二人の高校卒業後の進路捏造してます






生活力というのはどこで身に付けるものかと聞かれたら家庭だと答える。
少なくとも学校でやる家庭科の実習は何の役にも立たない。寧ろこれは、今まで家事をしてきたかどうかをはっきりさせるだけのものだとも思う。
大抵の学生は、男女問わず教師の話をしっかり聞いてプリントをちゃんと読めば、並み程度にはこなせる。しかしそれは授業を真面目に受けているからではなく、家庭で家事を教わっているからだ。別にいつもではなくても、たまに手伝いをする程度でもやったかやらないかの差は大きい。
また、不動のように家事をやらざるを得なかったとか、単にそれが趣味だったとか、今流行りの"女子力"や"家庭的な男"という言葉に影響されて練習していたとか、一部のそのような奴らは、特に話を聞かずとも、いつもの通りやれば良いのだから他の生徒とは当然手際が違う。
あまり勉強が得意でなかった不動も、家庭科の成績はとても良かった。
不動自身は日常的にやっていることだった為、当たり前の事をして良い評価がもらえることに少し不思議な気分であったが、実習中、周囲のクラスメイトを見れば納得できた。
馴れてないんだな。一言で言えばそんな感想。同年代の多くは、親が大半の家事をやってくれて、時たまその手伝いをする程度だということは分かっている。だからこれが普通なんだと思っているし、自分ほど上手くできなくても別に軽蔑もしなかった。
彼らは最低限の事ならできるのだ。手際が悪くても手伝い程度でも家事をやったことがあるから。少しは手早くやれよと思っても許容範囲だった。
それより問題なのは、本当に家事のできない奴。極稀にいる。
家で包丁を握った事がないどころか台所に立ったことすらない。洗濯も裁縫もやったことがないのは言うまでもない。やる必要のない環境で育つというのは恵まれていそうに見えるが却って恐ろしいことだと不動は彼を、佐久間を見て実感した。
彼は不動とは逆で学業の成績は目を見張るほど優秀だった。有名な私立進学校で定期テストは勿論模試だって輝かしい成績を修めている。
それなのに家庭科の授業になれば包丁や裁縫針での怪我は当たり前。適量の意味が理解できず、大量の塩や砂糖を投入する。鍋に水を入れて火にかけろと言ったら火のついたコンロに直接水をぶっかけた。
元々変な奴だという認識はあったが、不動がFFI後に帝国の中等部に編入、そして高等部に進学した後も、佐久間自身の事は分かっても彼の奇行だけはいつまでたっても分からなかった。
天然といえば天然だ。しかし悪く言えば常識はずれである。これで勉強だけできるところが逆に始末に悪い。佐久間は馬鹿だが頭自体は馬鹿ではないのだ。

だからそんな佐久間の高校卒業後の進路を聞いたとき、不動は佐久間が実に恐ろしいことを決断したと思った。

「俺、アメリカに留学するんだ」

いつもと変わらない笑顔で佐久間はそう言った。不動が大学には行かずにヨーロッパに行くことはその前から話していた為、離ればなれになってしまうことは既に決まっていた。だから恋人が遠くへ行くなんて寂しいとか、一緒にいられなくて辛いとかそんな事で恐怖したのではない。
佐久間が一人立ちするのが恐ろしいのだ。

「何でわざわざ留学するんだよ。日本の大学行けばいいじゃねぇか」

「俺は行きたいところに行くんだ。アメリカにどうしてもここで学びたいって学校があってさ」

佐久間はここ、と不動に大学のパンフレットらしきものを見せた。しかし今はそんなものを見ている場合ではない。
佐久間のことだ、入試はそこまで難しくないものの、卒業がものすごく大変と言われる海外の大学へ行っても落ちこぼれることはないだろう。だがそれ以前の問題だ。佐久間は一人で生活なんて出来ないのだから。

