■ 3話


 マキちゃんにどうぞこれからよろしくお願いしますと頭を下げ、堂々とヒモ宣言をした帰り道、夕陽をバックにしたマキちゃんは再度はっ、と声を上げると身体を私に向けて半回転させた。どうしたことかとマキちゃんに問うと、マキちゃんは大真面目な顔で口を開いた。

 「名前ちゃんって野菜食べるんだよね!買い物に行かなきゃ!」

 すっかり忘れてた!そういうや否や私をサッと持ち上げ、元来た道を引き返す。やはり急に持ち上げられると浮遊感があるが、今日だけでたくさん抱っこされたので少し耐性がついたようだ。どこへ行くのかと聞けば、近所のスーパーで野菜を仕入れると元気いっぱいに言われた。私一人のためになんだか申し訳ない気もしたが、正直野菜は食べたかったのでありがたく好意を頂戴することにした。



 ”お野菜いっぱい!地獄スーパー”という看板が掲げられたスーパーに入ると、入口のコーナーから店の奥までぎっしりと野菜が積まれていた。看板に書いてあることは伊達ではないらしい。マキちゃんは私をそっと地面に降ろすと、慣れた様子でカゴを一つ手に取り、迷いなく野菜を放り込んでいく。緑、赤、白、黄色と色とりどりの野菜がカゴに積まれていく様子に目を輝かせていると、ふと唐辛子の横にどっしりとおかれた壺が目に付いた。ヌカ漬けでもしているのだろうかと思い近寄ると、芳醇な味噌の香りが鼻孔をくすぐる。なぜ、味噌?疑問を浮かべながら壺を眺めていると、後ろから声がかかった。

「あなたも辛子味噌を嗜まれるのですか?」

 つい癖ではい!と声を出しながら後ろを振り返ると、耳の先が少し黒い白兎が目に入った。身体に頑丈そうな鎖を巻き付け、背中には立派な櫂を一本背負った不思議な風貌だ。今まで見た兎はせいぜい頭にバンダナを巻くだとか、ちょっと勾玉っぽいのを首にひっかける程度のおしゃれをしているものばかりであったが、目の前の兎はそれのどれにも当てはまらない。地獄の兎はこんなファッションなんだとしげしげと見つめていると、目の前の兎は少し嬉しそうに語りだした。

「私、辛子味噌の良さが分かる兎に出会ったの初めてです」
「えっ」

辛子味噌?何が?とは思ったが、そんな疑問を目の前の嬉しそうな兎に投げかけることもできず、辛子味噌はなんにでも使えるからいいですよね、と適当な感想を述べる。すると兎はさらに目を輝かせ、私の前足を取り上下に振った。振っただけなら可愛らしいものだが、兎は存外力が強いらしく私は宙に浮く、地面に墜落するの繰り返しを行っているだけだ、もはや拷問である。びったんびったんと地面に打ち付けられる私をよそに兎は自分の世界に入っている様だ。幸せそうなのは結構だが、もうそろそろ手を離してくれないと打ち身だらけになってしまう。痛いですと一言告げると我に還った兎はパッと手を離した。手を離した場所は体が宙に浮かびあがっている時である、重力に従って私は地面に衝突した。楽あれば苦ありか…。遠い目をする私に、兎は一言謝罪を漏らした。正直無意識といえどこの仕打ちに怒りを覚えていたが、ここはスーパー、往来のド真ん中である。こんなところで悪い意味で顔を覚えられたくないので、ぐっと我慢し少し痛かっただけで大丈夫だと兎に告げた。

「私、興奮するとテンション上がっちゃうんです、ごめんなさい」
「いえ、いいんです」

 テンション上がったぐらいでああなるなんて、地獄兎は恐ろしい。見かけてもあんまり近寄らないでおこうと心に決めて、ではと立ち去ろうとすると、地獄兎が声を上げた。

「待ってください!私、芥子と申します!」
「あっ、私は名前と申します」

 唐突に始まった自己紹介についつい自分も自己紹介してしまう。頭を下げ、名前を告げられれば無視はできない。もう二度と近づかないと心に誓ったのに何で自己紹介してるんだろうと自己嫌悪する私に、芥子さんは爆弾を一つ投下した。

