回帰の継承


刀匠の手によって焼き入れを終えたばかりの刀を見据え、琴を奏でる。
これは鍛刀の儀式。
依代に降ろした霊を判じて力を注ぎ、刀剣男士として顕現化するという、慣れきった審神者の務めだ。
凛と神経の研ぎ澄まされる空気。肌に馴染んだ緊張が心地良いと、以前は思えたはずなのに。

いつからか、儀式は私に牙を向くようになった。
数ヶ月前に兆した違和感が、日を追うほどに酷くなる。
はじめは小さな眩暈だった。
怖気に似た感覚が背筋から駆け抜け、血潮がざわめいて肌が粟立つ。
耳鳴りは警鐘のようには徐々に酷くなり、剥き出しの心臓を鷲掴みされているような恐怖が、本能を刺激する。ーーそして、ついに弾けた。
張りつめていた弦が切れるように体の制御を失った。
床に崩折れながら、これが終わりのときかと、消えゆく意識で思った。



目覚めると自室で床についていた。

「主君! お目覚めですか」

枕元で控えていたのは近侍の前田藤四郎だ。
亜麻色のおかっぱから、泣き腫らした目が覗く。
何もかも覚えている。そして、理解している。

「新しい刀は、どうなった」

端的に問えば、脇に置いていた白い包みを見せて寄越した。

「……こちらにお持ちいたしました」

布で包まれていたソレは、鍛刀したばかりとは思えないほど錆びて変色していた。
私の霊力はもはや刀に人の形を与えるどころか刀の形さえ失わせてしまうらしい。
あまりにも強烈な事実は目を閉じても消えてくれない。
諦念が込み上げて、深く息を吐く。

「私はもう、だめなんだね」

時間は残酷だ。有り余るほどあると思っていた力も、使い続ければ摩耗する。
酷使して衰えたこの身には、もはや刀剣男士を顕現化するだけの力が残っていないのだ。
鍛刀に限らす、手入も錬結もきっと満足に行うことはできないだろう。
もう、審神者として務めを果たすことはできない。

「そんな……。何か方法はないのでしょうか」
「さてね。一族が隆盛を誇っていた頃なら専任の医者もいたと聞くが、何しろ私は最後の一人だから。
ーー滅びの末裔だからこそ、負けるわけにはいかなかったんだけどね」

我々の守る”正統な歴史”とは、すなわち審神者の才を持つ血統の存続する歴史である。
どんなに優れた技でも受け継ぐ者がいなければ絶えてしまう。
私は正統を、伝統を、血統を、守らなくてはいけない。そのために歴史を正すべく、戦ってきた。
最後の一人と言われ、使命を託され、この箱庭に押しこめられ、何十年も何十年も、戦ってきたのだ。

「主君……」

前田の幼い顔が気遣わしげに陰る。
相対する私は一体どんな表情をしているんだろう。このおぞましい絶望の瞬間に。
ーー唇が歪む。

「……悔しいよ。悔しくてたまらない。どうしてこの手で、私の指揮で、すべての敵を討てなかったのかってね。このまま我ら審神者は歴史の海の藻屑に消えるのか? ならば私はなんのために何十年もここで……!」
「どうか、落ち着いてください」
「落ち着いているさ!」

声を荒げて、まったくもって説得力も大人げもないことだが、感情は溶岩のように煮えたぎりながらも冬の海のように凍えている。
冷徹な思考と理性がめまぐるしく働き、やがて残酷な結論を導いた。

「ーー前田藤四郎。私の愛しい懐刀。どうか一つ、頼まれてくれないか」

息を整えるなり猫撫で声で笑みを貼りつけた私を、前田は訝しげに見る。
しかし彼は忠実な近侍なので、躊躇わずに「なんなりとお申し付けください」と請け負う。
私は普段上辺に貼りつけている笑みを消し、この上なく深刻に真剣に彼を見据え、両手を掴んで懇願した。

「この五十年をやり直しておくれ。時を遡り、審神者の任に就く前の十二の【私】に会いに行って、もう一度【私】に仕えてほしい。浅はかで、未熟な小娘かもしれないけど、おまえの力が必要なんだ。そして私の、この敗北を変えてほしい」

一切の冗談が混じらぬ私の様子を受けてか、前田は沈痛な面持ちで私の手を柔らかく包み返す。

「……歴史を改変なさるということですか」

歴史の改変を許さぬと大義を掲げて戦ってきたのに、”やり直し”をさせるのは道理に適わないと言いたいのだろう。
しかし我ら審神者にとっては、守るべき正統な歴史など一つしかない。

「ここ五十年、遡ったところで歴史というほどの大局には至らない。この本丸内で完結する、私の、個人的な過去の更新だ。
……そのために外に出ず、人に会わなかったんだ。
守るべき大局のために、瑣末な戦歴を更新するだけだ。 リソースが有限なのだから、使い回すしかあるまい」

喋りながら、笑ってしまいそうになるくらいの詭弁だ。
大義など、掲げた旗でしかない。
勝てば官軍。負け犬の遠吠え、死人に口なし。
刀剣男士たちを本当の意味で説得させることができなくても、命令すれば彼らは逆らえない。

