■ 28話A

「でも、ようやく仕事らしい仕事が出来るようになってきてホッとしてます」

団子をおいしそうに頬張りながら、ぽつりと呟かれた言葉に鬼灯はゆっくりと視線をそちらへ向けた。
視線の先にはどこか過去を思い出すように目を細めた薬草採取員が一人。
鬼灯からの視線に気づかぬ名前は、尚も女らしさより食い気を優先した様子で甘味を食べる手を進めた。

「最初はあまりにポンコツすぎて、いつ放り出されるのか冷や汗ものでした」

毒草の区別がつかず、片っ端から摘んできては一つずつチェックしてもらったものだ。なんともいえず渋い顔の鬼灯様の顔が今でも目に浮かぶ。
ようよう役に立つようになったのは最近ですね、といえば鬼灯様はきょとんとした顔でぽつりと口を開いた。

「誰でも最初はそんなものです、少し間違ったからといって捨て置くなどしませんよ。ですが、今となってはもう一人立ちできそうなほどになりましたからね」
「鬼灯様にそういっていただけると少し自信が付きます」

鞭と飴が9:1のこのお人から飴がもらえるなんて何よりの自信の源だ。
何よりあれこれ教えてもらった恩返しが少しでもできているのならば、私も頑張った甲斐があるというもの。
当初は長いと思われた一月、二月も慣れてしまえばあっという間だった。無事終えられたことにほっとすると同時に、一抹の寂しさも覚える。

「もうすぐこちらで働かせてもらう期間も終わりますね、少し寂しいですけど」

そろそろ薬局が元の形になりつつあると、桃太郎先輩から連絡が来たのは昨日の夕方ごろだ。
ボロボロもボロボロ、チリも残さぬばかりに目の前の御仁の手によってぶち壊れた薬局は、やれ業者の予定が合わぬだのという面倒を乗り越えてやっと元の姿を取り戻しつつあるらしい。
あそこがなければまともに仕事にならないし、白澤様の借金もそう返せてはいないのだろう。
帰ったら頑張らないとな、と一人拳を握っていると、ぽつりと声が落とされた。

「…名前さん、折角こちらに慣れてきたところなのに、これっきりというのは勿体ないと思いませんか?」
「え?あ、そうですね、こちらの方とも仲良くなったしこれっきりっていうのも少し寂しい気もします…」

地獄ということで身構えていた私に気さくに声をかけてくれた人は数知れず。鬼が出るか蛇が出るか、その文字通りの世界である地獄だったが、思いのほか住人は恐ろしい人ばかりではなかった。
食堂の調理員さんから、新人獄卒の方、お香さんにこの目の前の鬼灯様まで。一つずつ作りあげてきたつながりをここで一気に断ち切ってしまうのは非常に心残りだ。
うーんと唸りながら顎に手を当てた名前を視界に収めた鬼灯は、一つ人差し指を立てると口を開いた。

「そこで相談です。あなたが人に戻り薬草採取の仕事ができなくなる期間、ここでこのバイトをしてみませんか」

こちらなら人型でも仕事ができますし何より、給料は弾みますよ、という人差し指を立てて呟いた鬼灯の一言は、毎月お金に苦労する薬局にとっても、名前にとっても甘い誘いだった。
なぜならどうせ名前が人型になる期間は天国での仕事ははかどらない。鼻が使い物にならないからだ。
というわけで人型変化期間は、精々レジ打ちや物品整理をする程度となる。
しかし女性がいつ来てもいいようにと店主が床をピカピカに磨くものだから、いよいよ名前の仕事は少ないものだ。少し抜けても問題ないほどに。
ならば地獄で働かせてもらった方が効率が良いというものである。
それにバイト料の何割かを薬局に渡せば、私が上で仕事をするよりもより白澤様の懐が温まるに違いないし、それならば白澤様も了承を出してくださるだろう。
いつだって女性と遊ぶお金の工面に苦労しているのだ、OKが出ないわけがない。
そこまで即座に考えた名前は一つ頷くと顔を上げて鬼灯に向き直り、ぺこりと頭を下げた。

