×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



リストカット描写があります
救い(よう)がない
――――――――――――――――












 お揃いのタトゥーを入れようという提案はきっぱりと断った。高校の、卒業式のことだった。


 なまえは特別かわいらしい顔立ちであるわけでも、反対に醜い容貌をしているわけでもなかった。どこにでもいる顔だといつだか誰かが言っていたが、実際そうだと思う。スカートの丈は膝上、成績は可も不可もなく、化粧っ気もない。
 ただ、真夏でもカーディガンを羽織り、水泳の授業は何かと理由をつけて欠席。肌の露出をほとんどしない女、というのがたしか最初の印象。元々なまえは中学の時分から俺を好いてくれていたらしく、「付き合ってくれなきゃ死ぬから」と脅されたのが、あれは高校に入学したばかりのころだっただろうか。

「げえー、メンヘラ女やんに!」
「知念ー……悪いくとぅや言わん。早ーく逃げれー」
「やさやー! いつか刺さりるんどー」 

 揃って同じ高校へ進学した平古場と裕次郎に久々に会った際に彼女のことを話すと、そう助言された。すぐに死ぬだのなんだの言い出す女はろくな奴がいないというのは、平古場の弁だ。二人は中学のころから言い寄る女が尽きないし、必然的に俺よりも遥かに女性経験豊富である。けれども、付き合ったのは成り行きだったとはいえ俺はなまえのことが好きであったし、むしろ彼女のことをよく知りもしないくせに言いたい放題の二人に腹を立て、早々にその場を後にした。
 後から冷静になって考えてみると、二人が何度も繰り返し口にしていた“メンヘラ”という言葉の意味を俺は知らない。文脈から察するに恐らく暴言なのであろう、なまえに直接尋ねることは出来なかった。けれど解答を示してくれたのは、計らずも彼女であった。

 なまえの机に大きな落書きがされていたことは、うわさ話に飢えている年頃連中ばかりの高校内に於いてあっという間に拡散された。書かれていたのはただ一文、「死ねメンヘラ」と。教師はこれをいじめとして捉え犯人探しが行われたが、結局見つからず。やり場のない怒りの矛先をどこにぶつけて良いか分からず、歯がゆい思いをする羽目になった。けれど、当の本人は全く気にする様子もなく、あっけらかんと言う。

「次は花瓶でも置かれちゃうかもなー」
「……ずいぶん明るくあびゆんさーね」
「知念くんが怒ってくれたってだけでハッピーイベントだもん!」
「わーは許せん」
「メンヘラなのは事実だし。死ねって言われるのはちょっと悲しいけど」
「メンヘラ、……って」
「あ、えっと。メンヘラっていうのは、まぁ、なんていうか……うーん、病気の人?」

 俺の顔色が変わったのを見て、心のね! となまえは慌てて付け足す。
 心の病気。そう言われたところでよくわからないのは変わらなかった。黙って考えているとなまえはけらけらと楽しそうに笑ってカーディガンを捲り、人前では頑に晒さない両腕の皮膚を曝け出した。

「ね、知念くん、きもいって思った?」

 刃物で切りつけられたような傷跡が、肘の関節までをびっしりと覆っていた。驚愕に言葉も出ない俺に、なまえは続ける。全部わたしが自分でやったんだよ、カッターで。そう話すなまえの表情は、もう記憶に霞がかかったようで鮮明には思い出せない。
 確か、そうだ。底の見えない深い海のようなその目を、綺麗だと思った。


「知念くんに告白した時、付き合ってくれなきゃ死ぬって言ったよね」
「……あぁ」
「あれ、嘘なんだ。ごめんなさい」
「本気だったら困るさぁ」
「あはは、うん。わたし死ぬの怖いから、自殺なんて出来っこない」

 無数の傷跡を指でなぞりながら、なまえは、昨夜のテレビ番組の話をするような軽い調子で言葉を重ねてゆく。
 死にたくないのに死にたくなって、毎夜のように手首へ刃物を当ててしまうこと。時折薬を過剰摂取して倒れてしまうこと。それが理由で、何度も緊急搬送されたことがあること。数年前に夫に逃げられた母親は自暴自棄になってしまっていて、過剰に酒を飲んでは泣きながらなまえに暴力を振るうこと。自分を殴る母親が恐ろしくて憎くて仕方ないのに、死ねばいいとすら思っているのに、やっぱり心のどこかで、家族だからという理由だけで愛していること。そんな自分が嫌で逃避したいと思っていること。
 思えば、彼女からここまで自分自身の話をされたのはこれが初めてだった。なまえはいつも俺に質問ばかり投げかけて来たし、俺が同じ内容を訊き返しても適当にはぐらかすか曖昧に笑って冗談を言うばかりだったから、そういうタイプなんだと心のどこかで諦めていた。



