■ 6話


「白澤様ですか!」
「名前さんご存じなんですか?」

 今度は野菜スティックセットを一つ頼み芥子さんとそろって人参に舌鼓を打っていると、彼女が驚きの一言を投下してきた。どうやら芥子さんの言っていた兎を募集していた人物というのは白澤様だったというのだ。白澤様は天国で薬師をやっていらっしゃる方だ。なんでも幾羽もの弟子を抱えており、非常に優秀であると伺ったことがある。まさかそんな徳の高い方とお知り合いだなんて一体芥子さんは何者なんだろうか。驚きすぎて声も出ない私をよそに芥子さんは、知っているなら話は早いですね、と言うと手荷物から一枚の紙と朱肉を取り出し、台の上に置いた。

「これが契約書になります」
「えっ!面接も受けてないけどいいんですか!?」

 面接どころか履歴書すら書いていないのだが。おずおずと契約書だと言われた紙に目を落とすと、雇用主の所にちゃんと白澤と明記されている。端っこに極楽満月と書かれた判子も押してあった。面接などの過程を全てすっ飛ばして雇用契約を結ぶなんて、そんな適当でいいのだろうか。もしかして芥子さんの冗談では?とチラリと芥子さんを見ると、笑顔でどうぞとボールペンを差しだしてきた。なんだかイマイチ唐突過ぎてついていけてないが、背に腹は代えられない。私は職を選べる立場に無いのだ。働かせてくれるというのなら働こう、駄目だったら次を探せばいいのだと考え、契約書に名前を書き、芥子さんに契約書を手渡した。芥子さんはそれを受け取ると、渡しておきますねと言うとあっ、と声を上げた。

「忘れてた…そうそう伝言があるんです」
「お仕事のですか?」
「はい、なんでも明日の朝から勤務してほしいそうです」
「明日!?」

 あまりに急な話だ。働き始めるのは別に明日からでも問題ないのだが、私は月以外の地理にあまり明るくないため迷子は必須である。明日何時に出れば間に合うかなと呟くと、芥子さんは朗らかに大丈夫ですよ〜と言った。

「道案内に一羽お弟子さんを迎えに寄こしてくれるそうです」
「そ、そうなんですか!私、まだこの辺の地理把握できてなくて…」
「地獄は広いですからね、私も知らないところいっぱいありますよ!」
「全て把握してらっしゃるのでは?」

 獄卒をやっている芥子さんなら自分の職場である地獄について網羅しているのかと思っていた。

「無理ですよぉ〜全部知ってるのは、閻魔様と鬼灯様ぐらいではないでしょうか?」
「あぁ、閻魔様は地獄の王でいらっしゃいますもんね。…鬼灯様とは?」
「閻魔様の第一補佐官様です。すっごく優秀なんですよ」

 私の憧れなんです、とにこにこしながら言う芥子さん。その口から飛び出した鬼灯様という名前に、先ほど駅でご一緒した一本角の鬼の姿が脳裏に浮かんだ。…きっと同名の別人に決まってる。十王付きの補佐官殿が一般列車など利用するわけがない。
 まあ一生会話することなんてないんだろうなと思いながら、一度お会いしてみたいものですねと言うと、芥子さんは面白い方ですよと笑って言った。



「今日はすっごく楽しかったです!」
「私も色々地獄の事を教えて頂いてためになりました!」
 
 暖簾を潜りながら今日の会話を思い返す。あの後、ちまちまと野菜や団子をつまみながら芥子さんとの会話に花を咲かせること数時間、私の勤務予定地の話を皮切りに、天国は暖かくていいだとか、草が豊富でいいだとかというくだらない話から話題は次々と移りかわり、最終的には芥子さんの同期の兎が合コン好きでまいっているという話で締めくくられた。今日一日で芥子さんとの距離がグッと近くなった気がする。やはり兎同士で親近感を抱きやすいという要素も大きいだろう。今日は充実してたなと思いながら芥子さんの後ろを歩いていると、前方の彼女はあ、と声を出すと私の方に振りかえった。

「そうだ名前さん、私たちお友達なんですから敬語はいらないですよ」
 
 ずっと敬語で話してるの気になってたんですと言うと、さん付けもいらないですからねと芥子さんは再度念を押した。唐突な話に固まっていると、嫌でしたか?と少し困った顔をした。

