有為転変、藍は連理


年月は物に力を宿す。
人の持つ霊力で以って物に宿る霊力を概念化して利用する技術――審神者という存在は、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、その概念に見合う力を与えて自ら振るわせることができる。
武器には自ら戦える力を。采配には指揮する力を。
そして、時を刻む道具は時を遡る力を。

『古く逸話ある時計に宿る霊的な力は時空移動を可能にする』という発見は、すなわちタイムマシンの発明であり、「過去に遡って歴史を変えたい」という傲慢な歴史修正主義者を生むこととなった。

過去が変われば現在も変わる。
時の政府はただちに公許ない時空移動を禁止し、審神者に歴史修正主義者の討伐を命じた。
審神者は戦いの手段として付喪神「刀剣男士」を顕現化。
送迎役として懐中時計の付喪神「時辰女士」を付き添わせ、出陣や遠征に向かわせる。

時空移動の手段は政府のトップシークレットであり、刀剣男士にすら明かされない。
本丸に六名いる送迎役は政府の人間と同じ画一的な黒装束で身を覆い、任務中の発声さえ禁じられている。
ただ主に指示されたとおりの時間と場所に送り届ける移動手段だ。
道具なのだから、使われるだけというのはある意味正常なのかもしれないけど――。

懐かしい人と再会しても、親しみある者と同じ任務についても、喋りかけることは許されていない。
堀川国広と和泉守兼定。
私が先導を任された部隊に彼らがいた。
並んで、親しげに話しているその様子をつい目で追ってしまう。
和泉守兼定はあの頃まだ付喪神として宿っていなかったから霊体も見たことがなかったけど、一目見たときからその外見も気質も馴染み深いものだった。
そして堀川国広。刀として振るわれながら土方さんに仕えていた付喪神を、よく覚えている。

懐かしいなぁと眺めていると、堀川がおもむろにこちらを振り返った。
ばちっと目が合って、軽く睨まれる。
堀川は政府のやり方を快く思っていないから、政府の人間の格好をしている送迎役にも冷たい目を向ける。
当時ただの物だった、私だと気づくわけないとはわかっていても、好意の視線さえ咎められると少しさびしい。

――私は土方歳三の懐中時計だった。





任務以外の時間、時辰女士の生活区域の曲輪では、黒装束を解いて良いことになっている。
出陣と遠征に計四名が出払って、私は久々の休みに羽を伸ばしていた。
溜まっている洗濯物を片付けてしまおうと内番服に着替え、廊下を歩いていたところ、後ろからぐいと腕を引かれて納戸に引っ張り込まれる。

「な、何!?」
「おとなしくして」

聞き馴染んだ、堀川国広の冷たい声が振ってきたかと思えば、私は背後から抱き込まれ、喉笛に刃――脇差が突きつけられていた。
ひっと息を飲む。あまりの混乱に声が出ない。

「この曲輪に送迎役がいると思うんだけど、どの部屋か知ってる?」

言われて気づく。
内番服で顔を晒している私のことを送迎役だと認識していないこと。
顔を晒しても私が同郷の者とは気づかないこと。――まあ、この姿であったことがないから、当たり前か。
そして彼が、刀剣男士は入るのを禁じられているはずの曲輪に足を踏み入れていること。

「なん、で」
「知っているなら案内して」

凍るように冷たい声。
堀川は刃を見せつけるように拘束に力を込めた。
その有無を言わせない態度から、彼が酷く何事かに激怒していることを知った。

「私……。私が、送迎役 」

おそるおそる出した声は、禁則事項の制限に縛られることなく音となった。
刀剣男士も時辰女士も、己を顕現化し呪縛としての主従契約を結んだ主の命令には逆らえない。
しかし私が禁じられているのは曲輪の外の振る舞いであり、この曲輪内なら正体を明かすことも言葉を発することもできてしまうらしい。
刀剣男士がこの曲輪に立ち入ることを禁じられているからこそ成立していた規則だ。
規則の綻びに付け入る背信行為だとしても、ずっと気づいてほしかったことを告げたかった。
それに彼がなぜ、なんのためにここにいるのか知って、できるものなら力になりたかった。