「お前、自分が一人暮らしできると思ってんの?」

「多分なんとかなると思う」

「なる訳ねぇだろ!悪いこと言わねぇから実家から通えるとこ行け。それかせめて国内にしろ、日本から出るな」

国内なら佐久間を溺愛している彼の母が、東京に大きな会社を持つ夫をほっぽり出して北海道だろうが沖縄だろうが佐久間を追いかけ面倒を見るだろう。それに日本にいるなら何があってもすぐに夫の元へ行ける。負担はかかるが社長の妻としての責務を果たすことも可能だ。
しかし流石に海外は無理だ、限界がある。母親の負担が大きすぎるしそれは佐久間も望んでいない。
両親は説得できたのかと聞けば、始めは泣かれたが本当に行きたいなら行けばいいと言ってくれたと答えた。
やはり過保護だろうと、可愛い一人息子にはとことん甘いのだ。心配でも佐久間が行きたいと言えば行かせてくれる。それが佐久間の親だ。
不動としては意地でも引き留めておいて欲しかった。佐久間の両親は彼が一人暮らしなんてできると思っているのだろうか。
もしかしたら佐久間本人と同様に"なんとかなる"なんて能天気に考えているのでは――
両親が駄目なら自分がなんとかするしかない。不動は佐久間に説得を試みたが佐久間から返ってきた言葉は

「嫌だ」

の一言だった。
佐久間は意外に頑固な部分もあるのだ。こうと決めたら中々折れない。それが良く出るときもあればこうやって悪く出るときもある。

「俺は行くって決めたんだ。だから口出ししないでくれ」

「だからお前さぁ……」

「大丈夫、寮で暮らすから」

どこが大丈夫なのだろうか。確かに日本のように治安の良くない外国へ行けばそれ相応の危険が待ち構えている。それなら寮の方が安全だ。だが不動はそんなことで気を揉んでいる訳ではない。寮だって自立していなければ意味がないのだ。家事は自分でやらなくてはいけないし、そこのところを佐久間は理解しているのだろうか。
佐久間が自分の元を離れて変な虫がついたらという心配なら、自分の進路を決めたときに充分した。それは今もこれからもするだろう。今だって漠然とした不安を抱いている。寮なら襲われても却って見付かりにくいかもしれない。佐久間のことだ、家事をやった代わりになんて変な風に迫られることもあるだろう。もしそんなことがあったら……

「やっぱり行くな」

「……あのさ、俺は相談してるんじゃない、報告に来たんだ」

いつも何を考えているのか分からない変人で、よくドアや壁に体をぶつけるようなどじ。そんな佐久間もこういうときはその美しい顔に相応しい、凛々しい表情をしている。そして、その顔できっぱりと、いつもは完全に主導権を握られてしまっている相手に自分の言葉をぶつけた。
デキる女は可愛いげがない。しかし何もできないへなへなした女はつまらない。不動がいつまでも佐久間に拘るのは、佐久間という人間に飽きないからだ。

この日はいつになく佐久間は頑固だったし不動もいつも以上にごねた。端から見たら別れ話のようにさえ見える。
佐久間の表情は変わらない。変わらないのは意志を曲げる気がないのと同じだ。
不動はこれで最後にしようと、もう一度だけ行くなと言った。

「そんなに俺が行くの嫌なのか」

「嫌というより心配なんだよ」

「大丈夫、留年しないように頑張るから」

「だからそっちじゃなくてさ」

段々話が堂々巡りになってきたことに気付いてないわけではない。さっきから論点を戻しても戻してもずらされる。もしかしたら佐久間はわざとやってるのかもしれないとすら思った。彼は頭の良い馬鹿だ。馬鹿な振りして不動の気持ちをコントロールする事だって可能である。もう駄目だ。これは佐久間の勝ち。そもそもただの恋人にしか過ぎない不動が説得しようとしていた時点で無意味であったのだ。






結局佐久間はアメリカに、そして不動もドイツへと飛び立つことになった。
不動は佐久間より先に出発していたが、ドイツへ来て早々佐久間の心配をしていた。
取り敢えず自分にはどうもできないため、日本にいる間にお袋さんから色々習っておけとだけ伝えておいたが不動の心配が消えることはない。周りの人間に言い寄られたらなんていう不安にプラスして余計な悩み事が増えてしまった。