「ううん、よろしくね芥子ちゃん」
「こちらこそよろしくお願いします!」



 芥子ちゃんと次回の約束を取り付け衆合地獄の駅前で別れた。列車を降りるところまでは良かったのだが、いざ元来た道を帰ろうとすると、早朝と夕暮れ時では景色が違って見えるせいか三つ目の角を曲がった所で迷子になってしまった。キョロキョロとあたりを見回すが、人通りが少ない道に入ってしまったのかヒュウヒュウという隙間風と遠くの喧騒しか聞こえない。これは本格的に困った。とりあえず交番かスーパーでも探そうと足を一歩踏み出すとボーというホラ貝のような音が聞こえてきた。音の聞こえた方角に耳を動かすと、遠くに複数の羽音が聞こえる。しかも非常に大きい羽音だ。これほど大きな羽音という事は、大きい鳥か何かが飛んでいるということになる。大きい鳥と言えば、鷲や鳶辺りがメジャーどころか……え、私捕食対象じゃない?これは見つかれば今晩のご飯と成り果てるかもしれない。それは勘弁願いたい。
 こりゃ逃げるしかないなと音とは全くの逆方向に走り出す。出来るだけ遠くに逃げなければ…お肉になるのは嫌だ。死の恐怖から脇目も振らず駆けていると、子袋を小脇に抱えた白装束の女が目に付いた。少し走ると周りを見渡し、また少し走っては辺りを伺うというみるからに怪しい動きをしている。触らぬ神に祟りなし、知らないふりしようと変な女とは違う方向に身体を向けようとすると、遠くに聞こえた羽音が急に近付いてきた。上空を見上げると、黒い点々がいくつか一直線にこちらに向かっている。あ、これは今晩のおかず決定だなと身体を固くさせた瞬間、目の前に小柄な少年が降り立った。

「脱走者を捕えなさい!」

 少年が大勢の服を着た烏に向かって叫ぶと、烏たちは一目散に妙な女に突進し、みるみる間に縄でぐるぐる巻きにしてしまった。女は暫らくの間抵抗していたが、逃げられないとわかると目を血走らせながら少年に向かって叫んだ。

「嫌よ!毎日毎日拷問拷問…血も涙もない!」
「逃げた所で罪が重くなるだけです。罪人を連れていきなさい!」

 少年は顔色一つ変えず、傍に控えていた烏に命令を下す。烏はぎゃあぎゃあ叫ぶ女を無視して、バサリと上空に飛び上がると、元来た方向へ帰っていった。
 あまりに流れる様な捕縛劇にぽかんとしていると少年がいつの間にか私の方を向いていた。もしかしたら、あの妙な女の仲間だと思われたのかもしれない。私はただの一般市民ですと弁明しようと口を開いた瞬間、少年がそれを遮った。

「お騒がせしてすみません。お怪我はありませんか?」
「私はただの一般市み…ん?だ、大丈夫です…」

 弁明する期気満々で口を開いたものだから拍子抜けしてしまい、最後の方は声が尻すぼみになってしまった。ちゃんと聞こえただろうかと少年を見上げると、それはよかったと微笑まれた。今気付いたが、非常にお顔の整った少年である。

「あの路地で挟みうちにする予定だったのですが、まさかあなたがいるとは思いもせず…もう少しで危ない所でした」
「いえいえ、特に害もなかったですし」
「烏天狗警察代表として、少しの間でも危機に晒してしまったことをお詫びします」

 軽く頭を下げた少年は申し訳なさそうな表情でわざわざお詫びの言葉をくれた。私なんて危険どころか相手に認識すらされていなかったので、危機を感じていなかったのだが、あの女はそんなに物騒な人物だったのだろうか、と思ったところではっとした。この少年は今、烏天狗警察と言った。つまり、彼は警察官ということだ。ならば道を尋ねることができるじゃないか。

「すみません!道をお尋ねしてもいいですか?」
「道…?あぁ、わかる範囲ならばお答えしますよ」

 このマンションなんですけど、とメモを渡すと少年はすぐそこですねというと、メモに地図を書き足してくれた。これでやっとマキちゃんの所に帰れる。

「ありがとうござます、警察官さん」
「源義経といいます。市民の安全を守るのが仕事ですから当然です」

 そう誇らしげに言う義経さんに再度お礼を告げ、彼の背中を見送ってからようやく岐路につく。今日はなんだかすごく濃厚な一日だった気がする。


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