リトルティアの純真


竜宮城への行き方がわからないと浦島虎徹は言うが、時の流れから切り離され、付喪神を顕現化できるほどの神気と霊力に満ちたこの本丸こそ、ある種の竜宮城のようなものだ。
踊るヒラメや鯛はいないけれど、木霊や座敷わらしの気配は常に感じた。
私たちは霊なる物の声を聞き、導くことができる。
審神者以外の人間が迷い込めば、この本丸は幽霊屋敷のように物寂しく見えるかもしれない。

歴史修正主義者、すなわち過去への介入を目論む者を滅すべしとして、時の管理人としてこの本丸に座して、どれほどの年月を経たのだろう。
季節なんてものは投影された景趣でしかない。この身は老いを置き去りにして、数多の刀剣男士の顕在と消滅を見届けてきた。

刀剣男士が顕在するたびに、人の身を得てはじめて知った真新しい感情を向けられる。
私にとっては何度も何度も跳ね除けて、受け取って、失って、受け取り損ねて、踏みにじってきた感情だ。
そんなことを繰り返すうちに心はすっかり疲弊し錆びついて、機械のように義務を果たすだけになった。
純真を純真のまま受け止めるような柔らかい皮膚はどこにも残っていない。
だから、だろうか。

《あのひとがすき。あのひとがすき》

そんな声に足を止めた。
言葉としてはあまりにも拙い感情の発露。

《きづいて。もっとわらって。しあわせでいて。ほしい。ほしい。いっしょにいて》

発信源を探すと、庭の隅で雀が鳴いていた。
その視線の先に在るのは――。

雀をそっと手招いて呼び寄せ、掬うように両手に乗せた。
人目を忍んで自室へ連れ帰って囁く。

「おまえは一期一振が好きなんだね」

《あのひとがすき。あのひとがすき!》

濃密な霊力は百年を待たずに物の怪を生むことがある。
この雀も霊力溜まりにあてられ、生きながらに霊魂が変質したのだろうか。
複雑な思考はなくとも、ただの雀ではありえないほどの明確な意思。
この箱庭に輪廻転生の概念が届くなら、来世は人間にでもなるんだろうか。
その身に宿した素朴な恋心はまぶしいほどの純真に感じられた。

《うれしいのにかなしい。くるしい。わからない。おねがい、たすけて!》

たとえば命の恩人なのか、餌付けでもしたのか、一目惚れなのか。
あの人たらしの刀がこの雀に恋心をもたらしたきっかけをあえて聞こうとは思わない。
ただ小さな体から響き伝わる感情の強さに胸が震える。
長いあいだ忘れていたーーこんな瑞々しい果実を、久々に齧った。

「あいつらは刀剣男士といって、元は刀に宿る付喪神だ。その霊体に人の身を与えたのは私。
あやつの傍にはべりたいと望むなら、おまえにも人の体を貸してやろうか」

《にんげんのからだ!》

「――尤も、私は成熟した付喪神しか扱ったことがない。
おまえの身に宿る霊力がどれほど妖かしに近いのか、どんな不具合が生じるのか、試してみないとわからない。

顕現化に使う霊力をずっと貸し出したきりというわけにもいかない。
刀剣男士の枠をいくつか拝借するにしても、 私が顕現化できる数には限りがある。
任務に支障が出ない程度……たとえば、次に時の政府が新たな刀降ろしの文言を発見するまでならいいだろう。

元の体は生体維持装置に繋ぐとしても、生きる身から魂を抜いて別の形に入れるのだから、失敗しても元通りには戻れないと思ったほうがいい。

失敗すれば死に、成功しても寿命は縮み、元に戻ることはできないだろう。それでもいいのなら……」

唆しながら、まるで魔女のようだと自嘲する。
あるいはずっと昔からそうだったのかもしれない。

《にんげんになれば、あのひとがみてくれる?》

リスクをどこまで理解しているのかいないのか、雀の確認はシンプルだった。
偽善というにも痴がましい自己満足。
こんな矮小な偽善に縋る、いたいけで、おろかで、あわれな、自らを滅ぼすかもしれない恋心。

「さて。それはおまえの努力次第だろう。少なくとも同じ目線で視界に入ることはできる……。
私としてはおまえがあいつを解放してくれることを願っているよ。そしてもしもそれを成したら……一期一振の心を射止めることができたなら、顕現化の枠は永久におまえに貸してやろう」

