毒か薬


 ククルーマウンテンに広大な敷地を持つゾルディック家。
 正門たる試しの門までは観光バスも出ているが、その日、ひとり門に向けて山道を歩いてくる人影があった。
 20がらみの痩身な青年で、この国ではあまり見かけないジャポン風の衣装を纏っており、大きな薬棚を背負っている。
 彼は守衛を見とめると、人好きのする笑みで声をかけた。

「ごめんくださァい。訪問販売に来ました」
 掃除夫の役割も担う守衛はよく知った様子で「通行証はお持ちですか?」と訊いた。
「ええここに」
 青年――タカオミは背の荷を地に置いて、懐から特殊合金に“通行証”と刻まれた板を取り出し、見せる。
「確かに拝見しました」
 守衛は内線電話で執事に連絡を入れると、タカオミを誘導して試しの門の前に立ち、一の扉を開けた。
「ありがとォございますー」
 独特の訛りのある口調で礼を言い、タカオミは再び薬棚を背負って歩んでいった。


 途中執事に何度か通行証を検分され、そのたびに歩みを止めて丁寧に対応した。セキュリティの厳しさは相変わらずだが、慣れたものだ。
 ようやく本邸の客間に通され、出された茶に手をつけぬまま家主を待つ。
 大まかな時期というのはあるが、アポイントを取っているわけでない訪問販売なので、誰が応対に出るかはわからない。
 ドアの前に人が来たのがわかり、居住まいを正した。入ってきたのは長男坊であるイルミと執事数名だった。


「――次にご紹介いたしゃーすンはこちら。ある組織が開発した最新ので、まず無味無臭。何より強力で、1mgもあればザコウクジラも1分以内に急死します。粉末のまま吸わせても、飲食物に混ぜ込んでも効果があります」
「へぇ、俺でも無事では済まなそうだね。あるだけ頂戴」
 イルミはタカオミの商売を信頼しており、いいと思えば資料に軽く目を通しただけで即決する。
「毎度ありがとォございます。こっちは3週間前に発見された植物から採った毒です。まだ精製は荒いですが、遅効性で、10時間くらいしてからじわじわ効いてきます。平均な成人男性を殺めるにはこれくらいの量を食べさせます。苦味があり、使い勝手は悪いですが、既存の毒とは成分が違うことがわかっていますんで、今から耐性をつけておくと具合がいいかもしりゃせん」
「それもあるだけ」
「まいどォ! 皮膚も侵しますんで、くれぐれも取り扱いには注意してください。詳しくは各々資料をごらんください」
「わかった」
 商売人らしく揉み手していたタカオミは、細い目をさらに細くさせてほくほくと笑む。薬師(くすし)風の装いであるが、薬棚に積まれているのは全て毒物とその解毒剤だ。
「今回のめぼしいとこはこんなくらいですわァ。いつもの分は変わりなくなさいますか? 全体の商品リストはこっちです」
 次々と書類を取り出して、手渡す。
「いつもの分はそのまま。あとは帰るまでに検討させる」
「かしこまりました。日が暮れるまで居さしてもらいますわ」
 タカオミはゾルディック家の内部と交流が深く、世間話や情報交換できる相手がいくらでもいた。


