13.目を醒まされた思いだった


ほっとしたとたん、ぽろぽろと涙が毀れた。
仙蔵君に抱き上げられ、その腕が温かいから、止まらなくなる。
足が痛いのか聞かれて首を振ると、強情な人だと呆れられてしまった。
そうじゃないのだ。絶え間ない痛みさえ、もう。
人の優しさで胸が苦しい。

「ありがとう」

ごめんなさいも言わなきゃいけないと思ったのに、それ以上は言葉にならなかった。
仙蔵君が私を持ち上げて、地上から留くんとこへ君が引き上げてくれた。

雨が降りそうだったから実習が早めに終わったんだって。
留くんに「もう大丈夫ですよ」と宥められる。
長次君と目が合って頷かれる。こへ君に抱きしめられる。
そして狼穽から上がってきた仙蔵君がこへ君を引き剥がし、もう一度私を抱き上げた。

「小平太じゃ怪我に障る。
それに、さっさっと連れて行かないと伊作がご立腹だぞ」

覚悟してくださいね、と 仙蔵君は私に微笑んだ。
微笑みなのに、私は何かひんやりと恐ろしいものをそこに感じた。


* * *


「だから言ったじゃないですか」

伊作君は私の足の具合を見るなり、盛大にため息をついた。
座らせて、手際よく治療を開始しながらも、叱責は止むことがない。

「学園内にはいろいろと仕掛けがあるから、人のいないところは危ないですよ、って。
怪我人なのに松葉杖で動き回ってるといつか転ぶんじゃないですか、って。
わざわざ仕事を探してまで手伝いなんかする必要ないでしょう、って」

どれも、たしかに言われた記憶があったので、返す言葉もない。
役に立ちたいと思ったのは、そうでなければ追い出されると思ったからだ。
人に好かれたり必要とされる手段が他にわからなかったからだ。

「怪我が悪化したら本末転倒ですよ。
この雨の中、風邪なんてひいてないでしょうね」

ぎろりと睨まれる。
小雨で濡れた髪は拭いたし、今は肩にあたたかい上衣をかけてもらっているのに。
伊作君は心配してくれているに違いないのだけど、こうも迫力があるのは、その真剣さのせいだろうか。
嬉しいのに、苦笑することもできない。
さっきまで呑気に自己完結で満足に浸っていたから、目を醒まされた思いだった。

「まったく、僕らが敷地内にいたからまだよかったものを……」
「ごめんなさい…」
「怪我が治ったら、僕に舞を披露してくれるんじゃなかったんですか」

そういえば、そんな約束をしたのだった。
嘘や偽りのつもりはなかったけれど、すっかり忘れていた。
あのときは、そんなのお安い御用だと思った。
けれど今さら、さまざまなことを後悔する。

ああ、無頓着に髪を切ろうとしてしまった。タカ丸君に止めてもらってよかった。
小道具を売り払ってしまった。また怪我をしてしまった。
しばらく稽古もしていなくて、どれだけ体は鈍ってしまっているだろう。

いっそ何かをご馳走するというお礼のほうが簡単なのだけど、
一度約束したからには守らなければならない。

「いつか必ず、見せられるようにします」

そう誓うと、伊作君はわたしを信じていないらしい。
だからって無理しちゃダメですよ、と また釘を刺される。

「もう、しばらくは静養、一人で出歩くことを禁止にします」
「え、それは困ります」
「どうしてですか?」
「だって……めいわく、が」

常に人に何かを頼んで生活しなければいけないなんて、迷惑になってしまうのでは。
と、自分で言いかけて、この状況が一番の迷惑だと思い至った。
その単語を聞いた伊作君の反応もすこぶるよろしくない。

「迷惑なんてかければいいでしょう。
真珠さん、生徒に知り合いも多いですよね。
それぞれに頼み事をしたとしても、個々の負担は軽いもんです。
あなたは謙虚すぎるんですよ。おひ…」

口が動きかけたので、お姫様なのに、とでも言おうとしたんじゃないだろうか。
けれど最初の頃と比べて、伊作君の態度には遠慮がなくなったから嬉しい。

「なに笑ってるんですか。
真珠さん、僕が何を言いたいかわかりますか?」
「……"自分を大切に"?」

繰り返し言われた言葉を挙げてみる。
それにしても、普段の温厚さが影を見せないくらい、しつこいお説教だこと。

「わかってるなら…」
「伊作、その辺にしておけ」

涼やかな制止の声が入った。
仙蔵君が医務室の戸を開けたところだった。

「落とし穴の犯人をつれてきた」

引っ張り出されたのは、四年生の綾部喜八郎君だった。



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