「――なんて、これも全部嘘だよって言ったら、さすがに怒る?」

 こいつが何を考えているのか、俺には最後まで何ひとつ分からなかった。


 

 卒業式の朝。校門で顔を合わせたなまえに、揃いのタトゥーを入れようと誘われた。俺は大学に進学することが決まっていたし、タトゥーを否定するつもりはないが自分の身体に入れる気があるかと訊かれれば答えは否だ。なまえは相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない顔で、俺の返答を聞くと、そっか。と踵を返した。
 式にも参加しないまま帰宅してしまったなまえとはそれ以降連絡が取れていない。思えば、俺は彼女の家の電話番号すら知らなかったのだ。




「寛は何で彼女作らんばー?」
「……興味ねーらん」
「えー、やめとーけ! 寛やぁ付き合ってるいなぐ居ちゅんどー」
「げっ、じゅんに!? ぬーがよー、仲間だとうむってたのにやー」
「じゅんに! つってもわんも噂で聞いただけだけどよ」
「ぬーがよ噂って?」
「寛と同じ高校だった奴に聞いたんばぁよ」
「ふうん、やしが顔も見たことないからなあ。なー、今度会わしてくれよ!」
「かしまさい。もうくぬ話は止めれ」

 大学ではテニスサークルに所属したが、どいつもこいつも女の話ばかりしている。真面目にやっている自分が滑稽に思えるぐらいだ。平古場や裕次郎、慧くん、永四郎、不知火や新垣とまた打ちたいと心から思う日々が続いていた。

「ははーん、もう別れたんだろ」
「わんぬ見立てじゃフラれたな」
「寛……」
「……変な目で見んけー」
「やーも大変だったな……くり貸してやるよ、元気出せ」

 そう言って差し出されたのは黒いビニール袋。受け取って触ってみると、中はどうやらDVDの類らしかった。俺がホラー好きということはこいつらも知っている、きっと新作ホラーの映像か何かだ。口を開けば女女女の馬鹿な連中だと思って接していたが、友人想いなところもあるんだな。素直に礼を言って、その日家に帰るとすぐに袋を開けた。


「たっくるす……」

 『ドスケベ素人ちゃんの衝撃試し撮り☆現役女子大生に大量発射SP!』
 ホラーとは程遠い、肌色に覆われたパッケージに肩を落とす。あいつらに一瞬でも感謝した俺のほうが馬鹿だったのだ。
 しかしこういったものに全く興味がない、という訳ではない。なまえとそういうことを行いはしなかったが、なまえを想像して一人で欲を処理する夜は、それこそ幾度もあった。パッケージを開くと、盤面に踊るのもまた肌色。生唾を飲む自分はまるで猿だと、自己嫌悪が襲う。

 プレイヤーの再生ボタンを押せば、やけに小ざっぱりとした部屋のソファに座る女がひとり、テレビ画面に映し出される。カメラの手前側から、インタビュアーの体裁を取った男の声が飛ぶ。


「きみ、何歳?」
「十九歳ですー!」
「十代なんだ、若いねえー。僕なんかおじさんに見えるでしょ」
「あはっ、そんなことないですよー」



 ああ、俺は、この女を知っていた。







 テレビの向こうのなまえは俺の知らない顔でにこにこと笑み、画面外の撮影者は欲の滲み出る下卑た声で質問を続ける。


「かわいいよねー。モテるでしょ、ってか彼氏いるでしょ?」
「えー、付き合ってる人ってことですかー?」

 わざとらしく考える素振りで斜め上に視線を彷徨わせ、立てた人差し指は口元へ。なまえは照明を受け、そう答えることが全くの当たり前であるかのように言う。


「できたこと、ないんです。だからわたし、寂しくって……」


 袖口から、あの頃より幾分細くなった手首と、タトゥーが覗く。
 澱みをはらんだなまえの目が細められ、画面越しの俺を、見据えた気がした。



(かつて僕が愛した魔女)



 きっとあの時もあいつは、こういう顔をしていたんだろうか。
 揃いの墨を入れてくれと言われた日、俺は何て返せば良かったんだろうか。



 そのうちに、音声は生々しい水音と肉がぶつかりあう音に変わる。反応する身体が恨めしくて可笑しくて、仕様がなくて、どうしようもなく笑った。死んでしまいたい。