草刈り姫5.



練習中、グラウンドの外にクーラーボックスを抱えてうろうろしている女子がいた。

「どうかした?」

足を止めて声を掛けたのは、たまたまフェンスのそばにいた泉である。
彼女はびくんと肩を揺らして、ぎしぎしと音が立つくらいぎこちなく声の主を振り返った。
俯いて、長い前髪のせいで、両目がまったく隠れてしまっている。
口元は不安げに歪み、泉を見ると、またうろたえた。
逃げたくてしかたないって様子だが、それにはまず質問に答えなければいけない。そんな感じだ。
その挙動不審な様子を見てぴんときた。

「ち、千代ちゃんは、いませんか」

三橋に慣れているからこそ聞き取れたその小さな声で、直感が確信に変わった。
グラウンドをぐるっと見回す。

「しのーかは今監督と話してるっぽい」
「そう、ですか」
「もしかしてグラウンドの草刈り手伝ってくれてる人?」
「えっ! ……なん、で」

なぜだか怯えた様子で聞き返された。他人が自分のことを知っていることに警戒しているらしい。
たしかにこれは三橋だな、と泉は思う。むしろ初対面で女子である分、さらに話しづらい。
三橋に全く警戒させない田島なら、相手に壁を作らせるまもなく話せそうなものだが、これは予想以上に難儀だ。
なにごとも大げさに捉えてしまうだろう相手に、たいしたことではないと手を振りながら答えた。

「あー……、しのーかが話してただけだから」
「千代ちゃんが!」

どうやら篠岡の名前を出しても、どう話していたのかを悪い方向にしか想像できないらしい。
このままじゃ篠岡まで警戒対象に入ってしまいそうだったので、話題を変えてクーラーボックスを指差した。

「それは?」

彼女は、いちいちその指先とクーラーボックスを見比べてから、ワンテンポ遅れて、上ずりながら答えた。

「これは……さしいれ、です」
「野球部に?」

こくこくと頷かれて、部への応援が素直に嬉しかった。
やっぱり草刈りなんて作業を手伝っているだけのことはあって、その誠意は本物だ。
すると、後ろから肩を叩かれた。

「泉っ、なにしてんの?」
「おー、田島。この子、昨日お前が言ってた子だろ。差し入れだってさ」
「んー?」

田島は彼女を見て、なぜか首を傾げた。
まさか早速忘れたのか? と、泉は焦る。
彼女のほうはしっかり覚えているらしく、田島の視線を受けて声にならない声を上げている。
すると、田島はなぜか無言でその場から離れ、フェンスの外へ出た。
なんなんだ、と思うけれど、おそらく泉以上に驚いたのは、クーラーボックスを抱えた彼女である。
ただでさえ他人の一挙一動に敏感なのだろう、田島が距離を近づけるにつれて、全身で動揺を表現しているが、
脚は地面に縫い付けられたように硬直して、微動だにせず、だから今にも腰を抜かしそうである。

田島は彼女のすぐ隣までくると、びくっと音がしそうなほど怯えられるのにもかまわず、
穴が開きそうなほどその顔をじっと見つめて、おもむろにその前髪を掻きあげた。
彼女の顔立ちが露になる。

「ほんとだ」

田島は意外そうに呟いて笑ったが、彼女のほうはそれどころではない。
男子の手で掻きあげるように前髪を拘束されているのだ。額を晒され、しかも田島に顔を覗き込まれている。
普段ならこんなにも至近距離で人に近づくことなんてないのだろう。
赤くなり、だんだん可哀想なくらい青くなっていく不憫な顔色だ。
悲鳴を上げてから、金魚のように口をぱくぱくさせている。もはや声も出ないらしい。
怖くて怯えて逃げたくてしかたないのが心情だろうに、
手を振り払うことも後ずさることさえもできないらしく、硬直している。このままじゃ目を回しそうだ。
これじゃ、まるで拷問だろう。トラウマになったらどうするんだと、泉は思わず助け舟を出した。

「おい、女子の前髪どけるとかやめてやれって」
「えーっ、顔見えたほうがいいじゃん。誰だかわかんねーよ」

反論した田島には、いつものことながらまったく悪意は見受けられない。
田島にとってはたいしたことじゃないのだろう。前会ったときは顔を見ていたというのも驚きだ。
そして、どう考えてもやりすぎなのだが、たしかに一理はある。
余計な前髪がなければ顔の印象は全く変わるのだ。
肌は陶器のように白くて、長く黒い髪に映えていた。
眉が困ったように歪み、大きな瞳を潤ませている。
一言で表現すれば、可愛かったのだ。おそらく、ほとんど誰が見ても。
だから、隠すのはもったいないという気持ちがわからなくもないが、
それは本人の許容量を遥かに超えているのだからどうしようもない。

「なあ、なんで下ろしてんの。この前は結んでたじゃん」
「……あ、あああ、あれは、草刈り中で、邪魔に、ならないようにっ」

背筋をぴんと張って、恐縮して返事をしている。
頬が、顔中が、むしろ耳まで真っ赤になっていた。
いっぱいいっぱいな様子なのに、田島はさらに追い討ちをかける。
それはそれでめずらしいくらいだ。

「普段もあれでいいじゃん」
「うっ」
「いいかげんにしろ、田島。とにかくそのクーラーボックス預かって、戻って来いって」
「あー! そうだ、これ何入ってんの?」

ようやく田島の興味が逸れた。
泉は、彼女がずっと荷物を抱えさせたままでいることを気にしてもいたのだ。
ぱっと手が離されたが、彼女には前髪を直す精神的余裕もないらしい。

「あ、アイス、です。クーラーボックスは昼に千代ちゃんに借りて、さっきコンビニで買ってきて」
「へえ! 開けていい?」
「う……ふつうのアイスですけど」

言い訳をしながら、クーラーボックスを田島に渡した。

「あれ、けっこう重い?」
「保冷剤とか入ってる、し」

田島は蓋を開けて、目を輝かせた。

「なんかいっぱい入ってる! ほら」

クーラーボックスの中には、コンビニのアイスコーナーに売っていそうなアイスが、各種入っていた。
ざっと見ただけで10種類以上――16種類だ。ガリガリ君からハーゲンダッツまである。
ひとりで購入すれば、けっこうな出費だ。

「わ、こんなにあんのか? 一人ひとつとしても数多いよな?」
「あ……わたし、なにがいいのかわかんなくて、人の好みって違うから、いろいろあったほうがいいかと思って、
いくつかに選べなくて、少ないよりは多いほうがマシかなって。……いらなかったら持ち帰ります」
「よーし、多い分はジャンケンだな! いらないわけないだろ! さんきゅーな」

彼女の言葉を全て聞き取ると、田島は生き生きしていて、全開の笑顔を見せる。
この場合、変に遠慮するよりも厚意を受け止めてやったほうがいいというのは三橋でわかりきっている。
さっきまでトラウマを植えつけられそうになっていたのも忘れて、彼女はかすかに安心したように微笑んだ。

泉も礼を述べて、そろそろ練習に戻るか、と思ったとき、背後から低い声がした。

「何騒いでんだ」

いつの間にか阿部と花井が立っていた。
よりにもよって、女子に威圧感を与えそうなこの二人だった。


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