一昔前の漫画やドラマで、"これ食べて!"と突然弁当を渡し去っていく女子がよく出てきた。それを"健気だ"とか"可愛い"などといった評価がされるが、いきなり弁当を押し付けられても、嫌いもしくはアレルギー反応が出る食材が入っていたらどうすれば良いのだろう。そもそも男だって自分で昼飯を持ってきているはずだ。いくら成長期とはいえいきなり二人前食えというのも無茶な話である。そんなことをちっとも考慮しない"これ食べて!"をやってくる女子は、実は身勝手で、ただ好きな相手に弁当を作った自分に酔ってるだけではないだろうか。
なんてことを思いながらも所詮はお話の世界。作り話なのだから、いちいち気にしてはいけない。
俺が時計を見ると後十分で四時間目が終わるような時刻だった。国語の教師が話している言葉は耳に入ってこない。こっちは朝練やって疲れてんだよ早くしろ、そんな風に心の中で悪態を吐きながら授業が終わるのを待つ。

「最近は告白も呼び出しメールなんですね。ラブレターの文化はほとんどないみたいで寂しいです。でも、逆にこんな時代だからこそラブレター書いたりお弁当作ってあげたらそのギャップで男の子は喜ぶんじゃないでしょうか」

今授業でやってる恋愛小説のせいで先程から教師はこんな話をしている。いやだから弁当は迷惑だろ、と心の中で突っ込んだ。

授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、皆一斉に動き出す。育ち盛りの高校生にとって、四時間目は空腹との戦いだ。

自分のクラスは女子のグループにほぼ占領されてしまうため、俺は席を立つ。
自分が移動しなければならないのは少々癪だが、こんな煩い部屋で昼休みを過ごしたくなかった。

「不動」

鞄を手にしたとき、クラスメイトに声を掛けられた。そいつは顎で教室の入り口を見るように促す。するとあまり見覚えのない女子が立っていて、俺と目が合うと軽く会釈した。

「てっきり俺かと思ったじゃん」

クラスメイトは羨ましさと悔しさを込めたような声でそう吐き捨てると去っていった。仕方なくその女子のところへ行き

「何?」

と聞いた。
すると小柄な身体をプルプルと震わせながら
"ちょっと来てください"と言われ、言われるがままに階段の踊り場までやってきた。すると彼女は人がいないのを確認し、

「あ、あの私前沢由花梨です。その、よかったら食べてください」

弁当を渡してきた。



*



「へー、お前って結構モテるんだな」

コロッケパンをかじりながら、佐久間は興味なさげにそう言った。

自分が当事者になるなんて予想もしていなかった。こんなの迷惑だと思っていたけれど、実際に貰うと断れない。
だが俺は弁当をもらったはいいものの、どうすることもできず佐久間にメールを送りつけた。今日は一緒に食べてほしいと。
二人きりで食べていれば外野が煩いのは目に見えていたから、俺と佐久間は付き合っていながらも、昼休みは別々に過ごすのがルールのようになっていた。それを破った上、人が絶対来ないであろう立ち入り禁止の屋上に呼びつけられたものだから、当然不思議そうな顔をしていた佐久間であったが、可愛らしいピンク色のバンダナで包まれた弁当箱を見るとすべてを悟ったようだった。

「今時こんなことする奴いるんだ」

俺たちが屋上と呼んでいる場所は、厳密には屋上の入り口前だ。生徒が無許可で屋上に入ることはできない。そしてその入り口も、本当は立ち入り禁止だ。
掃除もろくにされていないこの埃っぽい場所で、佐久間は弁当箱をひたすら眺めていた。そして、

「これどうするんだ?」

と聞いた。

「食うわけにもいかねぇだろ」

流石に恋人の前で女子からもらった弁当を食べるほど、俺は図太くない。

「捨てるのか?」

「……それもよくねぇだろ向こうだってわざわざ――」

佐久間は俺の言葉を遮るように弁当の包みを空け、蓋を取った。すると色とりどりの可愛らしいおかずが顔を出す。いかにも女子が作ったような弁当だった。

「見た目よし」

突然訳の分からないことをいいながら佐久間は卵焼きを口に運んだ。俺が呆気に取られているうちにおかずはどんどん減っていく。

「佐久間」

「ん?」

「何でお前が食ってんの?」

「捨てるのは勿体ないだろ。食材に罪はない」

平然とそんなことを言ってのけ、佐久間は再び弁当を食べる作業を開始させた。

こういうところだ。
俺は佐久間の、こういう嫉妬に縁のなさそうな性格が嫌なのだ。
普通なら怒って弁当を捨てたり、こんなものもらってくるなと怒鳴ったっていい。それを勿体ないなんて言って食べる事にものすごく苛立ちを覚えた。勿体ないは自分の台詞であり恋人の佐久間が言う言葉じゃない。

