■ 5話


 『次は衆合地獄〜衆合地獄でございます〜お荷物お忘れないよう−−』 
 聞こえたアナウンスにうとうととしていた意識が覚醒した。目的地に近づいたようだ。ぐいと伸びをすると背中にぬくもりがあることに気付いた。何だと思い後ろを見ると、大きな手が背中の上にある。そういやなんか怖い男の人に無言で撫でられていたことを思い出す。目線を上に上げると、うとうとしている男性が目に入った。今なら抜け出せる、とそろりと荷物を持ち上げてふと考える。この人、どこで降りるんだろう。…もう駅を過ぎていたら私にはどうしようもないが、次駅の衆合もしくはその次の黒縄で降りるのであれば起こしておくにこしたことはないだろう。起こすのは怖いが、電車に乗車させてくれた人をほっぽっていくのも忍びない。切符はと見回すと、片手に握られている小さな切符を発見した。首を伸ばしてチラ見すると、行き先衆合地獄と書いてある。なおさらとっとと起こさないとまずい。さきほどから電車は速度を落とし始めた、後数十秒で駅に着くだろう。恐る恐る男性の手の甲を前足でペチペチ叩いて覚醒を促すが、全く起きない。どうしよう、もう駅は目前だ。…これしかない。女は度胸だ、いざとなったら走って逃げると覚悟を決めて、男性の顔に前足を勢いよく振り下ろす−−−と、力を込めて振り下ろした前足はスカッと空を切った。私が男性に両手で持ち上げられたからである。男性はうっすらと開いた目で私を上から下まで眺めると、私に平手打ちをかまそうとするなんて見上げた根性ですねぇと掠れ声で呟いた。この瞬間私は己の行いを悔いた。やっぱり手を叩くぐらいにしとくんだった、と。





 あの後、無事下車することが出来た私は、開口一番に男性に起こすつもりだったんですすみませんと半分土下座しながら誤った。男性はあなた、兎でよかったですねと意味深に呟くと、名前を名乗るように催促した。名前を名乗ると繋がりが出来てしまうようで嫌だったので少し口ごもると、男性の目つきが鋭さを増したので自分が持ちうるだけの大声で名乗った。

「名前と申します!」
「そうですか。私は鬼灯と申します」

 男の名は鬼灯というようだ。怖いからもう忘れたい。そんなことは死んでも口には出せないので、良い名前ですねと無難なお世辞をいうと、彼は目線をそらしながらそうですかねと呟いた。しかし若干目元は緩んだので、地雷を踏んだわけではなさそうだ。ホッとため息をひとつつき、再度お世話になりましたとお礼を告げる。彼はじっと私を見つめると、貸し一つですね、と言うと頭をひと撫でし改札の方に向かってスタスタ歩いて行った。なんとも自由な人だ。ぼんやりと逆さ鬼灯が見えなくなるまま見送ると、どっと疲れが押し寄せてきた。彼と過ごしたほんの一時間足らずは、今まで私が過ごしてきた中のどの一時間よりも緊張するひと時であった。

 出発してからいろいろとハプニングはあったが、どうにか衆合地獄駅までたどり着くことが出来た。芥子さんと待ち合わせている茶屋は、この駅から程近くにあると聞いている。駅員に道を訪ねれば、駅員は快く道を教えてくれた上小さな手書きの地図まで手渡してくれた。地図と言っても、この駅からほとんど真っすぐ突き当りまで進んだ後左に曲がればいいだけなので、一本の縦と横の線が交わる端にちょろちょろ文字が綴ってあるだけの地図ともいえない代物であったが、あるのと無いのとでは気持ちが違うというものだ。ありがとうとお礼を告げると、駅員は笑顔で気にすることはないと言った。なんでもこの紙は、昔の彼女に御利益のあるレターセットだと言われてプレゼントされた便箋の裏紙らしい。なぜそんなものをと問うと、手紙なぞ書く機会が無いのでずっと引き出しに眠っていた一枚をちぎったものだと言う。素敵なプレゼントですねと言うと、彼は嬉しそうに頭のてっぺんに三角の耳を二つ飛び出させた。





 約束の茶屋に顔を出し、店員に芥子さんはもうついているかと聞くと、まだだという答えが返ってきた。思ったより早足で来すぎたらしい。まあ遅刻するよりは良いかと考え、店頭にある相席に腰かけ、みたらし団子を一つ注文する。ふうとため息をつくと同時に隣の客の口から吐き出された煙がお茶と団子の形に変化した。煙を変化させるなんて、手品師だろうかとついまじまじと見ていると、隣の客と目が合った。

「ん?ワシの顔に何かついとるか?」
「いえ、煙が面白い形しているなと思いまして」
「あぁ、これな。まあちょっと珍しいわなぁ」
「始めてみました、そんな煙」

 煙管の煙なんて、吐き出したらすぐに空気に霧散するものしか見たことがない。地獄産の煙管はそういうものなのかと聞いたら、自分以外に煙の形を変えるやつは見たことが無いと言われた。感嘆しながら煙を見つめていると、煙の形がぐにゃりと崩れ、小さな兎の形になった。本当に手品みたいだ、すごく楽しい。他の形にも変化させられるのかと尋ねると、可能ではあるが自分でコントロールはできないという。

「形はいろいろ変わるが、これはワシの考えに作用して勝手に変化すんのよ」
「へぇ…そうなんですか」
「いうなら勝手に欲しいモンが浮かびあがったりもするからな、不便なことも多い」
「悪い事できませんね」
「違いない」
 
彼は小さく笑うと再度煙管に口をつけた。その姿がどうにも色っぽいのは内緒だ。今度は何が出てくるだろうとわくわくしながら煙管を見つめていると、店員さんからお団子どうぞと声がかかった。ありがとうと礼を述べ、湯呑を受け取った瞬間、遠めに櫂を背負った白兎が見える。芥子さんだ、手に持った湯呑を脇に置き、椅子から飛び降り彼女の元に駆けた。

「あ、名前さん!昨日ぶりです」
「芥子さん、お忙しい所すみません!」
「いいんですよぉ〜とりあえず、中に入りましょう」

 そういうと芥子さんは暖簾を上げ、どうぞと入店を促した。どうもと入店しようとした瞬間、団子を外の椅子に置いていたことを思い出す。

「そうだ、お団子を外の椅子に置いたまんまなんです、取ってきますね」
「じゃあ私、席を取っておきますね」
「お願いします」

 芥子さんを待たせるわけにはいかないと急いで先ほどまで腰かけていた椅子に戻ると、串だけになった団子とお茶が半分まで減った湯のみがポツンと置いてあるのみだった。先ほどまで話していた彼はいない。手元の串を見た所、勝手に食べていったのであろう。食い逃げかと少しイラッとしたが、面白い物が見られたので見物料と言うことで納得することにした。


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