14.どこまで救われてしまうんだろう


「すみませんでした」

部屋に入るなり喜八郎君はわたしのほうを向いて膝を折り、床に手をついて頭を下げた。
抑揚の少ない声で謝罪を述べる。
連れて来られた用事がわかっているからか、とても潔い。
土下座させてしまったことに狼狽える。

「いいんですよ!
落とし穴に気づかなかったわたしが悪いんですから、どうか頭を上げてください」

徐に顔を上げた喜八郎君の表情は読み取れない。
感情が面に表れにくい子なのかもしれない。
その分を補うように笑顔を心がける。

「わたしは大丈夫なので、気にしないでくださいね」
「大丈夫なんですか?」

喜八郎君はわたしじゃなくて伊作君に顔を向けて問うた。
……そんなにわたしの言葉は信用できないだろうか。

「大丈夫じゃないし、
綾部の落とし穴で保健委員にも被害が出てるから自重してくれるとありがたいけど、
怪我人が歩き回っていたことに否があるのもたしかですね?」
「……はい。そのとおりです」

伊作君の言葉に肯定して肩を縮こめる。
喜八郎君は無言で、逡巡するように仙蔵君に視線をやった。
つられて仙蔵君を見ると、わたしに頷かれたので、言葉を選び直してみる。

「じゃあ喜八郎君。代わりと言ってはなんですが、
今度わたしに上手な落とし穴の見分け方を教えてもらえせんか?
次は落ちないように、わたしも精進したいんです。
それでおあいこになりませんか?」
「……わかりました。怪我が治る頃には中に藁でも敷いておきます」

落ちてもいいようにという気遣い だろうか。
それともまた落としてやろうという意気込みだろうか。

「喜八郎、一週間穴掘り禁止だぞ」
「――それじゃあ僕はこれで。お大事にしてください」
「はい。またお会いしましょう」
「こら綾部」

喜八郎君はこの場からさっさと逃げたいと言わんばかりに立ち上がった。
軽く礼をしてから部屋を出る瞬間に視線が交わって、目配せのようなことをした。
その表情は入ってきたときより柔らかく感じた。

わたしもほっと溜め息をつく。
喜八郎君にとって先輩二人に囲まれての謝罪の時間が快適であったはずがない。
気まずさが強かったのは喜八郎君のほうに違いないけど、
わたしも謝られることはどうにも苦手だ。
特に今回はわたしの失態を喜八郎君のせいにしてしまった形だと思う。

「あれで喜八郎もかなり懲りていますから、言いつけは守ると思いますよ」
「喜八郎君には本当に申し訳ないことをしました」
「いい薬です。真珠さんはさすがですね」
「そんなことないです……。仙蔵君は対応が早くて、伊作君は口添えしてくださって助かりました。ありがとうございます」

一朝一夕で治るような怪我ではないので、しばらくみんなに迷惑をかけてしまう。
怪我の経緯はいずれ噂として知れ渡るだろう。喜八郎君の耳に入る可能性も高い。
そのときの喜八郎君にとって、既にわたしと話がついているかどうかというのは大きく違うと思うのだ。
謝ってもらえれば『大丈夫』だと伝えることができる。

泣いたほうが正義でも、怪我をしたほうが被害者でもない。
どちらに過失があるかなんて状況次第なのに、
見えやすいほうが責められてしまうのは理不尽で心が痛む。
伊作君はちゃんとわたしを責めてくれるから助かった。

仙蔵君は責任を追及しようとしたのではなく、
喜八郎君が気にする前に先手を打ったんだと思う。
責めたければ責めろともいう状況だったけれど、
後輩の対処をわたしに任せてくれたのは多少なりとも信頼されているのだと思いたい。
どうにか話をまとめられてよかった。

「勝手な約束を取り付けてしまって、よかったでしょうか」
「かまわないと思います。
喜八郎は罠のことなら後輩が興味を持てば親切に教えていますから」
「そうですか。今まで喜八郎君と喋る機会がなかったので、実は楽しみなんです」

この学園で、いろんな人と話してみたいと思ってる。
わたしの知らない輝きがたくさんある。
それに まったく面白がっている場合じゃないのはわかっているけれど、
落とし穴に落ちるのなんて初めてだった。
踏んで地面が消失するような感触。どうやって作っているのか興味がある。
痛みと裏腹に気持ちが明るいのは、あたたかさを知ったからだ。

「ご迷惑をおかけして、暢気かもしれませんが、
わたしは今回少し痛い目に遭ってよかったかもしれないと思います」
「少しじゃないでしょうに」
「できるだけのことをしようとするとかえって迷惑をかけてしまうこと、
動かないのも怪我人の仕事だということが身に沁みたのもありますし、
皆さんが助けに来てくれたとき、わたしは掛け値なしに嬉しかったんです」

涙を流したことなんていつぶりだっただろう。思い出せない。
ましてや、嬉し涙なんて生まれて初めてに違いない。

「助けを求めていいのだと 長い間忘れていたことに気づきました。
お二人には何度も助けられていますけれど、重ね重ね 本当にありがとうございました」

いつだって受身で、与えられる仕打ちにひたすら耐えることを覚えた。
もっと器用だったなら社交的に立ち回って自分に利を、
もしくは媚びて害を回避しただろうに、中途半端なプライドが己を律していた。

「それは たしかに良いことだったのかもしれませんね」
「戯れ言になりますが、思えば昔。
わたしを庇ってくれた方が翌日には屋敷からいなくなっていたということがあって、
内に留めることができていればその人は職を失うことがなかった と随分悔いたものです。
それから、少し間違えてしまっていたようです。
少なくともこの学園ではそんなこと起こり得ないのに、変ですね」

凝り固まった思い込みは本来の形とは外れて、しこりになっていたらしい。
ここはあの広くて狭い屋敷の中ではないのに。
洗い流すために誰かに聞いてほしいという我が儘だけで語ってしまったのを、
仙蔵君が掬い上げるように言ってくれた。

「真珠さんを庇ったその方は、悔いていないかもしれませんよ」
「え?」
「己で判断したことでしょう。
職を失っても、私なら自分の心に従ったことを悔いません」
「そう……でしょうか」

そんなこと、考えたこともなかった。
加害者のわたしが、考えられる立場でもなかった。
わたしは、本当に"加害者"だった……?

「わかりません。人の幸不幸は他人にはわからないものです。
けれど、わからないことならいいほうに考えたほうが得ですよ」

その言葉に、ふわりと心が軽くなるのを感じた。
わたしはどこまで救われてしまうんだろう。

「そうですね、真珠さんは気負いすぎなんです。綾部でも見習ってください」
「ふっ、それは……楽しそうですね」

飄々として、自分の心に従って。
そんなふうに生きるコツを聞いてみたい。



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