「そう。それなら話は早いね」

堀川は一つ頷くと首に刃を当てたまま一度拘束を緩めて体勢を変える。
私の背を壁に押し付け、自分の腕と刃で閉じ込めるようにその前に立った。
覗きこまれて、目が合う。

「君は、歴史を守るという役目をどう思う? 」
「どうって……私はただの送迎役で」
「審神者のことは?」
「普段本丸にいらっしゃるから、正直どんな人なのかはよく知らないです」
「それなら、――君は主との主従関係が切れれば、この陣を離れて僕と来てくれる?」

一瞬何を言われているのか理解できなかった。
そんなことができるわけないし、どうしてそれを望むのかもわからない。
しかし堀川の目も、刃も、本気だ。
ふと、彼が穏やかな声で審神者のことを"主さん"と言っていた記憶がよぎる。
彼に何があったのか……。

「そんなことできるわけが……。私を顕現化した主との主従関係は簡単に切れないよ」
「それは主さんが人だった場合だろう? 彼女は僕らと同じ、物――付喪神だった。だから、主従関係は成立しない」

物は物の"主”にはなれない。審神者は私の"持ち主"ではない?

「うそ」
「嘘じゃない。たしかめたんだ。主さんがいつも持ってる軍配団扇が傷つけば、主さんも軽傷を負う――。主さんはもう僕の主じゃないんだ。現に、主さんとの絆が切れた今はここに入ることも君を脅すこともできる」
「たしかめたって……そんな……」

信じられなくても、彼がここに来れたことが何よりの証明だ。
気持ちの上で疑っても、その真実は私と主の契約の絆を揺らがした。
主に従う道理がないのなら、その綻びがあれば、命令も黒装束もなくこの本陣から出て行くことができてしまう。

「だって、見過ごせないよ。僕たちが守らされていたのが正しい歴史じゃないなんて」

堀川は言う。
審神者は認可以外の時空門を通ったことによって異形になり、一目で歴史修正主義者だとわかる存在を、刀剣男士たちに「倒してはいけない」と見逃させたのだと。

刀剣男士たちが守らされているのは 正しい歴史などではなく、一部の歴史修正主義者の手によって歪められた歴史である。
政府が観測した時空以上に歴史を変えられることも、必要以上に正されることも、不都合なのだ。

「そんなの、納得できるはずないだろう!?
正しい歴史を歪めないためと言われて、新選組に味方する敵とも戦ってきたのに……」

青い炎のような激情に燃えた瞳。
彼の憤りは本来審神者でも政府でもなく、歴史の不条理に対するものだ。
行き場のない感情が何もかも憎まずにはいられなくさせる。……なんて危ういの。

「都合のいい歴史を選ぶなんてことが許されるなら、僕は土方さんを助けに行きたい。
だから僕を、京の新選組の元へ連れていってほしい」

言葉では頼み事のようでも、こうして刃を向けているからには、脅してでも了承させるつもりなのだろう。
時を渡るには私たちの力は欠かせない。
私がただの送迎役なら、話したこともない彼に特別な感情を抱くわけもなく、彼の望みを叶える義理はないのだら、脅す必要もわかる。

「事情はわかったけど、あなた一人で行くの? 和泉守兼定は?」

"僕らを"ではなく"僕を"連れて行けと言ったのが気にかかる。
土方さんのことなら当たり前のように和泉守も一緒だと思っていた。

彼を望む場所へ送り届けるのはいい。
しかし主に背いてこの本陣を去るなら、それは一世一代の変革だ。帰ってくることはできない。
彼が歴史を変え、歴史修正主義者に与するつもりなら、他の刀剣男士たちに討伐される対象にさえなるだろう。
戦いなら戦力はあったほうがいい。
何より、互いに隣を許しあった二人が道を分かつことを想像できなかった。

