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 部室で着替えていた最中、進路希望調査票に『スーパースター』と書いた阿呆が六組いるという噂話を小耳に挟んだ。あー、うちのクラスだな。ふ、と口許が弛む。スーパースターはないだろ、さすがに。


「それ書いたの、わたしだよ!」

 にこにこ顔で言い放ったのがなまえでさえなかったら、ただの可笑しな噂で済んでいたのに。

「いやあ、やっぱりせっかく生まれたなら、目指すべきはスーパースターでしょ」
「……いや、やしがなまえ、進路希望ってのはもっと具体的な目標を書くもんさぁ」
「ええー? じゃあさ、知念は何て書いたの」
「わんは普通に……第一から第三志望の高校」
「つ、つまんなっ! 嘘ぉ……マジか。」
「わーの台詞なんばぁよ、それ」

 知念がそんなにつまらんことを書くとは思ってなかった! と何故か憤慨しだすなまえ。こいつとの付き合いは短くないけれど、次に何を言い出すのやらいつも予想がつかない。そういった部分に俺は惹かれ、去年こいつに思いの丈を打ち明けたのだ。
 入学当初から、とかく目立つやつだった。特別容姿が端麗なわけでも成績が優秀なわけでもなかったが、なぜだか人を惹きつける雰囲気がある。他人の感情の機微に敏感で、誰にでも分け隔てなく明るく優しい。たまに何を言っているか分からず呆れることも多いけれど、どんなに腹が立つことや気落ちする出来事があってもなまえと話していると自然と笑顔になれた。

「あ! そうそう、今日なんだけどね、進路希望書き直せーって先生に放課後呼び出しされちゃったから一緒に帰れないかもだ。ごめんー!」
「いや、気ぃさんけー。待ってる」
「えー? そんなの悪いって!」
「やー、いつもテニス部終わるの待っててくれてるだろ。それの逆。たまには、わーにもなまえぬくとぅ待たせてくれ」
「うーん……わかった!」

 ありがとね、埋め合わせは絶対します! そう朗らかに言い、丁度なり始めたチャイムでなまえは自分の席へ帰って行った。

 次の授業は俺の苦手な地理。
 教科書に赤線を引きながら、呼び出しを受けたなまえが進路希望をどう書き直すのか考える。結局どうにも思いつかず、その一時間はついに終いまで上の空だった。

 翌日。なまえは担任に相当絞られたのか、いつもの能天気なへらへら笑いは見る影もなかった。どんよりした空気を纏い席に座って頬杖をつくなまえをクラス中の人間が心配したし、勿論俺もそうだった。「おはよう知念! 調子はどうー?」そう言って突き飛ばさんばかりに背を小突いてくるあいつの挨拶がないと、俺はもう一日が始まったという気にすらなれないのだ。

「…えぇ、大丈夫か?」
「ねえ知念、スターってなんだろうね……」
「あいえなー、まだうぬ話してるのか……進学じゃ、駄目なんばぁ?」

 昼休みは屋上へ上がる階段に座り、二人で食べるのがいつからかのお決まりだった。なまえの口のまわりにくっついたメロンパンのカスを指で拭ってやり、なまえの考えに耳を傾ける。
 ただの高校に進学するぐらいだったら面白いことしたい。高校に通う期間だってたかが三年、されど三年。一瞬たりとも無駄にしたくないし、少しでも目標に向けて進みたい。

「ほんとはさー、知念と同じ学校、行きたいんだけど」
「……やーがやりたい事やれんのが一番だろ。何であれ、わーはなまえを応援する」
「ありがとー!」

 俺の手を取ってふにゃりと笑むなまえを見ていると、難しい問題だと頭を捻ること自体が何だか馬鹿馬鹿しく感じられる。こいつはきっと好きなようにやるし、叶うのであればそれを傍でずっと見ていたいと願った。