佐久間は中学の時からよくモテた。女にではなく同性である男に。
高等部から新しく入ってきた奴らも佐久間を見る目は特別なものだった。
鬼道は雷門へ行ったきり戻ってこない。だから今のところ俺が心配するようなライバルはいない。しかし佐久間のことだ。突然訳の分からない奴を好きになったなんて言うかもしれない。そして、いつそれが訪れて、佐久間に別れを告げられるかもしれない。

何故自分だけこんなに不安にならなければならないのか。そう思うと時々腹が立つ。だけど余裕のないところなんてダサくて見せられない。そこでちょっとした悪戯も兼ねてこんな弁当をわざわざ見せたのに、佐久間は平然としている。全く面白くない話だ。

ひょいと佐久間から弁当を取り上げるとなにするんだと少し怒ったような声で不満を漏らした。
佐久間はこう見えても結構食べる方だ。だから食べ物を取られて怒っているのだろう。
佐久間の頭を軽く叩き、残っていた唐揚げを一つつまんだ。
すると佐久間は俺の手首を乱暴に掴み、唐揚げを持っていた指先に噛みついた。

「バカ!何すんだよ」

「お前がいきなり横取りするからだ。おまけに唐揚げ取るなんていい度胸だな」

「いやしい奴……そもそもそれ、俺がもらったやつだし」

結局俺は一口も食べることができなかった。





*



昼休みにいきなり呼び出されてなんだと思えば、女子が作った弁当を見せられた。
ここまで不愉快極まりない昼休みはないだろう。
何でこんなものをもらってくるんだと言いたいところだが、そんな女々しいことを言えるはずもなく、俺は弁当の処理を聞いてみた。
すると食べるでもなく捨てるでもない、曖昧な答えが返ってきて、それは俺をより不快にさせた。

なんだこいつは


帝国学園の中等部は男子校だ。ところが高等部は外部から女子も入ってきて共学へと変わる。だけど俺たちは内部生だから、高校生になっても自分の生活が変わることなど特にはないと思っていた。
しかし、それはあまりにも誤算だった。
中学と高校で大いに違ったもの、それは不動を見る周囲の人間の目だ。

"サッカー部の不動君って、かっこいいよね"

お前らはそれしか言わないのか、と突っ込みたいくらいこの言葉が飛び交った。あんなに小柄だったくせにいつの間にかぐんと背が伸びて、奇抜だった髪型も落ち着いたものとなっていた。そんな頃から、不動は異常なまでに女にモテ始めた。
源田みたいにみんなに分け隔てなく接するクラスの中心タイプでもないくせに不動は人気がある。あいつのどこが良いかなんて俺には分からない。

始めのうちは気にしなかった。不動に好意を持つ女子は、気が強く、派手な奴が多かったからだ。
不動は何故だかケバい女が嫌いだった。興味ないとか好きじゃないとか、しつこいとウザいから消えろとまで言うこともあった。
だから俺もそこまで気にせず、中学時と変わることもなく、不動の恋人というポジションに収まっていた。
ところが、不動を好きになる奴はそういうタイプだけではなかった。
控え目で大人しい、清楚系の女子もたまに不動を好くことがある。
不動が時折見せる優しさなんかに落ちてしまうらしい。

それならそれで可哀想だけど切ない片想いでもしていればいい、と思っていてがそうもいかなかった。
不動はこういう大人しい女子にはめっぽう弱かった。告白も中々断れず、実際に何度か面倒なことに巻き込まれている。
不動曰く断ろうとすると泣かれるらしい。それが困るとか苦手だとか、俺に言ってくる。
感情剥き出しで泣きわめく奴を見ると冷めるのに、さめざめと儚げに泣かれると放って置けなくなるそう。
そんな話をされて楽しいはずがない。不動は真剣に悩んでいたけれど、俺は苛々してしょうがなかった。じゃあそうやっていちいち泣く奴と付き合えばいい、心のなかで毒づきながら適当な相槌を打っていた。

不動はきっとおしとやかで守ってあげたくなるような女の子が好きなんだろう。
だから俺みたいな奴と付き合ってるのが理解できなかった。俺のことに興味はないと思う。どう考えたって俺は不動のタイプではない。
なのに、前から俺のこと好きだと言ってた奴とカラオケ行くって言ったらふざけるななんて怒るものだから、俺は不動が分からない。


