■ 4話


  
 昨夜は大変だった。
なんとマキちゃんはお料理下手だったのだ!…と言う訳ではなく。
不幸にもマキちゃんがごっそり買い込んだのはネットにぎっしり詰められたお徳用玉ねぎパックと、タイミング良く安売りをしていたほうれん草の二種類の野菜だったのだ。
単に好き嫌いの話であれば文句を言わず頂くところなのだが、最高にチョイスが悪すぎた。
よりにもよって私の身では分解しきれない野菜だとは…運が悪いとはまさにこの事である。
どうしようと青ざめる私を余所に、台所にずらりと並べられたその二つの食材をメインに据えて、なにか美味しいもの作るね!と意気込むマキちゃんをどうにか制止したのは記憶に新しい。
結局その日の晩はマキちゃんが夕食に使用したらしいキャベツの切れ端やらなんやらを適当に寄せ集めて腹を満たし、眠りに就いた次第である。

 と、このように昨晩ご飯で痛い目を見たので、今朝は出来るだけ早起きしてマキちゃんと自分の朝食を準備させてもらおうと思い台所に立つことに決めていた。
料理は不得手ではないが、何かとドジっ子体質を如何なく発揮する彼女の事だ。朝食にも一悶着起きそうな気がしたのである。所謂野生の勘というものなのかもしれない。野生に帰った事はないが。
そんな取りとめのない思考を頭の片隅に移動させると、さて調理だ!と意気込み、眼前の小さな冷蔵庫をそろりと開けた。とたんに飛び込む緑、茶色、緑、茶色。
右を見ても左をみても山の様なほうれんそうと玉ねぎしか見当たらない。後は調味料と残り物のキャベツ、それにわずかばかりの加工肉が一欠だけだ。
マキちゃん、ピンポイントの野菜を買いこみ過ぎなんじゃなかろうかと思いつつ中身を物色すると、奥の方から卵が一つと小さな小さな鳥胸肉が見つかった。
…え、これだけ?マキちゃん普段なに食べてるの?彼女の顔色が優れなかったのはご飯を抜いていたからではないかと思いつつ、手元の材料を見つめる。私の腕では雑炊ぐらいしか作れない。まあいいやと思い、鍋に火を掛けた。

 雑炊が出来あがった頃、匂いにつられたのかマキちゃんがのろのろと起きてきた。焦点の定まらない目は私の手元の雑炊を見た瞬間、大きく見開かれる、と同時においしそう〜とマキちゃんが駆けてきた。いそいそと雑炊をお椀によそい、マキちゃんに手渡しすると、満面の笑顔でお礼をいわれた。作ったかいがあったというものだ。自分の分の雑炊をよそい、テーブルに座ると今日約束があったことを思い出す。そういや待ち合わせは衆合地獄と言っていたが一体どこにあるのだろうかと思いマキちゃんに聞いてみる。

「名前ちゃん、衆合地獄に用事があるの?」
「うん、お仕事紹介してくれるって言ってくれた人がいて」
「へ〜!それは頑張らないとね!あ、衆合地獄だっけ?えっと、たしか電車が…」

 そういうとマキちゃんは引き出しから電車の時刻表を取りだした。お昼に待ち合わせをしているのだが、ちょうどの時間は無いみたいで一時間早めにつくものと、少し遅れてしまう二本のみのようだ。マキちゃんに早めにつくもので出向く旨を伝えると、マキちゃんはそのほうがいいよね、と笑顔で言ってくれた。



