■ 28話@

「鬼灯様、採取終わりました」
 
ぱたぱたと軽やかな足音とともに己にかかる声に、書類業務に忙殺されていた鬼灯は面を上げた。
次いで作業台の上に乗せられる大きな籠。背負うは何の変哲もない普通の女である。
台に下ろされたそれは、兎時に使用するものの3倍ほどの大きさはあるものだろう。
中身の確認お願いしますといわれ、言われるがまま籠の中をのぞき込めば、見るからに身体に悪そうな鮮やかな赤青緑の葉っぱが数枚ばかり。その奥に放り込んであるキノコ類云々からは、ツンと鼻をつく独特の臭気、それとほんの少しの甘い香りが漂っていた。

すべて望みの品だ。
間違いないですよ、と了承を返せば、名前は慣れた手つきで手袋を装着するなり指定の袋に種別に小分けしはじめた。
これは温度管理が必要なもの、こっちは胞子が飛ぶもの、と確認するように呟くながら作業する手は、間違いなくそれらを分けていく。
こなれた手つきは最近ようやく習得したものだが、当初に見られた危うげな手つきはすっかり消え失せた。
間違い防止のためにと己の目の届く所で仕分け仕事をやらせていたが、今ではそれもほとんど必要ないだろう。
――こうなると尚更天国に返すのが惜しい。
名前がせっせと仕分けする様を頬杖をつきながら眺めていた鬼灯は、ゆっくりと机の端に置かれていた書類に目をやった。


派遣期間延長契約書。
当初数週間程で地獄業務を終了する予定だった名前だが、それを暫し延長せねばならない問題が浮き上がってきた。
鬼灯が暴れまわった事により半壊した薬局の修繕が間に合わないのだ。
どうも業者が多忙なシーズンに当たってしまったらしく、工事着手まで半月ほど待たねばならないらしい。
その間も雇用している限りは給金を払わねばならないが、薬局まで直さねばならない白澤の懐に余裕がある訳もない。
雇用期間延長ならいつでも喜んで、とのたまった破壊の元凶の鬼に仕方なく、本当に仕方がなく名前の派遣期間延長を申し出た次第である。
勿論そこで、お前が壊したくせに、私は正当な行為をしたまでです、と一悶着あったのは言うまでもない。

心底悔しそうな顔を浮かべながら、投げ捨てるように契約書をこちらに寄こした当時の白澤の姿を思い出して、鬼灯はふ、と口角を持ち上げた。
アレは傑作だった、どうせあいつはそんな顔した事に気付いてないのだろうが。
あの時浮かべた白澤の表情は、懇意の女性に振られた時の顔よりも数割増しで険しかった事は鬼灯と、同席していた桃太郎のみが知る事実である。
認めたくはないが、あいつも自分と同じくテリトリーを荒らされるのが心底嫌いと見える。まあ、それでだけではなさそうだが。
そこまでで思考を中断させた鬼灯は、せっせと毒草の仕分けに励む名前に視線をするりと戻した。
視線の先の名前は無心に仕事に打ち込むばかり。一度たりとも目線があうことはない。
その無心なまでの集中力は、長所でもあり短所でもある。しかし少なくともこういった一点に打ち込む仕事を任せる上では非常に有用な特徴であろうことは事実。
なかなかのスピードで毒草を捌く名前をしばしの間眺めた鬼灯は、ほんの一瞬思案する表情を浮かべると思案していた案件に決断を下した。
――やはりしばらくの間、名前はこちらで預かっておこう。
人手は少しでも多いほうがいい。それにその方が奴の反応が面白い。
契約延長を申し出た場合に浮かべるであろう白澤の不服そうな顔を思い浮かべて、鬼灯は口角を持ち上げた。
それに――仕事ができることよりなにより、補佐官である自分に対して色目を一切使わない点が非常に便利だ。獣として過ごす時間が長すぎて、色目という考えがないのかもしれないが。
閻魔庁は地獄の中心地だ。
何かと情報の集まるこの場所で勤務する鬼女は、総じて強かかつどこか狡猾な部分があるものが多い。
過去に何度かそんな彼女たちを近くに置いて仕事をした事はあったが、それはそれは面倒なものだった。
初めは真面目に働く彼女らだが、最終的には己含めそれなりの役職に就くもの達にさりげなく色目を使うようになってくる。
仕方がないといえば仕方がないし、勿論中には誠実に付き合っているものもいたが、それでもどこかドロドロとした雰囲気が漂うのは致し方がないことだ。
一部の女性の下心が渦巻いていた、一番修羅といえる時期を思い出して鬼灯は小さく吐息した。
やはり打算がない関係は楽だ。何かと思惑渦巻く閻魔庁の中であるからなおさら。
鬼灯は一度もこちらを振り向かず仕事に打ち込む名前をじっと見つめると、満足げに口角を持ち上げた。




