■ 1話


 無職、昨日私に与えられた称号である。
 長らく月で暮らしていたため下界や天国のことには疎い上に人づきあいもほとんどない。右も左もわからないとはまさにこのことだと途方に暮れていた。ここ数百年で私が習得しているスキルと言えば薬をすりつぶすことのみだ。それは薬剤師としてやっていくには必要なスキルだが、職探しには全く役に立たない。はぁぁとため息をつくと手ごろな石に腰掛けた。月から勢いよく現世に飛び出したは良いが、現世で兎に愛でられる・食べられる以外に職があるとは到底思えない。どっちもご免だ。なんで現世に来てしまったんだろう…もっと考えて飛び出すべきだった、全くばかなことをしたものだ。しかも配達の癖で海辺に出てきてしまった。しかも妖連れである。

「姫様に出会ったらお前と一緒に滅却されたりとか…」
「くぅん」

最悪の事態を想像して身を震わせる。哀れに思ったのかつぶらな瞳を揺らめかせ、元気出せよとでもいうように身を寄せる黒犬。原因はお前だよ。
 ざざんと打ち寄せる波を見つめらながら今後の身の振り方を考える。もうこうなったら食べられないだけましなのだし、町に出て誰かに拾ってもらおうかな…。しかしそう都合よく拾って世話してくれる良い人なんていないだろう。本物の兎なら野山でも駆けまわればいいのかもしれないが、私は理性をもった兎だ。年中発情期の兎と一緒にいたら発狂してしまう、無理。
 まともなアイディア一つ浮かばない自分に嫌気がさしてきた。原因はこの黒犬だが、昨夜散々思いつく限りの罵声を浴びせかけ、二度と見たくないからよそへ行けと言ったのに延々と付いてくるので怒りも消沈してしまった。いよいよ野垂れ死ぬしかないかと思い始ながら目線を横にやると、数メートル向こうにえらくパンチパーマの多い集団を発見した。現世ではパンチパーマが流行ってるのか知らなかった。

「マキちゃーん、もっとセクシーアピール欲しいんだけどー」
「あっ!はーい!」

 比較的髪質がストレートの小男が大小さまざまな小道具を持って非常に布面積の小さいビキニ着用の女の子に駆けよる。女の子はありがとうとお礼を言いながらも手がブルブル震えていた。暖かくなったとはいえまだ肌寒いこの季節だ、ほぼ全裸に近い恰好で海辺は堪えるだろう。そんな女の子を気にも留めず、カメラマンはどんどん要求を出していく。

「うーん…なんていうかな、もっと、こう…色気っていうの?」
「…はっ、はい、こうですか!?」
「あー、うーん、マキちゃんはセクシーよりもキュート路線だねぇ」
「えっ!」
「うんやっぱり来月の巻頭はやっぱりサキちゃんで行こう!マキちゃん、裏面になっちゃうけどいいかな?」
「あ…大丈夫です!…おねがいします」
「サキちゃーん!」
「あ、はーい!今行きまーす!」

 どうやらイメージと合わなかったようで、カメラマンにいわれるままボブカットの女の子はサイドテールの女の子と入れ替わった。顔色は悪いを通り越して土気色である。ゆっくりとこちら側に歩く様子はふらふらしており、少し強い風が吹けば今にも倒れそうだ。そこに女性が駆けよる、どうやらマネージャーのようだ。耳をくるりと回して会話を聞くと、マネージャーは励ましもそこそこに女の子に駄目出しをしている。女の子は今にも泣きだしそうだ。

「マキちゃんお疲れ様、言われたとおりに出来なかったの?」
「ごめんなさい…頑張ったんですけど…」
「マキちゃん…」
「はい、すみません」
「はぁ…いいのよ、今度はマキちゃんに合った仕事持ってくるわ、出来るだけね」
「お願いします」

 マキちゃんと呼ばれた女の子はふらりと倒れるようにして砂浜に座り込んだ。ひどく落ち込んでおり、放っておいたら身投げする勢いだ。顔色は悪くなるばかりで、噛み締めた唇からは血が滲む。その唇はチアノーゼを通り越して白色だ。
 あまりの様子に心配になり、ついつい近くまで駆けよる。その際、抱えていた袋を音を立てて降ろしてしまい、女の子が大きな目をパチクリさせながら固まってしまった。やらかした、海辺に袋を背負った兎がいるなんて不審すぎる。しかも飛び出してきたはいいが兎の姿で何をやるというのだ、ここがあの世なら兎が喋るのもおかしくはないが、ここは現世だ。私は彼女を慰めることすらできない。カチンと固まってしまった私をよそに、女の子はふふ、と口もとを緩めた。

「白兎さん…慰めてくれるの?」
「…」

 もういいや、いざとなったら走って逃げればいいと腹をくくり、女の子の太ももに前足を乗せる。すると上から柔らかな掌が重ねられた。じわりと広がる熱になんだか心地よくなる。ゆるゆると瞼を閉じると女の子の手が背中にまわり、私を持ち上げ膝に乗せる。ひんやりと冷え切った膝から伝わる冷気にぞわりとしたが、やわらかく背中をなでる手が思いのほか気持ちがよかったのでされるがままになっていた。すると女の子がぽつりと疑問を漏らす。

「なんでこんなところにいるの?迷子?」
「マキちゃーん!門限が近いから帰るよー!」
「はーい!」

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべる女の子にマネージャーと思わしき人から声がかかる。どうやら撮影が終了したようだ。すぐさま女の子は私を地面に下ろすと立ち上がり、じっとこっちを見つめてくる。

「でも、首輪ないよね…うん、そうしよう」

 どうやら首輪やプレートの類が付いていない私をペットではないと判断したらしい彼女は何を思い立ったか再度私を持ち上げた。急な浮遊感に身体を固めた私を見て、嫌がっていないと思った女の子はそのままパンチパーマ集団に駆けて行く。私を見たマネージャーが一言、どうするのその兎と問うと彼女は微笑みながら言った。

「連れて帰ります!」


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