「夕飯食べてく?」
 思いついたようにイルミが言う。
「ありがたいですがご遠慮さしてもらいます」
 なんで、とイルミの眼が不満を訴えた。
「ボクはイルミくんみたいに何でも耐性強くないんですわ。毒売りが毒に中ったら世話ないでしょう」
「耐性なんか付ければいいのに」
「身体が抗体を作るってのにも限度がありゃして、耐性も才能ですからねぇ、人には向き不向きがあるんですわ。ここの方々みたいには行きゃせん」
 その分、タカオミは取り扱いには長けているし、毒物には敏感で、五感を以ってその種類を判別することができる。
変化系の特性を活かした密封の念能力で、直接は触れずに扱うことができる。
「無毒の料理作らせようか?」
「おかまいなくゥ」
「それはそうとタカオミはいいかげん試しの門自分で開けないの? 先代は2の門まで開けてたけど」
 なにしろ先代は飛び込みで訪問販売をしてゾルディック家を得意先にした命知らずな男だ。その息子であり跡を継いだタカオミは、商才は受け継いだが体質はその限りでなく、一人で訪問するようになってから門の開閉をゾルディック側に頼っている。
「虚弱体質なもんで」
「やる気ないだけだよね。まぁいいや。ところでタカオミ、ハンター試験受けない?」
 イルミは夕飯に誘ったのと同じような軽さで提示する。
「唐突ですねェ」
「前に取りたいって言ってたでしょ?」
「あったらいろいろ捗るとは申しゃしたが、命知らずな試験を受けに行こうという気はとても起きゃせんねェ」
「タカオミなら死にはしないと思うけど。……けっこうめんどくさがりだよね」
「弁えておりますー」
 とは言うものの、タカオミも念の使い手であり、採取・仕入れ・情報収集のために危うい国境も越える。
「俺も今度の仕事で必要になって受けに行くから、今なら協調関係結んであげる」
「あぁそれは魅力的ですねェ」
 タカオミは興味を見せた。イルミの実力はよくわかっているし、長い付き合いでビジネスパートナーとして信頼できる。サポートとまではいかなくとも、イルミに損のない程度の手助けはしてくれるだろう。一人で受けるよりは確実に困難が減る。試しに受けるならば、この機会を逃すのは損だ。
「帰るまでにお返事さしてもらいます」
「うん。じゃあ後はテキトーに過ごして」
「ええ。ミルキぼっちゃんはご在宅ですか?」
「いつでもご在宅だよ」
「ではまず伺います」
「うん。用があったら呼ぶから。また後で」
「はい。失礼いたしやす」


 タカオミはミルキに教えてもらった手順に従ってハンター試験会場に到達し、310番と書かれたプレートを受け取った。35回も試験を受けているというトンパに声をかけられ、缶ジュースを受け取ると、プルタブを開けて臭いを嗅ぎ、触った指をひと舐めして下剤の種類を確信し、そのまま捨てた。


 周囲を見渡すと、事前に聞いていたイルミの変装姿であるギタラクルと、顔見知りかつ今回の協調相手その2でもあるヒソカ、そしてゾルディック家三男たるキルアを見つけた。
 いずれ気づくからには不自然がないようにと、キルアに声を掛けにいく。
「キルアぼっちゃん」
「タカオミ?」
 顔が見えにくい装いだが薬棚は相変わらずなので、すぐに判別がついたようだ。
「お変わりないようで」
「お前も試験受けるのか!」
「商売柄、あると何かと都合がいいので。入り用でしたら申し付けください」
「さんきゅー。でもそのキルアぼっちゃんってのヤメロっていつも言ってるだろ」
「大事なお得意様のご子息ですから、そういうわけにはいきやせん」
「イルミは普通に呼ぶくせに」
「年が近いから変だと言われれば尤もだと思いまして」
 あるとき呼び名を変えなければ……と脅されたせいだと正直に言えば、キルアも脅してきそうなので伏せる。キルアが不満げなので妥協案を提示した。
「……じゃあ、この試験中はキルアくんって呼ばしてもらってええですか?」
 打算を言えば、キルアは個人として試験に臨んでいるのだし、特別な関係だと周囲に宣伝するのは不利益に思えた。
「いいぜ! 約束だからな!」
 殺し屋の才に恵まれたエリートも、無邪気な喜びようは子供らしく感じる。平素と同じ態度なので、キルアの家出を知らないと思って、気軽に接しているようだ。家出のこともキルアがハンター試験を受けることさえも事前に知っていたが、イルミの指示は静観なので触れずにおく。『イルミ=ギタラクル』の図式さえ暴露しなければ接触は自由とされている。
 キルアとは、いつものようにしばらくたわいもない話をしてから別れた。
 それから協調相手に声を掛けることはあえてせず、タカオミはしばらく周囲を観察してから、ある受験生に狙いをつけた。