本人に似て、可愛らしい見た目の弁当に手をつける。

「佐久間」

「ん?」

「何でお前が食ってんの?」

「捨てるのは勿体ないだろ。食材に罪はない」

不動が食べるくらいなら俺が食べてやろうと思った。それにこんなことをしてくる奴が本当に料理上手なのか、知りたかった。

卵焼きはふんわり焼き上がっていて、優しい甘さが口の中に広がり、とてもおいしかった。不動の為に作ったものでなかったら、満点をあげたくなるレベル。

「前沢さんって確かF組だよな」

「そうなのか?」

「もしかして知らないのか?ほら、バド部の前沢さんだよ」

「いや、知らねぇ」

「高校生活も半分切ってるんだからもう少し名前覚えろよ」

「は?ここ何組まであると思ってんだよ」

別に俺は学年全員の名前を把握しろなんて言っていない。ただ目立つ子の名前すらも覚えてない不動は色々問題がある気がする。
興味がないのだから仕方ないけれど、そのせいで不動は告白されてもまず"お前誰?"と聞いて女の子を怒らせたり泣かせたりしていた。
前沢さんは謙虚な性格があったお陰で名乗ったからまだ良かった。
だが自分の名前を知っているだろうと思っていた女子が告白してきたときや、ずっと不動にアプローチしていたのにも関わらず不動が名前を覚えていなかったときなんて最悪だ。酷い、と言って静かに泣き、大人しい子に弱い不動は放って置けず、不動なりに泣き止むように説得する。しかし告白を断られるどころか名前すら認知されていなかったことに傷付いた女の子がそう簡単に泣き止むはずもなく、不動は部活に来れない日まであった。そんな、いきなりモテ期が到来した不動を、辺見たちは面白がっていたけれど、俺としてはただのストレスでしかない。

ブロッコリーをかじりながら、こんな奴にこんな素敵な弁当を作ってしまう前沢さんに同情したくなった。可哀想に、不動なんかよりもっと優しい奴なんか山ほどいるのに、と。

前沢さんは清楚な女の子が好きな男子からはとても人気があった。染めていない艶々としたストレートの黒髪や、透明感のある色白の肌、丁寧な言葉遣い、そして控え目な性格は確かに俺でも好感が持てた。そんな人だからこそ自分を好いてくれる人と付き合えばいいのにと思ってしまう。前沢さんを好きな人だって多い。

不動はどう思ったのだろう。今回、弁当をもらって心が動いたかもしれない。
そう考えるとやっぱりムカついた。不動にも、前沢さんにも。
俺が不動に弁当を作ったってオカマだ気持ち悪いと囃し立てられるだけだろう。それなのに前沢さんは女子だから可愛いと言われる。女って狡い。

不動が勝手に唐揚げ食べようとしたから、その指ごと食べてやると明らかに不満そうな顔をした。
男同士で女の弁当を取り合うとはかなり異様な光景だ。
それでも一口だって食べさせたくない。悔しいけどこれは嫉妬だ。男としてどんどん魅力的になっていく不動に、焦燥感を抱くことだって少なくない。でもそんなこと情けなくて言えないから、俺はあえて余裕のある振りをする。所謂本妻の余裕みたいなやつかもしれない。だけど本当は、恋人になれたとしても、一生、不動の妻になることなんてできない俺は、不安で堪らなかった。

完食すると俺は弁当箱を片付け、元通りバンダナで包み直した。丁度予鈴が鳴ったら、俺はその弁当箱を自分の手提げに押し込んで腰を上げた。

「じゃあまた部活のときに」

「お前、それ返せよ」

「いいからいいから」

不動の文句も聞かず、ヒラヒラと手を振って俺は階段を降りた。そうなれば不動は追いかけてはこない。二人同時に出てきたところを見られたら困るからだ。けど、今の俺は正直そんなことどうでも良かった。
もうバレてもいいやってくらい。

次の時間は家庭科で和菓子作りだったから、先生にバレないように流し台でピンクの弁当箱を洗っていた。
同じ班の辺見が驚いた顔をしていたが気にしない。きれいに隅々まで洗って、最後に乾いたそれをまたきちんとバンダナに包んだ。


授業が終わると部活の時間だ。普段はすぐ部室に行くけれど、今日は用事がある。
F組まで足を運ぶ間に何人かに声を掛けられたが適当に流して教室を目指した。
前沢さんを呼んでくれと頼むと教室が少しざわついた。しかし今はそれどころではない。
人気のない教室までついてきてもらい、ドアをピシャリと閉めた。

前沢さんは俺が呼んだ時から怪訝そうな顔をしていた。そりゃそうだろう。彼女が待っているのは不動なんだから。
黒髪に映える白い肌はとても綺麗だった。それはもう、羨ましくて泣きそうになるほどに。
呼びつけたとき、ちょっと可哀想かなと思ったけれど、その気持ちも吹き飛んでしまった。

俺はすごく嫌な奴だ。きっと今、ものすごく酷い顔をしていると思う。

「どうしたの?佐久間君」

やっぱり前沢さんは気の毒だ。あんな奴に惚れてしまって。不動明王という男はお勧めできない。
何故なら俺みたいな性悪の嫉妬深い恋人がいるからだ。
俺は弁当箱を出して、にこやかに笑った。

「お弁当、結構おいしかったよ。でも不動はトマト嫌いだから入れない方がいい。それと、あいつはしょっぱい卵焼きの方が好きだから」










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