15.ここから始めよう。



足を痛めたわたしは、安静にするためしばらく医務室の隣の部屋に入院(寝泊まり)することになった。
最初は辞退しようかと思ったが、少し動くだけで激痛が走り、
とても毎日くのいち教室と行き来できそうになかったから、承知せざるをえなかった。
伊作君には悪化させた自業自得と言われてしまった。
とんだお荷物を置いてもらっている。
仕事の邪魔になるかしら と問えば、怪我人が何言ってるんです と返された。

くのたまの子達が着替えなど荷物を運んでくれて、布団を敷いて世話してくれて、何か困ったことはないかと聞いてくれる。
人の世話をするというのも、勉強の一つなのだそうだ。

わたしが布団に横になっている隣の部屋では賑やかに保健委員会の活動が営まれている。
今日の当番は左近くんと数馬くんらしい。
賑やか、というのは物が落ちたり倒れたりする音や悲鳴が主で、
薬棚をひっくり返したり浮いた床板に躓いたりと、本当に不運なんだなぁと感心するほどだ。
盗み聴きのようで気が咎めるけど聞こえてしまう。
一度顔を出してくれたけど、ずっといると落ち着かないだろうと言われてふすまは閉ざされている。
音だけが聞こえるというのもそわそわするものだけど、みんながわたしを気にせず活動に励めるというのも大事なことだ。

過敏になった聴覚は次に、多くの足音が近づいてくるのを察知した。
ドタバタととりあけ元気な足音は、一年は組のよいこたちだ。
遠慮なく開けられる戸。

「真珠さーん、だいじょうぶですかぁー!?」
「お見舞いに来ました!」
「何があったんですか?」
「来てくれてありがとう。大丈夫。少し足を痛めてしまってしばらく入院なんだけど、痛みももうないの。みんなは今授業が終わったの?」
「実習帰りなんです!」
「また足痛めたって、大変じゃないですか!?」
「うん。でも自業自得だから、仕方ないのよ」

愚かさによって勝手に悪化させた自分が恥ずかしい。
無垢な笑顔に囲まれ、騒ぎにしてもらって申し訳ない気持ちが強い。
落ち込んだ気持ちが伝わったのか、慰められる気配がある。

「おやつ食べますか?」
「なめさん見ますか?」

しんべヱくんに大福を差し出されて、きゅうっと胃が震えた。
はしたないと思いつつ、空腹に気づいたからには頂こう。

「ありがとう。いただくね。喜三太くんはなめさんの紹介をしてくれるの?」
「はい! こっちがなめ蔵で、こっちがなめ子で……」

大福はもっちりとして甘い。
ナメクジを一匹ずつ指先に乗せて見せてもらっだけど、すぐには区別できる気がしなかった。

「ひ、姫! これもどうぞ。裏山に咲いてた花です!」
「ありがと……うん?」

聞き間違いかな?

「ひめぇ? 真珠さんのこと?」
「あ……間違えた。七松先輩がいつもそう呼んでるから」

金吾くんはこへ君と同じ体育委員会だよね。
こへ君は本人がいないところではいまだに「姫が……」と話しているのか。
しかも伝染してるらしい。頭を抱えたくなる。

「綺麗なお花ね。でも、ええと、その呼び方は、まぎらわしいからやめてって言ったの……。こへ君にわたしから話してみるね」
「そうなんですか。ぼくも気をつけます」
「あ、おれは図書室から本持って来ました。入院中暇だろうと思って」

きり丸くんは抱えていた本をどさっと床に置いた。
前に図書室を利用したいと言ったことを覚えていてくれたらしい。
物語の本や教養書が並んでいる。
暇つぶしになるし、この時代の書をすらすら読む訓練もしたかったから、ありがたい。

「どうもありがとう。面白そうな本ばかりね。きり丸くんが選んでくれたの?」
「中在家先輩が選んだんすよ」
「そうなんだ。長次くんにもお礼を言うわね」

本当に、与えてもらってばかりだ。
長次くんは、あれから図書室に向かって用意してくれたんだろうか。
この子たちも、お見舞いにきてくれたその気持ちだけで嬉しいのに手土産まで用意してくれたり、気遣ってくれる。

「真珠さん、早くよくなってくださいね」
「うん。ありがとう。怪我治すの、頑張るわ。約束する」

もう無茶はするまい。
それはわたしを労ってくれる人たちの、温かい気持ちを無碍にすることだと、ようやく気づいたから。


夜。
しん と静まり返った部屋で、やはり耳を澄ます。
昨日までと、空気が違う気がする。
耳に残っているのは賑やかな声とあたたかさ。
足はいまだにジクジクと痛むけど、不思議なほど憂鬱じゃない。

あれから、いろんな学年の子が代わる代わる顔を見せに――お見舞いにきてくれるものだから、退屈する暇がなかった。
保健委員会の活動を妨げていないだろうか、わたしなんかに時間を取ってもらっていいのだろうか、と申し訳ない気持ちもあるけれど、
それ以上に、どうしようもなく嬉しかった。
こんなにみんなに気にかけてもらっていた、と胸が熱くなった。

こちらに来る前からずっと、寝る前の時間は不安を煮詰めているようなものだった。
息詰まりが一度に押し寄せてくるから、深い夜の闇には恐ろしい怪物が潜んでいる気がしていた。
今は、ただ、昼間与えられたあたたかさが、心を守ってくれる。
ここは安寧の場所だ。

夜がこうなのだから、昼間、みんながいて、
目に映るものがきらきら輝いているように感じたのは、きっと思い違いではなかったのだろう。
何もかもが美しくてみずみずしい。
どこかに閉じ込められているのじゃなくて、広い。どこまでも果てしないところまで繋がっている。そんな気がする。
ようやく目を開けて、今初めて、外の空気に、世界に触れたような、そんな気がする。
きっと孵化したての雛のようなものなんだろう。
ぐちゃりと潰されることなく、固い殻にヒビを入れて、外に出してもらった。

きっと外から見たら些細なことなのに、何もかも違う。
生まれ変わったような気分だった。
ここから始めよう。
今日、生まれて、これからを歩いていこう。

眠りに落ちても、悪い夢は見なかった。

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