「知念、知念、大変たいへん!」

 二週間も丸々学校を休んだなまえは登校してくるやいなや大きな声で騒ぎ立て、クラス中から注目が集まった。ただでさえこの間の進路希望票の一件で、なまえの挙動は皆の好奇の目に晒されているというのに。休んでいた間は連絡が取れず心配と不安で具合が悪くなりそうだったというのに、何なんだ。(何度か家を訪ねたが、なまえのお母さんは意味深にニヤニヤとするばかりで、質問はことごとくはぐらかされ一目と会えないままに帰されてしまった。)

「ぬーがよ、……病気でも見つかったんじゃないだろうな」
「あはは! ぜんぜん違うって。わたしめちゃくちゃ元気だよ?」
「あい? やしが、ずっと休んでただろ。やーのあんまーは何も教えてくれんしよ……」
「ごめんてば、怒んないで!」
「……わじってねーらん。」
「絶対怒ってる! ――あのね、実はわたし、東京行ってたの」
「と……東京! 何でか」
「ふふん、これです!」

 なまえが印籠のように掲げた大きな封筒。突然の事に脳が追いつかず何がなんだか分からないが、それを見て周囲でこちらを伺っていたクラスメイトたちの声が色づいた。

「△△プロダクションって芸能事務所あんに!?」
「えへへー、そうだよ! 知ってる?」
「知ってるも何も超大手じゃん!」
「え、私の好きなアイドル△△プロ所属なんだけどー!」
「もしかして、みょうじさんそこのオーディション受けたの?」
「いえい! 大正解ー!」

 得意満面にこちらを仰ぐなまえと、色めき立つクラスの連中と、呆然としている俺。なまえは俺に話し掛けて来た筈なのに、まるで蚊帳の外だ。納得がいかない。まずは俺に分かるようになまえの口から説明してほしいところだ。

「えぇ、オーディションって何のことさー?」
「先生に薦められて、まあ多分冗談半分に言ったことなんだろうなーって思ったけど……でも、やるだけやってみよっかなって。何せ未来の大スターなので!」

 そしたら合格したんだよね、となまえ。
 いまや見物にやってきたクラスメイトたちは、なまえの周囲――俺の席の周囲、でもある――をぐるりと囲み込んでいた。そいつら全員からわっと声が上がる、正直これがなまえの持ってきた話でなければ足早に立ち去っていたところだ。何でこんな、人が集まってくるような風に仕向けて……ああ、こいつは、不特定多数から注目を浴びる行為全般が好きでたまらない性分なんだった。もう諦める他ない。 
 まるで宝石を扱う鑑定士のように丁重な手つきで、彼女は封筒から中の紙を取り出した。



【△△プロダクション主催 第8回『未来のスター発掘オーディション』合格通知書】
拝啓 みょうじなまえ様
先日は弊社主催『未来のスター発掘オーディション(高校生以下の部)』にご参加いただきまして、まことにありがとうございます。数多くの参加者の中、厳正な選考を重ねた結果、あなたを合格者と決定いたしましたことをここに通知致します。後日担当者よりご連絡を――



「……これを受けに東京に行ってたのは分かったしが、どうしてぬーんちあんねぇ長さんくとぅ休む必要があったんだよ」
「いや、あの、それがさ、」

 拱く手に誘われるまま屈んで目線を合わせれば、「合格通知が来るまで緊張しちゃって、毎日お腹が痛くって……」頬を赤らめる、なまえ。人並みに恥ずかしがる部分もあるんだな、と口元が弛んだ。俺が告白をした時だって、けろっと返事をしたくせをして。

「でねでね、みんなちょっと聞いて! なまえちゃんからの大はっぴょー!」

 さっと身を引いて、周囲に集まった烏合の衆へ一声。

「このオーディションね、合格者には賞金とかなんとか、色々貰えるんだけど……副賞のひとつとして、この事務所が運営してる△△学園の芸能科に特待入学できちゃうんです! しかも入学金と授業料が全額免除で!」