 駅まで付いていってあげるとマキちゃんが申し出てくれたので、案内をありがたくお願いした。オフのマキちゃんを外に連れ出すのは気が引けたが、地図を渡してもらっても迷子になる自信があるので好意に甘えたのだ。駅まではすんなり迷うことなく向かうことが出来たのだが、いかんせん駅前ともなると人、人、人とものすごい人ごみが出来ている。駅前にしたって混みすぎだろうというくらいに人だかりができている。これはヤバいなと思いマキちゃんのスカートの裾をつかんだ。こうしていないと本当にはぐれる。
 どうにか切符を手に入れ、乗り場の確認をしようと思った瞬間、「ピーチ・マキ!?」野太い声が上がった。マキちゃんと揃って声の方を向くと、桃の形の眼鏡を付けた少しうすらハゲのおじさんが立っている。そのおじさんはマキちゃんをみるやいなや目にもとまらぬスピードでマキちゃんの手を取りこういった。

「マキちゃんのファンなんだ!ねえ、よかったら写真とってもらえない?」

 ここは人が行きかう駅内だ。しかも今現在めちゃくちゃ混んでる。こんな中で撮影はできないとマキちゃんはやんわりと断るが、おじさんはならあっちで撮ろうと駅の外を指さした。それにも難色を示すと、おじさんは傍目にも機嫌が悪くなった。これはあまり良くないかもしれない。マキちゃんは駆けだしのアイドル(?)だ。今ここでファンを減らすのは痛手であろう。迷惑になるわけにはいくまいと思い、マキちゃんのスカートをつまんだ。

「名前ちゃん?」
「マキちゃん、後は改札くぐるだけだから大丈夫だよ」
「でも…」
「ほら、すぐそこに電車来てるし」

 マキちゃんは少し眉を寄せたが、気をつけてねと言うとしぶしぶおじさんとの写真撮影を行うことにしたようだ。ほっと息をつくは良いが、あのおじさんのせいで時間を食ってしまったのかピリリリと発信を告げる音が響いた。あれに乗り遅れたら遅刻だ。それは避けたいと思い急いで改札をくぐり電車に向かって駆けるが、無情にも扉がゆっくりと閉まり始めた。あ、遅刻だ、終わったなと思った瞬間、首元の皮を引っ張り上げられた。え、と思う間もなく景色が黒色に染まる。しかも首の皮が引きつって痛い。痛い、と抗議しようと思った瞬間、ごつごつとした手が後数センチという所まで閉まっていた扉をがっちりつかむと、ギギギと音がしそうな勢いでこじ開けた。え、扉ってこじ開けるものだっけ?
口をぽかんとあけていると、車掌さんと目が合った。私とは対照的に口を引き結んでブルブル震えている。気持ちはわかる。扉をこじ開けた男性は何でもないように車掌さんに切符を渡すと、チラリと私を見た。まさに三白眼という様な目つきの男に睨まれるともう一言も言葉が出てこない。芥子さんの恐怖がぬるま湯ぐらいに感じる。そんな私をよそに、男性は片腕で私を抱えなおした。降ろしてくれとは言えない。恐怖ですくみあがる私を知ってか知らぬのかわからないが、男性が声を掛けてきた。

「摘み上げて連れてきちゃいましたけど、この電車であってました?」
「ひぇっ…お、おかげさまで間に合いました!ありがとうございます!」

 腹の底に響く低音に恐怖が倍増するが、返事をしないといけないという謎の使命感に駆られ勇気を振り絞ってお礼を告げた。すると男性はそうですかと一言つぶやくとあいた座席に私を降ろした。チラリと男性を見ると、手荷物を座席に立てかけている様だ。今のうちにと隣の空席に移ろうとすると、手荷物を立てかけた男性に摘み上げられ、再度膝の上に戻された。え、と言葉を漏らすと、男性は私のつぶやきを無視して耳の付け根を指でくすぐる。その手つきが思いのほか柔らかく、しかも撫でるのが絶妙に上手いのでおとなしく膝の上に座る。なんなんだこの人はと思いつつ男性を見上げると、私の視線に気づいたのか隈の出来た目でじっと見下ろしてきた。…なんで私を撫でてるのかとかいろいろ聞きたいことはあったがすべて棚に上げることにした。だって怖い。

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