「お邪魔でないのなら、ぜひお願いします」
「では契約成立ですね、詳細な予定はまた連絡します」

地獄は人手不足ですから助かりますよ、というなり鬼灯様はぽすんと私の頭の上に手を置いた。
あっけなく決まってしまったが、なにせ鬼の官吏様だ、そういうバイト枠に私を入れてくれるのだろう。
それよりも―――そろりと視線を上げれば、相変わらずの無表情で頭をぽすぽすと撫でる鬼灯様が目に入る。ちらりと視線を送るが、鬼灯様は知ってか知らずかスキンシップを止める様子はないようだ。
最近気が付いたいことなのだが、鬼灯様に頭を撫でられることが多い気がする。おそらく兎時の癖が出てしまうのだろうと思うのだが。
一度最近馴染みになった獄卒のお姉さんにその様子を見られたときは、お二人は恋人かしら、とからかわれてしまった。
そんなバカな、と返したが、その際の生暖かい視線は忘れられない。
鬼灯様に女っ気がなさすぎることと、私が今下手に人型で過ごしていることが重なった小さな勘違いだろう、きっと。
そう結論付けると、ぽんぽんと存外暖かい手の平が頭の上を滑る感覚を楽しむことに専念した。やっぱり鬼灯様は撫でるのが上手だ。



地獄で厄介になるにあたって、鬼灯様と交わしていた約束事が一つだけあった。
なんのことはない、閻魔殿周囲及び鬼灯様指定の採取地点から離れて出歩かないこと、ただそれだけである。
地獄は広大だ。加えてこの周辺は刑場である。一つ間違えば叱責される側であると勘違いされてしまう可能性も十分にあり得るというのだ。
簡単に言えば、一人でうろうろすると迷子になるに違いないからこの辺から出るなということである。
私はこの二月、一度たりともこの約束を破ったことはなかった。まず破ろうとも思わなかった。
なぜなら破らなくとも不自由しなかったしなにより、それを破ったらどんな恐ろしいことが待ち受けているか想像したくもなかったからだ。鬼灯様との約束事を反故にするには圧倒的に勇気が足りない。
そんなビビり症の私がなぜ閻魔殿を離れて集合地獄まで足を延ばしてしまったのか?
その発端は、たまたま書類を届けに閻魔大王のところを訪れたことであった。
ちょうど急ぎの書類を小走りで届けに行ったところに出くわしたのはなんと、床に這い蹲って顔を真っ青にし、集合地獄管轄の書類を片手に絶望している閻魔大王だったのだ。
大王は大らかで朗らか、人当たりの良い人物であるが、事書類管理に関しては庇いようがないくらい雑なのは誰もが知る事実である。
聞けば後から判をつき、集合地獄主任補佐であるお香さんに渡すつもりだったものをすっかりきれいに忘れ去ってしまっていたのだとか。
そして気づけば期日は本日まで迫っていたというわけである。
自業自得とはまさにこのこと。巻き込まれぬうちに、どうぞご自分で後始末を、とその場を立ち去りたかったのだが、残念なことにそれは叶わなかった。
私は何も見なかったと背を向けた瞬間、背中に悲愴な声が突き刺さったからである。

「ちょっと待って名前ちゃん!お願いだよ!昨日も書類なくしたばっかりでさぁ…二日連続でこんなこと知れたら鬼灯君にどんな目に合わされるか!」

今度こそヒゲを根こそぎ引き抜かれる、と絶望を漂わせた大王は尚も悲痛な声を上げた。
あまりの形相に先ほど固く決めた心が少し揺らぐ。いや、だめだだめだ。ここで揺らいでは待っているのは恐ろしい未来、気を持ち直せと自分を鼓舞する。
さあスパッと断るんだ自分。やるんだ自分。小さく拳を握ると、大王に向かって口を開いた。

「あのでも私、外にはいけないので…」

だが口から零れだしたのは固い固い決心とは程遠い、なんとも自信のなさがにじみ出る様な声であった。大王でなくとも、このまま一押しすればイケる!と感じてしまうほどに。
申し訳なさそうに眉を下げ、視線を左に右にと彷徨わせる名前を目下に収めた閻魔大王は、いいのかこの子に頼んでしまってと叫ぶ良心と、まさに鬼の形相を浮かべた鬼灯を天秤にかけて―――ものの数秒で答えを出した。むしろ天秤にかけるまでもなかった。
名前には申し訳ないが、片方の天秤が重すぎであることは明確だ。

「大丈夫!こっちから仕事を頼んだことにするから!」

好々爺である閻魔大王も、このときばかりはゴリ押しをせざるを得なかった。なにせここで押し切れなければ、数日連続で鬼灯の手間を増やしてしまうという恐ろしい偉業を達成してしまうからだ。
不死といえど血が出れば痛いし、頭をえぐられれば視界も霞む。しかも今日の彼は三徹目だ、自分のせいで。機嫌なんて最悪だろう、何が起こるかわかりゃしない。
閻魔大王はぞわりと背筋を走った悪寒を振るうように頭を一振りすると、さらにダメ押しの一言を放った。


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