「こんにちはァ」
 その受験生――ハンゾーは、急のことに警戒するが、その容貌と人好きのする笑みを見て、少しそれを緩める。
「その装い、忍者さんじゃありゃせんか? ボクもジャポン出身で、こういう者ですー」
 にこにこと低い姿勢を保ちながら、“表”用の名刺を渡す。ハンゾーはそれを眺め「薬師か」と呟いた。それらしい格好をしているので、容易に納得する。
「俺はハンゾー。雲隠流のシノビだ」
 ハンゾーもお返しに自分の名刺をタカオミに渡した。そこには隠密集団雲隠流上忍とある。
「ご丁寧にどうも。初めて試験を受けるもんで緊張してましたが、勝手ながら同郷の方を見たら少しほぐれましたァ。これも何かの縁だと思いますんで、何か入り用になりましたらご相談ください。割安で提供さしてもらいます」
「そうか。あまり他人からもらったものは使わない主義なんだが、いざというときは頼む。同郷とルーキーのよしみだ、俺も機会があれば力になる。困ったら言ってくれ」
「おおきに、恩に着ますわ」
 タカオミの口調はジャポンの方言のようだが、地域の入り混じった不思議な喋り方だとハンゾーは思った。
「今回の試験、どう思います?」
……等々、タカオミは世間話を弾ませる。


