■ 2話


 女の子の名はピーチ・マキと言うらしい。カメラマンがそう呼んでるのを聞いた。耳に覚えの無い名だ、あまりメジャーではないのだろうか。チラリと頭上を見上げると、先程より血色のよくなった顔が見えた。つい先日まで一応医療職だった身としてはここで一つ身体の温まる薬でもプレゼントしたいところではあるが、生憎私はパッと見ただの兎だ。そんなことできるわけもない。せめてもと膝の上で出来る限り身体を伸ばし、膝掛け代わりになることにした。マキさんはいまだに水着に薄手の透けたパーカーを羽織り、ミニスカートとも呼べないもはや布レベルのそれを装着しているのみである。グラビアだけならこんな服は要らないだろう。…今日出会ったばかりの彼女の仕事内容はただの雑誌のグラビアモデルだけではないようだ。世の中にはいろんな仕事がある、とそれ以上は考えないことにした。



 マキさんから目を離し、周りをぐるりと見渡すとカメラや大道具小道具、いわゆる撮影セットが目に付いた、その隣に視線をずらすとパンチパーマ、パンチパーマ、パンチパーマ…もじゃもじゃだらけだ。やっぱり人間ってブームに弱いんだなと感じる。

「到着ー」
「おつかれっしたー!」
「やっぱ遠出はしんどいなー」
「サキちゃんお疲れさま!マキちゃんもお疲れー」
「お疲れ様です」
「お疲れさまでした!」

そんなくだらない事を考えている間に車は目的地に到着したらしい。最後の方は薄暗い洞窟を走っていたようだが、こんなところに何があるというのか、現世は全くよくわからない。あまりむやみにうろうろするのもどうかと思ったのでおとなしくマキさんの膝に座っておく、そうするとマキさんは私を抱き上げたままバスから降りた。

「じゃあマキちゃん、事務所まで帰ろうか」
「はーい!」

 そういうとマネージャーさんはすたすたと前を歩き始めた。マキさんもそれに続く。よくよく周りを見渡すと、ぼんやりとした光がぽつぽつと浮いている。まだここは洞窟の中のようだ。ここから事務所に帰るとは一体どういうことなのかわからないが、いまさら逃げ出したところで長い長い洞窟を引き返せはしないし、行くあてもない。大人しくマキさんの腕に抱かれるという選択肢以外ないのだ。
 しばらく洞窟を歩くと、遠くに二つ人影がみえる。しかしどうも不思議なにおいがする…人の匂いではない。…いうなら家畜小屋みたいな匂いがするのだ。疑問を抱きながら二つの点に目を凝らすと、なんと顔が牛と馬ではないか。昔、地獄に恋人がいるという兎に聞いたことがある、地獄の門番は牛頭・馬頭という二頭が担っていると。ということはここから先は地獄ということになる。驚愕の事実に固まっていると、あらお帰り〜じゃっ、開けるわね〜と言うなりさっさと門が開かれた。ぶわりと吹き込んだ風が毛を撫ぜる、熱い。どうやら本当に地獄のようだ。私がキョロキョロと周りを見回しているとマネージャさんがチラリとこちらを一瞥するとこう言った。

「マキちゃん今日は直帰でいいよ」
「えっいいんですか?」
「事務所に兎つれてけないでしょ?」
「それは…」
「じゃあ明後日、迎えに行くね」
「はい、お疲れ様です」

 マキさんも驚いたようだ。でも私も驚いた。昨日今日で天から地まで移動することになるとは思いもしなかったのだ。偶然とは不思議である。マキさんはう〜ん、じゃあ今日は兎さんのご飯買いに行こうか、と私に話しかけた。その頭部にはかわいらしい角が二本顔を出している。マキさんは鬼だったようだ。ならばこちらもただの兎のフリをする必要はないだろう。

「この度は拾って頂きありがとうございました」

 お礼は早い方がいい。ご飯についての話題をぶった切ってお礼を告げると、まん丸の目をさらにまん丸にしたマキさんが悲鳴をあげた。

「え!?兎さん、喋れるの!?現世の兎って喋れるんだ!!」
「いえ、あの、私月兎なのです」

ですから喋れるのです、と続けようとするとマキさんの大声がそれを遮った。

「よくわからないけど、あなたは喋れるのね!」
「はい、今まで黙っていてすみませんでした」
「いいの!私、最近目上の人としかおしゃべりしてなかったから興奮しちゃって!」
 
ふとあの顔色を悪くしたマキさんが脳裏によみがえる。確かにあれは大変そうだ。気苦労も絶えないだろう。

「お仕事大変そうですね」
「気を使わなきゃいけないでしょ?大変で…だから兎さんが喋れるなんてすごくうれしい!」
「私もあなたに拾って頂けたことは棚から牡丹餅レベルの幸運です」
「敬語はいいよ!マキって呼んで!兎さんの名前は?」
「名前と言います。マキちゃん」
「名前ちゃんね!」

きゃっきゃとはしゃぐマキちゃんに口もとが緩む。なんだか元気が貰えるようだ。しばらくの間自己紹介に花を咲かせていたが、マキちゃんがあっ!と声をあげた。

「わ、私無理やり名前ちゃんをここまで連れて帰ってきちゃった!」
「私にとってはありがたいことだよ」

むしろ拾ってくれてありがとうと土下座するレベルである。しかしマキちゃんは顔を曇らせ、ぽつりとつぶやいた。

「でも、名前ちゃんは月兎なんでしょ?月に帰らなくていいの?」
「…私、元月勤務の月兎で…今は根無し草なんだ」
「根無し?」
「つまり無職です」
「はー無職ねー…えっ」

 驚くや否や少し頬を染めて、ねえ名前ちゃん、良かったら一緒に住む?と言った彼女の表情はなかなか忘れがたいほど幸せそうなものだった。


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