不動自身はと言えば特に困ったことはない。練習は大変だが充実しているし、女性からアプローチを受けることは多々あったが全部適当に流していた。
気の合う友人も少しではあるができ、佐久間の事を気にしながらも楽しく過ごしていた。
そんな日常が続いた後、佐久間も旅立つ日を迎えた。そしてそれからというもの、佐久間からしつこいくらい電話が掛かってきたのだった。

内容はといえば、靴下を逆さまに干したら伸びてしまったとか、洗剤の入れすぎで洗濯機がおかしいとか、取れてしまったボタンが上手く付けられないとか、そんなものばかり。

言わんこっちゃないと思ったが、そこで対処法を伝えてしまう自分も愚かだと自嘲した。
両親だけでなく不動も佐久間には甘いのだ。

しかしそれが何度も続くと、元々"優しい"という性格からはほど遠い不動は苛立ちを覚えるようになった。
そもそもアメリカとドイツではかなりの時差がある。不動と佐久間の所在地の時差は半日以上だった。
それなのに佐久間は電話を掛けてくる。しかし不動が練習している時や寝ているような時間には絶対に掛けてこない。この辺りに常識があるのかないのか多少判断が鈍るところなのだが不動はなんの躊躇いもなく"常識がない"の烙印を押す。

「佐久間、お前時差って知ってるか」

「勿論だ。そんなの中学で習ったじゃないか」

もうこの返答自体がおかしい。やっぱりこいつは馬鹿だ。この時不動は友人と昼食を取っていた。不動の友人は二人のやり取りを聞いて笑っている。

「お前が夜でもこっちは真っ昼間なんだよ」

「だから練習時間や就寝時間は外してるんじゃないか」

どこかヒロトや吹雪に似ているその友人は、小声で"明王の彼女やっさしーい"とニヤニヤしながら呟いた。そんな友人の頭を小突きながら用件を聞くと佐久間は

「部屋に変な虫が出たんだ」

と答えた。

「変な虫ってなんだよ男か?」

不動の言葉に友人は吹き出した。

「違うって。でも壁に張り付いてるんだ。気持ち悪いしどうしよう」

「知るか、殺せ!そんな事で電話すんなよ金と時間の無駄だ!」

不動は、"分かった"と少々嫌そうな佐久間の声を聞くと通話終了のボタンを押した。
そういえば学生時代、一人で部室に残ってデータをまとめていたら虫が出たとかで半泣きになりながら呼び出されたこともあったなと思い出し、隣で笑い転げている友人の頭をパシッと叩いてから食事を再開した。




練習が午後のみという日もある。そんな日の午前中は、一人でのんびりと過ごしたいと思っていた。佐久間とはメールで大まかなスケジュールを伝えあっていた為、今日のことも知っている。不動の人間性を理解している佐久間は無駄に依存しない。暇なら構ってなんて粘着的なこともせず、不動の自由な時間を尊重していた。
何もなければ――

不動の有意義な時間は携帯電話の着信音によって一気にぶち壊された。
画面に映る"佐久間次郎"という名前に溜め息が出る。
それでも無視はしない。ああ自分はなんて愚かしいんだと思いながらも、ものすごく不機嫌な態度になりながらも、電話には出る。

「なんだよ」

「あのさ、ジャガイモから芽が出てるんだけどこれって食べても大丈夫かな?なんか不気味な色だからさ」

ここまでくると呆れて何も言えない。この年になってジャガイモの芽がどういうものかも知らないのかと言いたいところだが、今さら説教をするつもりはない。佐久間に常識を求めてはいけないのだ。
だがいい加減腹が立ってきた。いくら恋人とはいえこんな下らない話の為に大切な休息の時間を侵害されるのは堪ったものじゃない。

「そんくらい自分で考えろよ馬鹿!」

不動はそう怒鳴り付けて、初めて佐久間の声を聞かずに電話を切った。
腹でも壊せと心のなかで毒づいて、読んでいた雑誌のページに再び目を通し始めた。
しかし佐久間の事が気になって、先程から雑誌を捲る手が止まっている。
きっと誰かに聞いて芽は取っているだろう。そう言い聞かせても気になって仕方がない。
でもこちらから電話をかけるのは癪だ。まるで自分が心配しているみたいじゃないか。今更そんな意地を張るのも滑稽だが兎に角嫌だった。
電話を切ってから十分が経つ。その間、不動は雑誌を閉じて携帯電話とにらめっこをしていた。