「……仰せのことは理解しました。しかし、それをしたとき、ここに在らせられる主君はどうなりますか」

袋小路の地獄だった数十年間を、彼らに繰り返せと言うのも我ながら残酷だが、それは、いとしい彼らが、今のこの私の元を去ると言うことでもある。
過去への介入を行えば、時空は上書きされる。それは失敗作たる私の消滅でもある。
五十年の日々を失敗と見なし、なかったことにしようとしている。

「時を遡ることができるのは、刀剣のみ。
おまえたちが過去へ渡り、今の私はこの世界線と運命を共にすることになる。
消滅するのか、ただ単に辿りつけなくなるのかは、よくわからないけど。どちらにせよそう長くもない命だ。おまえたちが使命を託されてくれるなら、悔いはない」
「それは、本心ですか」
「悔いはないと言っている!」

声を荒げてしまった。おとなげないおとなげないと、ここ数十年で何万回思ったことだろう。
審神者の任を戴いた頃は前田と丈比べできるほどの子供で、「おとなげない」なんて言葉は必要なかったのに、私の体躯ばかりが年を取り、変化し、衰えた。
前田は気分を害した様子もなく、質問を変える。

「……過去を変えれば、これまでのことは忘れてしまうのでしょうか」
「時を渡る立場なのだから、記憶がなくことはない。おまえたちの意識は連続のまま、時を遡るだろう」
「そう、ですか……」

翳った顔を見て、酷いことを言っていると自覚する。
私の自棄(ヤケ)に付き合わなきゃいけない彼らには、いつもいつも苦労をかける。

「きっと、これは酷な頼みなんだろうね。私が一度で音を上げたことを、もう一度しろと強いている。
それでも、それでもね、私の使命を引き継いでおくれ。
だって、そうでもしなきゃ、この五十年は、私の寂しい生はなんのためにあったのか……!」

この五十年。この本丸という箱庭で、人の形を得た配下に囲まれた日々は、穏やかで、和やかで、楽しくて、そう悪いものじゃなかった。
そう思いたくて、決して『寂しい』なんて言わないようにしてたのに、ひとりぼっちで寂しいと思っていたのもたしかに本音だった。
終わりの見えない戦いが苦しかった。いっそ負けてしまえば終わるのに、この血に託された使命が許さなかった。
本音を吐き出せば、私と星霜を共にした前田は傷ついた顔をした。

「……お守りできず、申し訳ありませんでした」
「違う。違うんだ。おまえはずっと私を守ってくれた。ただ、届かなかったんだ」

刀剣男士たる彼らに一切の罪はなく、真摯に仕えてくれて感謝しかないのに、人は、誰も悪くなくても勝手に傷つくものだった。
そしてその傷跡を掲げて見せることで感染させる。
彼らがいなければ体よりも心が折れるほうが早かっただろうに。

「おまえだけでなくて、他の者にも一人ずつ話をしようと思う。
おそらく、このままこの世界線で私と共に失われたいと言い出す者もいるだろう。一緒にこの泥船に乗ったまま沈みたい、と。
それならそれで、かまわない。
誰かが時を遡り、事象を更新して、過去が分岐する起点さえ生み出すことができれば、全員がこの任を負ってくれなくともいい。
しかし"誰か"には負ってもらわなくてはならない。
十二の【私】にとって増える戦力が多いに越したことはないから、不純な動機でもいい。
まだ戦っていたくて、生き伸びたくて、興味がなくて、どうでもよくて、という者もいるだろう。
しかし私が願いたいのはあくまで使命の全うだ。
いつか「私」 が迷わないように、間違えないように、任務を、使命を抱き、守りとおしてくれそうな、ーー前田藤四郎、おまえに、私の希望を託したい」

こうまで切願すれば、忠義に溢れる彼が頷かないはずはなかった。
その目にどんなに涙を溜めて、手を震わせて、”嫌だ”と叫びだしそうでも、見ないふりをした。

「拝命いたします……」
「ありがとう。おまえが健やかで、いつか使命を全うしてくれることを願っているよ」

何巡目になるかわからなくても、諦めずに無限に繰り返せばいつか勝ち取ることができるかもしれない。何十年、何百年かかるのか、わからないけど。
この忠実な近侍を、過去の自分に譲り渡してやらなきゃいけないのが悔しいな。
五十年も昔の自分なんて、ほとんど完全な別人と言っていい。
昔の、新たな【私】に仕えるにあたって、彼らにとって今の私の存在は《過去》になる。
強制的に記憶が消えなくても、時を経るごとに薄れるものだろう。
私にとって唯一の彼らにまで、忘れられるのは寂しいけれど、これだけ困難を負わせたのだから、我儘は言うまい。
新たな本丸ではそこにいる審神者を主と仰ぐことが任務を全うするのに必要なはずだ。

「ーー主君。一つだけ、よろしいでしょうか」
「うん。何?」
「末永く……末永く、お仕えします……」

幼い顔立ちから、ついに零れた大粒の涙が、握りしめられた私の手の甲に落ちた。

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