2-1. あなたは何がしたいの?


それからさらに一年が経った。

私たちの関係は変わらないようでありながら、少しずつ水面下で変化しているようにも思えた。
彼は私が気づいていないと思っているかもしれないが、残念ながら、私は勘が鈍いほうではない。
察知能力は高いと自負している。
けれど、敏感であるというのは疲れるだけなので、
読書以外に時間を費やすのは惜しくて、いつも気になることがあっても、我関せずを貫いていた。
つまり、今も気づいていないふりをしてあげているだけだ。


たとえば、渡される本のジャンルが少しずつ偏りを見せてきたこと。
連続殺人犯の手記や、猟奇的な思考を描いた小説、マフィアの確執を記録したもの、などなど、
とにかく犯罪や暴力描写のマイナス要素の強いものが多いのだ。
どれも年齢制限つきじゃないかと思うくらいリアルに詳細に淡々と描かれている。
それから、民俗学や宝石学、世界の芸術品や秘宝を紹介・解説したものも同じく多い。

どれも単体だったら大して気にしなかったかもしれない。
内容はたしかに読みごたえがあって面白かったから。
でも、最近は、世界拷問伝なんて血なまぐさい本を平気で私に読ませるのだ。
習慣的に機械的にページを捲りながらも、途中で気持ち悪くなって吐き気がする。
読み終わったあともくらくらして、夜にはリアルな悪夢を見たりする。

私は、ホラーとかミステリーとかサスペンスとかグロテスクとかスプラッタとか、ある程度なら平気なのだ。
どんな本にも魅力がある。それを見つけられるつもりだ。神経もそれなりに図太いつもりである。
けれど、あまりにも偏りすぎている。読後感は最悪と言ってもいい。
養ってもらっている身だから、というかそこに本があるから、受け取った本には全て目を通してしまう。
仕事もちゃんとしている。本を開くこと自体に苦痛はない。けれど、ただ「どうして」と疑問に思う。
欲しくない部類の知識を次々とインプットして、私はこの世界の裏事情についてばかり詳しくなりつつあった。
役に立たない博識だ。

自分好みの本は自分で探すからいいのだけれど、首を傾げずにはいられない。
私たちはお互いの幸福な読書ライフのために在るのではなかっただろうか?
私がクロロの好みを把握しているのと同じく、クロロも私の好みを把握しているはずだ。
最近は、クロロが読むものを選ぶためというよりも、私に読ませること自体が目的であるとしか思えない。
それって楽しいだろうか? 幸せだろうか?

一体彼は私に何を望んでいるんだろう?
私の精神を次第に狂わせようとしていると思えてならない。義務的に蝕まれていく。

何気なくそういった種類の本を渡されることがどんどん不気味に思えてきた。
私を彼の住む暗闇の世界に引き込もうとしているように思える。
きっと自分という存在を知らせたい、思考を近づけたいと思っているのだろう。子供じみた嫌な独占欲だ。


不審を指摘してしまおうか、迷っている。
だってクロロは何か契約違反をしたわけじゃないのだ。
上等な住処を 多すぎる資金を 貴重な書籍を 提供してくれる。
病んだ本を持ってくるのはやめてほしいなんて言えない。
ここはクロロの書物庫なのだから。

読みたい本を読むことを禁止させられたわけではない。
むしろ、自由に本を求めている。
ネットで、本屋で、図書館で。

自慢すべきことに、最近は『良い本』を見極める勘が鋭くなってきた。
本棚の間を練り歩いていると、シックスセンスが冴え渡る。
眠る名作にオーラのようなものを感じて、引き寄せられる。
アタリを見つけ出すのが得意なのだ。

下の階まで及んで、さらに広くなった書籍庫の三分の一は私が選んだ本である。
山積みの愛読書に囲まれることは、できている。
少しでも『私』の傾向を知らしめるために、クロロにも薦めている。