これではもう一人の時間どころではない。完全に、佐久間の為だけに無意味な時間を消費している。悔しさと敗北感の入り雑じった気持ちになりながらも、不動は諦めて佐久間に電話を掛けた。

「あ、不動か?お前から掛けてくるなんて珍しいな」

「おい、ジャガイモの芽はどうしたよ」

「ああ、それなら今食べるとこ。炒めて塩振ったらなんか美味しそうになったぞ」

「やめろ!絶対食うな!早く捨てろ馬鹿野郎!」

呑気な自分の声に反して、切羽詰まった不動の声を聞いた佐久間は驚いて不動の言う通りにした。

「それ猛毒だからな、食ったら病院送りだ」

「そうなのか、良かった。不動、教えてくれてありがとな」




結局不動は佐久間に甘いのだ。佐久間が駄目になると心を鬼にしたところでなんの意味もない。
しかし佐久間はジャガイモ事件の後、気を付けると言って電話を掛けてこなくなった。
すると今度は電話が来ないことにストレスを感じるようになってしまった。朝も昼も夜も携帯電話の着信を気にするようになり、友人から"最近彼女から連絡ないね"なんてからかわれたら尻に蹴りを入れる。
恋人の着信を気にするなんて女々しいと自分に苛立ち、メールで"自立した気になるな馬鹿"と送ったらその日に電話が来た。
そうなれば佐久間にこちらの気持ちを見透かされているのが気に食わなくて"電話すんな鬱陶しい"と電話越しに文句を垂れる。
そんな不動が、佐久間の留学先で出会った女友達に"顔は良いのに死ぬほど面倒な束縛彼氏"と言われていたのを彼は知らない。

佐久間は面倒くさい。よく付き合っているなと不動自身不思議に思うくらいだ。
けれど不動だって素直じゃなくて、おまけに乱暴で、佐久間と同じくらい面倒くさい人種だったのだ。
だからこそ気が合うのかもしれないと不動は思う。不動の面倒くさいところを佐久間は嫌がらないように佐久間の面倒くさいところを不動は嫌がらないのである。

佐久間が変な意味ではなく、優秀な学生として教授に気に入られたと聞いたときは心から喜べた。話を聞く限りでは、相変わらずおかしな事をしているようだが楽しそうなのでそれもよしとした。

ところで、二人は何となく好感がもてず友人らに誘われても断っていた、通話機能が付いているSNSのアカウントを取得した。
理由は勿論いちいち携帯で話していたら、通話料が大変なことになるからだ。佐久間が留学して1ヶ月が経った頃、彼の元に恐ろしい額の請求書が来たらしい。このときは流石に普段息子に甘い両親も怒って佐久間は思いきり説教を食らい、すぐには払えないからということで出世払いだと言われた。厳密には不動も反省し、二人で払おうと決めたため、二人の出世払い。始めからこうすれば良かったな、なんてスッキリ全額支払ってしまった頃には笑い話になっていた。
佐久間が自分で調べれば分かるような事すら不動に聞いたのは、佐久間自身よく分かっていなかった。ただ、邪魔はしたくないけれど声は聞きたくて、依存とかではないけれど不動を近くに感じていたかった。そんな思いが佐久間に電話を掛けさせたのだ。しかし本当の理由は恥ずかしくて言えないから、それなりの理由を取り繕って誤魔化した。
それに佐久間が気が付いたのは、そして不動が知ったのは、お互い日本に戻ってきて、一緒に暮らすようになってからだった。
佐久間も面倒くさい。そして不動も面倒くさい。本当に面倒くさい者同士の恋愛だ。

端から見たら間怠っこくて歯がゆくて、苛々するのかもしれない。けれど二人とも、遠回りや擦れ違いは昔から慣れっこだった。

似た者同士、これからもお互いの七面倒な部分を快く受け入れるだろう。
それが不動と佐久間の、二人の愛の形なのだから。











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