「……兼さん?」

短く問い返され、その不穏な声にぞわりと背筋が粟立った。
龍の逆鱗を撫でてしまった。

「なんで……ああ、そうか。よく兼さんのことを見てた送迎役は君か」

冷ややかに言われて身が竦む。
ただの送迎役なら、彼ら刀剣男士を個別には認識していなくて、名前も覚えていなかったかもしれない。
同僚の会話も「あの短刀の子が」なんて言い方だった。

以前目が合ったのを覚えていたんだろうか。
和泉守を見ていたというよりは二人が並ぶ光景を、主に堀川国広を見ていたのに、自意識が低い男だ。
あれは旧懐と羨望の視線だった。
和泉守と共に在った堀川はあんなに信頼しきって和やかな面差しだったのに、私の目の前の彼の表情は固い。

「兼さんは行かないって……今の主を信じて従うって。でも、兼さんがいなくても、僕一人でも。……もう決めたから」

説得が失敗して決裂したんだろうか。
和泉守兼定さえ振りきって、彼はどこまでいくつもりだろう?

「兼さんが一緒じゃなくて残念だったね。不服でも、従ってもらう」
「……いいでしょう、あなたに従います 」

どうせ私が断っても他の送迎役を脅すだけなのだろう。
こんな危うい人を独りにしておけない。
彼に力を貸すことは、この本陣で審神者に従っているよりもよっぽど自分の心に合致する気がした。

「今はちょうど人の目が少ない。出陣や遠征部隊が帰ってくるまえに済ませましょう。ここに来たということは、あなたの準備は済んでいますか?」
「ああ」
「私も、こんな格好ですが、制服を着ていくよりは目立たなくてマシかもしれない。今、ここで時間跳躍しますか?」

急だが、部屋に戻って荷造りをしてなんてやっているうちに同僚に見咎められるかもしれない。
付喪神たる私たちには、生きていくのに必要な持ち物は人間より少ないかもしれない。

「いつもの装備や荷物は必要ないの?」
「転移に必要なものは持っていますから」

出陣時の黒装束が仰々しいのは時間移動のカラクリを隠すためでもある。
自分自身たる懐中時計は、かさばるものでもないし、内番服でも身につけていた。

「一つ。転移自体は正門を使わずとも、ここからでもできます。
でも正規の認可門以外から転移すれば時空の歪みに耐え切れなくてその身は異形と化すでしょう。
人目を避けて正門を使うなら……この曲輪の外だと、私にいつもの制限がかかるかもしれません」

今の自分の状態がどれほど主従契約の呪縛から離れているのかわからない。
検証してもいいが、手間取らせる可能性があるから伝えた。

「……いいよ。僕はもう歴史修正主義者だ。異形に身を貶してもかまわない」
「そう、ですか」

それほどの覚悟があるならかえって都合がいいかもしれない。
本陣から去るときに正規の門を使えたとしても、ここに帰ってくるわけじゃないのだ。
江戸から江戸へ、次に転移するときはどうせ正規の門を使えない。

「わかりました。それじゃあ、行きましょう」

衣服に忍ばせていた懐中時計を手に取って、竜頭のぜんまいを巻く。

「それ……」
「どうしました?」
「似てる、気がして」
「――そうですか」

気づかれたかと鼓動が跳ねる。
自分で言ってしまうのは悔しいような、勿体ないような、気がした。

――時計は先。針が逆さに回り、時を遡る。





「ここまでいいよ。ありがとう。巻き込んで悪かったね」

事件の起こる数日前の池田屋のそばで、堀川は私に解放を告げた。
一蓮托生になったつもりで本陣を去ったのに、 彼が私に求めたのはたった一度の送致だけだったらしい。
無関係の他者を歴史修正主義者という罪人になることを強いたわけではないらしい。
今なら、私はこの裏切りをなかったことにして何食わぬ顔で本陣に戻ることもできるだろう。