彼は幻影旅団の団長で、私はそれを知っていて、知らないふりをしている。
もしも問い詰めて彼が真実を暴露してしまうことが怖い。変わってしまうことが。

本のジャンルが偏っているだけじゃないのだ。
それこそ、クロロは気づいていないかもしれない。
私が気づいているということに。
私自身に被害があることじゃ、ないけれど。

一日中読書してる引きこもりな私も、本屋と図書室に行くために頻繁に外出している。
新聞も雑誌も買ってはいないけど、図書室に置いてあると目を通したりするのだ。
だってあまりにも閉鎖的で世間知らずだと怖いから。活字だからという単純な理由もあるけど。
それで、よく『幻影旅団』の文字を目にする。

だから知っている。
幻影旅団が最近『本』を狙うことが多いこと。
とんでもなく高価だったり禁書だったり国宝だったり絶版だったりする、本を。
それがニュースになって世間を騒がしていること。
そして、盗まれた本は全て私が管理するこの場所にあるということ。


ねえ、クロロ。
あなたは私に知らせたいの?
知ってしまったら何かが変わるって、どうしてわからないの?
すべてをわかっているつもりなら、どうして直接言わないの?


クロロは私をなんだと思っているのだろう?
本以外に労力を費やさない私に、服やアクセサリーを置いていったりもする。
いつも同じ服を着ているわけにはいかないし、髪が伸びなくて外見が変わらないのも気持ち悪いので、
結って髪型を変えたり、着る服を変えたりするのは良い刺激になるから、重宝しているけど、
それだけ聞いたら、まるで恋人みたいだと思う人がいるかもしれない。

実際は書庫の管理員を雇っているだけのつもりかもしれないし、
ペットか何かを自宅の外で、マンションという檻に買っているつもりかもしれないし、
友人の生活支援をしているつもりなのかもしれない。


聞いてもいいのだけど、それで私に都合の良い答えが返ってくるとは思えないのだ。
「そんなことは知らない」とか「思い過ごしだ」とか言われるなら、
自分が居た堪れなくなるだけなのだけど、それでも、腑に落ちないことは残る。
そしてそれ以上に、もしも私が恐れている答えを返されたらどうすればいいのだろう?

二年の付き合いは長い。
いつも一緒にいたわけではなけれど、私にとってこの世界で拠り所といえばやはりクロロなのだ。
クロロのことは広い意味で好きだ。
けれど――私はいずれ帰ってしまうんだよ。

すべてを明かさなくていい。
ただ、たまに立ち寄って滞在して会話するような関係がいいのに。


誰かに相談すればいいのだけど、
――知り合いは何人かいる。本の案内を求めて書庫を訪れるクロロの友人だ――
でも、言葉にすれば確定してしまう気がする。
特に、クロロに伝わってしまったら後戻りができない。

そんな日に日に大きくなる悩みを抱えながら、
目を逸らして、心の隅に追いやって、私は目の前の本に集中する。
いつまでこうしていられるだろう?
いずれ訪れるタイムリミットの存在を感じるたび、ページを捲るのを焦る。
ゆとりが無限にあればよかったのに。



クロロが座っているソファーの前で、美術品の写真集を開いていた。
画像の多いものは、ゆったりとくつろぎながら目を通したりする。
一人で黙々と魅入ってしまうほど興味があるわけでもないから。

次のページを捲ったとき、見開きで大きく『緋の目』が映し出されて、あっと小さく声を上げた。
予備知識があるだけに、反応してしまったのは仕方ないと思う。
一対の紅い眼球が円柱の容器の中に漂っていた。
さすが世界七大美色、美しく鮮やかな色合いに目を奪われる。

だから、「綺麗だろう」と背後からクロロに何気なく言われたとき、うっかり「うん」と頷いてしまったのだ。
たしかに息を呑むほど綺麗だった。それだけだったのに。


二ヵ月後、幻影旅団によってクルタ族が滅ぼされた。



クロロ、
あなたは何がしたいの?



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