 ひと際わき上がる歓声。
 △△学園芸能科といえば、疎い俺さえも名前を聞いた事がある。
 俳優やアイドルを多数輩出している名門で、周囲の声によるとそこを出た生徒は殆どエスカレーター式に△△プロダクションへの本所属が確約されているという。

「みょうじさん凄ーい!」
「えへえへ、照れる」
「叶ったじゃん、第一志望『スーパースター』!」
「うーん、それにはまだ遠いってば」
「未来のスターって事は叶ったようなもんやっし? なー、サインくれよ!」
「えー、サインなんてまだないよー」
「あ、私もなまえちゃんのサインほしい!」


 誰か一人が言い出せば、自分も自分もと競うようになまえの前へ群がった。差し出されるノートや教科書、メモ帳の切れ端、さまざまなものへ求められるままになまえはサインを書いていく。サインとは言うものの、特徴のある丸い文字で、ただのフルネームを。

「はーい、ちゃんと並んで並んで! みんなに書くからー!」

 ああ、すっかり乗り気だ。
 








「わんには、くれないんばぁ?」
「え、」
「やくとぅ、やーの、サイン。」

 放課後、帰途につきながら訊ねた。
 クラスメイト連中のようなミーハーな思いはないけれど、自分だけもらえていないとなると気になるのが正直な感想だった。

「ほ、欲しかったんだ……」
「……うんねぇくとぅじゃねーらん」
「何それー。知念、変なの」
「変なのは、やーだろ」

 頭の中で何かが切れる音がする。
 潮騒の聞こえるこの石畳の小径はなまえと何度も通ってきた。
 来年もまたその来年も、並んで歩くのだろうと考えていた。それなのに。

「何で嬉しそうに、なんねぇくとぅあびりゆんばあ?」
「だって嬉しいもん」
ぬーが、わーと同じまじゅん学校に行きたい、だよ。やーが本土ぬ高校になんて行ったら、わったーはもう、……」
「もう、何」
「……わっさん、忘れてくれ」

 口に出すことも憚られた。
 もう会えない。呪いにも似た言葉を寸前で飲み込んで、それからはお互いにひと言も発さないまま、真っ直ぐ道を抜けた。ここまでくれば、なまえの家はもう目前だ。あと何歩進めば屋根が見えてくるか、それから何歩で玄関前にたどり着くかまで、体感で覚えている。あと十九歩。それで、今日はお別れ。恋人同士となってから、毎日繰り返してきた日常。あと十五歩。駐車場に車がない日は、この辺りでなまえが鞄から鍵を取り出す。今日は車があるので、なまえは何もなく歩き続ける。あと八歩。この辺りでなまえが、繋いでいた手を名残惜しそうに放す。けれど、今日は違った。なまえは何もなく歩き続ける。あと二歩。この辺りで、それじゃあまた明日ねと言う。けれど、今日は違った。なまえは俺の身体に腕を廻し、強く抱きしめて言った。
 
「知念にも、サイン、あげる」
「っ、……なまえ?」
「わたしが東京に行ったって、ニューヨークに行ったって、地球の裏側に行ったって、宇宙に行ったって、絶対いつかは知念のとこに行き着くもん。わたしは絶対スーパースターになりたいけど、それとおんなじぐらい、知念とずっと一緒にいたいって思ってるよ!」

 それから暫くのあいだなまえは俺を強く擁していたが、ふいに離れた。あと一歩。なまえはいつも通り、玄関の扉を開ける。

「……あい、サインは?」
「わたしが夢を叶えたらね!」


 なまえが心からやりたい事であれば、どんなものであれ俺は応援するつもりだ。
 比嘉が全国で優勝できるように、自分には何ら関係ないのに誰よりも、部員の親族よりも熱心に応援してくれていたなまえと同じように。
 閉まり行く玄関扉の前で動けぬまま、茶色く簡素に印刷された紙に記入された俺の名とその隣りに並ぶなまえの丸っこい手癖のサインなんてものを夢想して、我ながら気持ちが悪いなと自嘲した。


(スターになったらサインをあげる)
title 「深爪」さまより