「名前さん…うれしいです、お友達になれて!」
「え」
「名前さんはどこにお住まいなんですか?よければ今度、お茶しません?」
「あ、ありがとうございます」
「そうですね、衆合地獄の茶屋はどうですか?お野菜がおいしいんです!」
「あの…」
「あ、ごめんなさい私こんなところで!お外で話しましょうか!」
「…はい」

 キラキラ瞳を輝かせる彼女に手をひかれ、ズルズルと外に連れ出される。手を離してもらおうと思った瞬間、背中がジクジクと痛んだ。先ほど地面に打ち付けたのだろう。…やっぱりいうことは聞いておこう、痛いのはもうごめんだ。



「名前さんは月兎だったんですね」
「はい、芥子さんは地獄生まれなのですか?」
「いえ、私は現世生まれなのですが、スカウトされてここにきたんです」
「じゃあ、お仕事は…」
「獄卒ですよ」
「あぁ、やっぱり…公務員ですね、すごいです」

 引きずられるまま店の外に出た私たちは、他愛もない話で盛り上がっていた。芥子さんは思ったより礼儀正しい人で、話がしやすかったというのもあるだろう。打ち身の恐怖はまだまだ拭えないが。どうやら彼女は話に聞く獄卒であったらしい。獄卒は亡者への叱責を生業とすると聞く、あの怪力も納得である。きっと彼女は優秀であろう、なんとなくそんな気がする。

「名前さんはなにのお仕事を?」

 一人納得している間に芥子さんが極自然に私の職種を問うてきた。話の流れがお仕事に関するものだったので、当たり前と言えば当たり前だが、その一言は私をどん底にたたき落とした。私、無職なんです〜なんて明るくいえるほどリストラの傷は浅くない。目をそらしながら、小さく芥子さんにこう告げた。

「……求職中なんです」

 ハローワークはまだだが、間違ったことは言ってない。これから就職先を探そうとは思っていたのだから、と自分を正当化し自嘲する。ずしんと背中に石がのったような気がした。思ったより無職と言う称号は私にダメージを与えているようだ。ぐったりと落ち込む私を尻目に、芥子さんは驚きの一言を言い放った。

「兎の求人出してるところ知ってますよ」
「本当ですか!?」

 なんだか本当に今日は幸運なのではないかと本気で思う。兎の求人なんてないと思っていたので途方に暮れていたのだ。その話題に食いついた私を見て、芥子さんは紹介しましょうかと言ってくれた。天の助けとばかりに、どうぞお願いしますと頭を地面にこすりつける勢いで懇願する。芥子さんは、ちょっと店主が面倒ですけど大丈夫ですかと困った顔をしているが、これを逃す手はない。上司がどのような人であろうと、とりあえず給料がもらえるなら喜んで働かせもらうつもりだ。芥子さんは頭を上げてくださいと言うと今晩にでも連絡してみますね、と言って下さった。芥子さんの株がいっきに跳ね上がった、まだ怖いけど。その後、衆合地獄の茶屋での待ち合わせを取りつけると、買い物袋を持ったマキちゃんが店内できょろきょろしているのが見えた。きっと私を探しているのだろう、急いでいかねば。

「芥子さん、では明日よろしくお願いします!」
「はい、なんたって辛子味噌仲間なんですから、頑張っちゃいますよ!」
「お願いします、ではまた明日」

 力コブをつくり、意気込む彼女は勇ましく立ち上がった。辛子味噌仲間はイマイチ同意できないが、職を手にするには彼女に縋るしかない。細かい事は気にしないことにし、芥子さんに礼をするとマキちゃんのもとに急いだ。


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