 ジャポンで使われている薬の効果的な使い方を語ったところで、ハンゾーの変化を確認した。その体がぐらりと揺れ、バランスを崩すように跪いた。困惑の声を遮り、タカオミは笑む。
「――やれやれ。三つ目でようやく効きましたわァ」
「テメェっ!」
 はっとハンゾーはタカオミが何かしたことに気づき、睨めつける。薬師を名乗った青年は表情も声色もさっきの調子のままだったが、それが底知れぬ笑みに見えた。
「さすがシノビは耐性が強いですねェ。その症状なら間違いないです。ジャポンでは馴染みのないもんですが、今後ハンターとして世界を飛び回るハンゾーさんは耐性をつけておくと良いかもしりゃせん。飲食以外でも、人を侵す方法はいくらでもあるということも、覚えておくとよろしいかと」
「なんのつもりだ!」
 ハンゾーはタカオミを凶悪な目で睨んでいるが、うまく身体が動かず、立ち上がれない様子だ。
「協力してくださるとのお申し出はとてもありがたく、痛み入ります。けどできたらもっと確実に力になってもらえたらなァって」
「脅迫して服従させるってか」
「人聞きが悪いけど、まァそういうことです。たとえばこの通路。地下奥深い上、先を見ると果てしない。嫌な予感がしますねェ。ボクは虚弱体質で非力なもンで、体力勝負では困ってしまいます」
「じゃあハンター試験受けんな!」
「ご尤もですが、資格は魅力的なンでやれるところまでやってみようと思いまして。ハンゾーさんは体力豊富でボクを背負える程度の体格、ボクという荷物を抱えても合格しそうな実力とお見受けしました。薬は後遺症が残りにくいものを選びやしたし、お察しのとおり解毒の薬は持っていますンで、了解してくださればすぐにでもお渡しします」
 イルミやヒソカは大事なお得意様であるし、試験中はできるだけ対等な関係でいたい。彼らよりは、このように通りすがりから恩を買ったほうが割安というわけだ。
「……いいだろう」
 選択肢はない。ハンゾーは苦渋に満ちた顔で了承を唱える。
「ちなみに」
 するとタカオミはハンゾーの近くで膝を折り、身動きを奪われたハンゾーの頬に手のひらを触れさせて撫でる。寒気がしたのは、指先がひやりと冷たかったばかりではない。そこから首、腕へと両手のひらを移動させ、ぺたぺたと触る。途中、チクリと皮膚に痛みさえあった。
「今ンで仕込みは終わりました。遅効性の毒です。種類と数は内緒。言うこと聞いてくれはったら身体に影響出る前に治療薬お渡ししますが、その逆はしかり。ボクはむやみに人殺したくないんですが、殺さずに無効化する薬はいくらでもありやすし、方法も心得てます。これでなくとも機会はいくらでもありやすんで、堂々巡りしたくなかったら変な気は起こさんでください」
「っ……!」
 図星を指されたハンゾーに、タカオミは手際よく追い打ちをかける。
「ちなみにボクを殺すといろんなとこから猛毒を撒き散らす仕組みになっているんでさらにオススメしやせん。種類と影響範囲は秘密です」
 これは周囲にも聞こえるように宣言した。ざわりと動揺が広がったのは、異変をきたしたハンゾーが目立ち、会話を聞いていた者が多かったせいもあるだろう。タカオミの二つ目の目論見も成功したと言える。
「悪いことばっかりじゃないと思いますねェ。今ンでボクにすすんで攻撃したいという方は減ったでしょうし、得意分野で不得意分野を補い合うなんて、人聞きがいいでしょう? 恩を受けたらきっちり返す主義ですから、ボクに協力できることがあればさしてもらいます。損な買い物はさせませんし、商売人ですから約束は守ります。必要に駆られて脅しみたいなことをしてますが、軽口くらいじゃ怒ったりしやせんし、怒ったくらいじゃ薬に訴えんから安心してください。
……まァ何はともあれ、そンままで、試験前から三半規管その他諸々がイカレてたんじゃ支障あるでしょう?」
 こんなに凶悪な“恩”に遭遇したのは初めてだ。そして最後であってほしいとハンゾーは思う。
「これがハンター試験か……」
 ハンゾーは諦めの境地で呟く。
「人生、一寸先は闇といいますからねェ。あらためまして、こっちが正確な名刺です。どんな薬も毒になるとは言いますが、ボクは毒物を専門に扱う薬売り、セールスマンです。活動範囲は世界中幅広く……――あァ、その前に解毒薬でしたねェ。少々お待ちください」
 タカオミは薬棚の引き出しを開け、小瓶を取り出して、中身を薬包紙の上に乗せる。
「これを舐めてください……と言ってもうまく舐められないでしょうから、失礼いたしやす」
 タカオミはおもむろに指で薬を掬うと、ハンゾーの咥内に指を入れて舌に押し当て、撫で回した。嫌悪感を露にする隙もない。
「これで、10分もすれば効いてくると思います」
「そうかよ……」
ハンゾーはただただ脱力した。


「この薬棚、めちゃくちゃ重いじゃねーか。どこが非力だ」
「金庫みたいなもんなンで、仕組みがいろいろと。ボクを背負ってもこれだけの速度で走れるなんてハンゾーさんを見込んだかいがあります」
「全く嬉しくねーよ」
 タカオミは相変わらず薬棚を背負い、そのタカオミをハンゾーが背負っている。一次試験の内容が言い渡されたときにこのスタイルが決まった。タカオミは抵抗ないようだが、大の男をおんぶしている光景はなかなか珍妙で、好奇の視線を買う。ハンゾーは奴隷契約がなければけっして了承しなかっただろう。なんとも手段を選ばない男だ。
 一次試験が終わればひとまず解放すると“約束”したので、心頭滅却し、走ることだけ考える。背負われているタカオミは利害しか考えない外道だが、従っていればおとなしく、元の通り愛想がよい。ハンゾーにとって興味深い情報をぺらぺら喋るので、不機嫌な顔をしつつも耳を傾けてしまう。まさに余計な荷物だが、いずれ役に立つこともあるかもしれないとうっすら思ってしまった。どうせ背中は睨むこともできない。丁寧を装いつつ気さくな口調なので、つられて呼び方もぞんざいになった。

 ハンター試験は続く。



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