が思い浮かばなかった。

「……好きだよ?」
「ちなみに、どういう意味で?」
「好きか嫌いかって言ったら、そりゃあ好きだよ。
これだけよくしてもらっておいて、嫌う理由が思いつかないってくらい」

『どうにかならないかな』と思うこともたしかにたくさんある。
自分勝手で、押し付けがましく、意地悪で、扱いづらい。
いずれ私を奈落の底に落とすかもしれない。

けれど、もしそうだとしても、それらはすべて目を瞑れるくらいのことだと言える。
人付き合いにおいて、完璧なんてない。長く一緒にいる相手ならなおさら。
それはクロロのことが嫌いなんじゃなくて、ただそのいくつかの点が苦手なだけなのだ。

私は、クロロが優しいことも、私のための行動も全部知っている。
与えられるもののほうが圧倒的に多いのだ。
理想的な環境に恵まれているという自覚がある。

むしろ本当に我慢できないくらい嫌いだったら、どうにかしてあのマンションを出ていると思う。
自由は驚くほど多いのだ。『勝手に』なんて、いくらでもできる。
クロロに与えられている口座のお金で何年でも生きていける。
自立するつもりなら、アルバイトくらいはできるだろうから、仕事探すくらいしている。

そうしないのは、私が現在を望んでいるからだ。


 main 
- ナノ -