エンプティネスト、鍵は僕の手の中


校門を通る彼女は一際目立っていた。
女子にしては高い背丈にワントーン明るい頭、着崩した制服。いくつもの髪飾り。
ごてごてと鮮やかに彩られた長い爪に、履き潰した落書きだらけの靴。
派手な化粧を施し、いるだけで空間に色合いが増す。
なんのキャラクターかも不明なぬいぐるみのキーホルダーをいたるところに付け、
まるで頭の悪さを宣伝しているようだ。

ぎゃあぎゃあと騒ぐニワトリの群れの中心で、
自分の存在を声高に主張しているようでありながら、一匹でも目に付く。
ニワトリというよりも極彩色の孔雀だ。

その女子生徒の名――藤森真珠――を覚えてしまったのは彼女が校則違反の常習犯だからだ。
入学当初から毎月抜き打ちである服装検査で必ずといっていいほどひっかかる。
注意すればその場ではしおらしくするのだが、
次の日にも似たような格好をしてくるほど顔の皮が厚い。

僕の牙に怯えているそぶりがありながら、静かに楯突く。
ポリシーを曲げないところは軟弱な草食動物なりに評価できた。
派手好きで、お調子者で、軽々しく謝罪を繰り返す。
飄々として、暖簾に腕押し、掴みどころがない。

服装検査は風紀として行うが、
それ以外の場面ではそれほど縛りつけることもない。
呆れ、寛容、享受。
いつしかその色彩が視界に入ることに慣れていた。

教室でおおっぴらに会話するから、笑い声が廊下まで響く。
その声を容易く聞き分けるようになった。
僕が教室に入れば鳴り止むのだが、その残滓が喧しかった。

それが、変わった。

「委員長、お話があります」

草壁が僕を訪ねて教室に来た休み時間。
応じて指示を出し、自分の机に戻る途中。
帰って行く草壁の背を、藤森が目で追うのを見た。

 何かを期待するような眼差し。彼の輪郭をなぞるような視線。熱っぽく染めた頬。
 心から零れたような微笑。桃色吐息。

それは一瞬だったのかもしれないが、恐ろしいほど印象的だった。
まるで別人のような艶さえ感じる表情で男を慕う。
見ていられないのに、目を逸らせない。胸が焼けるようだった。
その光景が脳裏に焼き付き、臓腑が煮えるほど苛ついた。

咬み殺してしまおうかとも思ったが、
その女に牙を向けるどころか直視することもできず、
机をトンファーで打って教室を黙らせ、不機嫌のまま座った。

翌日は人生で最悪の日だった。

「真珠が黒髪だー!」
「イメージ変わったね!」
「急にどうしたの?」
「ちょっとね」

少し照れてはにかむ。
ああなんて似合わない表情だろう。
それから藤森真珠は脈々と彩度を落としていた。

化粧は控えめになり、人間らしい顔に近づいたとでもいうのか。
それなら最初からそうしていれば僕も苛立つことはなかった。
染髪の傷みのなくなった黒には艶も出て、歩くたび靡くのが目に付いた。
爪も元の色に近い地味なものになった。

それが自分に似合うと思っているのか、
それとも似合うような自分になるつもりなのか。――彼の隣が似合う自分に。

草壁と一緒に近くを通れば、人見知りのように前髪に触れ、喋るにも声が細く高くなった。
溢れる笑みにそのときばかりは豪快さがなく、まざまざと性別を思い出させる。
人は変わる、恋慕によって美しくなるのだと見せつけられて、我慢ならなかった。

「ねえ。その爪、校則違反。明日は直してきてね」
「え……これくらいみんなやってるじゃん。今までよりはマシだし……」
「その"みんな"も全員取り締まろうか?」
「えっ! や、それは困るから。明日直してくればいいのね。わかったわかった。ごめんね」

藤森は今までどおりのお気楽さで答えた。
教室で、ましてや検査日以外に校則を指摘したことはなかったので、僕の気まぐれだと思っているのだろう。しばらく従っていれば解放されると。
――けれどもう、許してはやらない。

「そうそう、染髪も違反だよ」
「は!? えっ、もう黒いじゃん。黒くしたじゃん。たしかに前は明るかったけどさ」
「前のが地毛だったんでしょ?」

聞き飽きた言い訳を、今更蒸し返す。
見えすいた嘘は百も承知で、それでも目こぼしてやっていた。
閉口した藤森に追い打ちをかける。

「その馬鹿みたいなキーホルダーも、落書きだらけの上履きも、全部禁止ね」
「さすがにそれは横暴でしょ!? ……――ひっ!」

トンファーを藤森の首に掠める。
通りすぎた跡は少し赤く色づいた。

「僕の言うことがきけないの?」

凄みをきかせて睨めば、
藤森は腰を抜かしたまま首を縦に振って、
ただ地毛は黒であることを明かし、謝罪した。

見慣れた孔雀がペンギンに成り果てるのなら、変化を留めることができないのなら、せめて僕のせいに、僕によって変わったんだということに、してしまいたかった。
巣立ちのはばたきが煩わしいから、その羽をもいでしまいたかった。

*
*
*

「――今日は何?」
「そのキーホルダー、派手だね」
「はいはいこれね」

藤森はペンケースにつけていた小ぶりのぬいぐるみを、慣れた様子で手早く外し、僕に渡した。
難癖をつけるだけの完全な個人攻撃は、もはや日課と化していた。
藤森真珠が風紀委員長・雲雀恭弥の逆鱗に触れて目をつけられたという認識はとっくに校内へ広まり、周囲は無関与を決め込んでいる。
藤森は元々神経が図太く、孤軍奮闘くらいで泣き出したり弱音を吐くような質ではない。これくらい平気だ、なんでもないと群れに伝え回っているらしい。3年分のツケが回ってきた、と。

「……まだ何かあるの?」
「別に」

藤森の外見は質素へと変貌した。
さぞかしみすぼらしくなるだろうと思ったのに、
孔雀の羽を毟り取っても、猛禽類のようなその眼の輝きを変えなかった。
いつまでも いつまででも こんなにも鮮やかに、目に付く。

もう、いいや。

「没収品を返してほしいなら、放課後応接室ね」

*
*
*

そして放課後。
藤森と草壁のいる応接室に、外から鍵をかけて閉じ込めた。


( 題名提供: 柚茉さん )


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