「……大丈夫なの?」

一人で何ができるのか、何をするつもりなのか。
引き止める気持ちは、うまく言葉にならない。
頼られるくらい、心を開示していればよかったのだろうか。

「僕がここにいることは、できれば黙っておいて」

私が審神者に告げ口して討伐隊を差し向けるとでも思っているんだろうか。
言わずとも、本陣から消えた堀川が向かう先など予想がつくだろうし、脅されたとはいえ自分の裏切りを告白するメリットもない。
そもそも私は本陣に戻るつもりは、ない。
彼に協力すると決めた時、裏切り者になる覚悟は終えたのだ。

「わかりました。それではどうぞ、ご武運を」

そう言って別れ、隠れて後をつけることにした。
この時代は私にとっても、ひどく懐かしい。

堀川は、闇討ち・暗殺お手の物というだけあって、人目を避けて事態の裏側をうまく立ちまわった。
脇差一口で 正面から刀剣男士と歴史との戦いに参加するような無謀じゃないと知って安心する。

しかし、何度でも出陣しなおすことのできる討伐隊に対し、身一つで本懐を遂げんとする彼の刃は蟷螂の斧でしかない。
うまくやればやるほど討伐対象としての優先順位が上がるのだ。

「御用検めである!」

悪いことに、歴史修正主義者たる堀川に立ちはだかったのは和泉守兼定が率いる刀剣男士の部隊だった。
彼らの目にはもう堀川が異形と化して見えるのだろう。和泉守は堀川に気づかない。
六対一。多勢に無勢は明らかだった。
堀川は諦めたように目を閉じる。自らの志に従ったことに悔いはないとばかりに。
その腕を、ぐいと掴む。

「こっちです。逃げますよ」

一度別の日時へ跳んで、誰もいない室内で堀川の立ち位置へ歩み、そして元の日時へ戻ってきたのだ。
腕を掴んだ堀川ごと二人で転移する。
戦場へ分け入っていったのも短時間に何度も転移したのも初めてで、息が上がる。

「君、なんで……」
「あなたをこの時代に連れてきたのは私だから、おちおち死なれると後味が悪いんです」
「それなら、ついでにもう一度転移を頼んでいいかな。次は、もっとうまくやる」
「一人じゃ限界がありますよ」
「それでも……」

本陣から去って歴史修正主義者となった彼には、どんなに無謀でも、もう引き返す道はないのだ。
別の道――諦めたり、逃げたり、平和に暮らすことを選んでくれたらどんなにいいだろうと思っても。
わかっているから、志を曲げる説得がしたいわけじゃない。

「 私を拐かしたのだから、最後まで責任を持ってください。自由に時間移動ができれば、歴史改変はもっと楽でしょう?
あなたが土方さんの意志を守りたいように、私にも守りたい人の意志がある。だから、あなたに協力します」

何度挫折しても、何度時空を繰り返しても、どれほど姿が異形に歪んでも、
彼が納得するまでその志に付き従い、支えようと決めた。
顕現化して人の身を与えられてから、ずっと、 自分の意思の介在はなく、機械的に従うことを強いられていた。
今、自分で道を選で、これが"生きている"ということだと思う。

「わかった。それなら僕の目的を果たした後、今度は僕が君に協力するよ」

無条件の好意を取引に変えてしまった彼に、苦笑が漏れる。
交換条件があったほうが信頼の根拠になっていいのだろうか。
どうせ目的は一致している。

「ひどい人ですね」と愚痴をこぼせば、脅して拐かしたことを言われてると思ったのか、
「手段は選ばないことにしたから」と肯定される。
「そうじゃなくて。……いえ、いいです」

寄り添っても私に気づかない、ひどい人。

 main 
- ナノ -