《いいよ。して! にんげんのからだにして!》

雀は迷わずに決断したので、私も、迷わずに禁を犯すことにした。
時の政府からの通達では審神者の力を任務外の用途に使うことは許されていない。
けれど、まあ、誰にも言わなければわからない。
退屈な悠久の中では、この程度の戯れは許してもらわねば、やっていられない。

 * * *

魂の抜けた体は仮死状態となったので、コールドスリーパー<冷凍睡眠装置>へ入れて自室に保管した。
イレギュラーな顕現化だけあって、刀剣男士換算の5枠分を食いつぶしたが、体を与えることに成功はしたようだ。
翼のない体に違和感があるのか、顕現化した小娘はその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
歩いたり跳ねたり腕を回してみたり、ぐるぐるその場で回ってみたり、一通り試して納得したのか、にっこり笑って礼を言った。

「急に本丸に住まえば何者だと問われるだろうから、男士どもには新しい下働きとして紹介しよう。食事の配膳でも手伝えば少しは接点もあるだろう。
雀と名乗るわけにもいかないから、仮に"真珠"という名を使うといい。
おまえの本性――私が雀に人の体を与えたという事実を明かすのは、とっておきの相手だけにしておくれ」

《うん、うん。ありがとう! だいすきなの!》

その口がぱくぱくと動いて、声帯を震わせて音が出た。
発せられた音の意味、つまり彼女の気持ちが私には通じたから、それが、その声が、刀剣男士たちに解せないとは、思いもよらなかった。

夕食の席で真珠を紹介し、一言挨拶させると誰もが首を傾げた。
会話がすれ違っているから、雀も刀剣男士の喋る内容を理解していないらしい。
雀の口から迸るのは日本語でも外国語でもなく、ただの音である、らしい。

――審神者である私は、万物に宿る霊的な声を聞き、理解することができる。
霊的存在には高等な物から下等な物まで様々で、意思疎通は語学によるものではなく、意思や感情を大まかに汲み取ることも含まれる。
ようは、雀とは感情の伝達――テレパシーのようなもので意思疎通が成り立っていたのだが、犬と猫の鳴き声が違うように、刀と雀は同じ辞書を持っていないらしい。

刀に宿る付喪神として人間の傍で長い時を過ごした彼ら刀剣男士は人間の言葉――日本語を知覚し、使用するが、
庭で遊んでいた雀は人間の言葉を知らない。
霊力を多く注いで無理に神格を上げることはできても、存在年月の欠乏にはそんな落とし穴があったらしい。計算外だった。
意思疎通できるようにしてやるつもりだったのに、言葉も通じないなんて。
理解の薄そうな雀の代わりに、顕現化前に、デメリットを挙げられるだけ挙げたつもりだったのに、とんだ悪徳魔女になってしまった。契約はもう戻せない。

それでも、真珠は嬉しそうに刀剣男士に近づいていって身振り手振りで手伝いを申し出ている。
雀は言葉も聞かぬままに一期一振に惚れたのだ。
真珠にとって、刀剣男士どもがわからない会話をしているのはこれまでと同じで、身振り手振りが伝わるだけでも進歩のようだ。
言葉が通じなくとも隔たりなどないかのように接する失語症の娘を、彼らは概ね好意的に受け入れた。

元来世話好きな一期一振も、何かと引き止めてついてまわる真珠を、妹でもできたかのように可愛がった。
それが双方にとって良いことなのかどうかはわからない。
おそらく妹扱いの意味を理解していない真珠は頭を撫でられてただただ幸福そうだ。
一期一振に、この娘はお前が好きで私と契約してしまった哀れな雀なのだと代わりに伝えてやるのも躊躇われた。
実感のない言葉は上滑りする。代償のある愛は重いだけだ。
そんなものより感情のままに抱きついていく真珠の純真が届くかどうか、しばらく静観することにした。

言葉が通じないという不測の事態は私の落ち度だ。
その分だけ、限定した期間を緩めてやろうと思っていた。
しかし、新しい刀剣男士を降霊し顕現化するための詞が見つかったと通達があったのは、それから数ヶ月後。
同時に新たな時代で歴史修正主義者の侵略が確認されたという報告があり、本丸は俄に忙しくなった。
立て続けの出陣で、真珠に預けている5枠が惜しくなるほどに……。

これまで、数えきれない刀剣男士どもを、破壊し、錬結し、刀解してきた。
例外は戯れにおさめなくてはいけない。

決着をつけなさいと言うと、真珠は悲しそうに目を伏せた。
ほんとうはずっと前から、彼の中にあなたがいるとわかっていたのだ、と。

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