打って付の仕事があります、などと言われ、やれ亡者に使用する毒の実験台にでもされるのではないかと背筋を震わせていた所。
なんと言い渡された仕事は、なんのことはない毒薬採取をしてきてほしいというものであった。
毒草は薬草と違って一目で毒と分かりやすい物が多いから大丈夫だといわれ、半ば強制的に籠を渡された時の驚きは忘れられない。
なんでも私をその役に宛がった理由は、薬草採取でそういった方面には慣れている点が2割、兎時に比べ人間時の方が視力が良くなるから採集しやすいだろうという点が1割、そして白澤様に嫌がらせが出来る点が7割という配分らしい。
私情にまみれすぎである。
あの忌々しい獣に偶には一矢報いたいもので、と実に楽しげに天を見上げた第一補佐官殿の表情は記憶に新しい。
”偶に”はではない気がしたが、流石に私も命が惜しいので黙っておいた。
そんなこんなでざっくり仕事内容と毒草についてのレクチャーを受けるなり、何事も実践だとばかりに放り出されたのだ。
ちなみによく似た毒草など山ほどあるので、これだ!と持ち帰った物がよく似た別物であるなんて事がざらにあった。
その後みっちりと見分け方についてご指導を何度を賜ることになったのはいうまでもない。
頭ごなしに叱りつけるでもなく、じっくりかつ妥協を許さない鬼灯様のレクチャータイムは、まさに厳しくも的確な指導を体現したようなものだった。
あまりに的確すぎて、耳が痛くなった事が数度あったのは頭の片隅に追いやる事にする。
そんな苦い思い出を思い返しながら一杯に詰まった籠に手をやると、虚空をかく感覚。
そっと視線を下におろせば、すっかり空っぽになった籠が目に飛び込んできた。と、同時に掛かる響く低音。

「まあ一息入れましょう」

声のほうに目をやれば、根を詰めすぎるのもよくない、と机上の書類を端によける鬼灯様が目に入る。
書類を箱なりなんなりにしまわず、雑にその辺にどかすだけの対応から彼の疲労感がうかがえた。
いつの間に運んできたのか、ふわりとあたたかな湯気を立てる湯呑を差し出されるまま受け取る。
熱過ぎず、かつ温すぎない湯温に自然と肩の力が抜けていく。それは鬼灯様も同様なようで、佇まいこそ変わらないものの、うっすらと目元が緩んでみえた。

「今日は鬼灯様に淹れてもらってしまいましたね」
「いつもはあなたが淹れてくれますから、たまには」
「書類が溜まっているみたいなのに、大丈夫なんですか?」
「たかだか十数分の休憩です。それに根を詰めすぎてもよくないと、どこの誰が言ったんでしたかね」
「うっ…」

それにどうせ大王が判を押さねば進みませんから、と閻魔大王の過ごす部屋をひとにらみした鬼灯様は、茶請けらしい団子を一つ頬張った。

私と鬼灯様の間に仕事合間の休憩タイムが設けられることになったきっかけは、ほんの一月前のことだった。
地獄で働き出して一月経ち、少しずつ地獄の風景や仕事内容に馴染んできたころのこと。
頼まれた毒草のチェックを願い出ようと鬼灯様のところに持って行けば、なんとそこには目の隈を濃くさせた鬼神様が書類の山と戦っていたのだ。
いつもなら書類仕事中の彼には話しかけず、終わった頃合いをみて用を告げる。彼の集中力を切らせるのは申し訳ない。
だが、さすがにこの時ばかりは仕事の邪魔になるとかならないとかそういう問題じゃないほど恐ろしい顔をしていた。
目の下の隈は真っ黒な墨で塗ったのかと思う程濃く、目は若干血走り、視線だけで人一人どころか十人くらい殺せそうな眼光をしていたのだ。
幸か不幸かその場には他の獄卒方はおらず、私と鬼灯様の二人だけ。
私にとっては間違いなく不幸であったが、今思えば他の、たとえばシロさんとかがいなくてよかったのかもしれない。だってあれ、トラウマものだった。夢に出るかと思った。
そんな状態の鬼灯様を前に、毒草だけ配達してサヨナラーなんてできるわけもなく、恐る恐る休みを取ってはどうかと進言したのだ。
五分でも十分でもいいから、休息をとってくださいと告げた声が震えまくっていたのは致し方ない。だってあの顔本当に怖かった。
まさか私にそんなことを言われるとは思っていなかったらしい鬼灯様は、その言葉を聞くなり数度ぱちぱちと瞬きを繰り返すと、こてんと首を傾げ、不思議そうな顔を浮かべる。
あ、これ自覚してないやつだと判断した私は、ポケットに入っていた鏡を手渡すと、自分の顔を見るよう促した。

「ああ、これくらいならまだ行けますね」
「ちょ、待ってくださいどこをどう見たらそんな感想が!?」

半分落ちかけの瞼で、横から落ちてくる前髪を邪魔そうに書き上げた鬼灯様は、この書類が終わるまでは持ちますね、と淡々と鏡に向かってつぶやいた。
その様は他者から見れば完全に大丈夫ではない、完全に据わりきっている目だ。
おろおろと鏡と鬼灯様の顔を見比べる私に、鬼灯様は自分の目を見るよう促すと一つ頷き口を開いた。

「ほら白目が全部充血してないでしょう、まだ大丈夫です」
「いえその、ほとんど充血してるので休んでくださいませんか…」

そりゃあ真っ赤じゃないかもしれないが、通常に比べれば充血しまくっている部類に入る。いや、これを充血した目と呼ばずして何と呼ぶ、と言わんばかりの疲れ目であった。
少し目を瞑るだけでも全然違いますと告げれば、鬼灯様は少々不服そうな顔を浮かべつつも、ではこの一枚が終わったらと休息の約束を了承する。
しかし、このままこの書類を一枚仕上げても、きっと彼は五分と休まず仕事に戻るだろう。
ならば何か時間稼ぎの手段が――その瞬間私の頭をよぎったのが、お茶を持って来れば休む時間が伸びるかもしれない、という安易な考えであった。
思い立ったら吉日とばかりに、馴染みになった獄卒の方のところに飛び込み、蒸しタオルとお茶、そしてお茶請けを運よく手に入れる。ここの流れはあまり覚えていない。
走り慣れない人の足は少々縺れやすかったが、どうにかこうにか彼の書類が終わるまでに執務室に飛び込めた私は、書類は頭を使うから甘いものも必要だなんだと適当なことを言って鬼灯様の前にお茶と菓子を並べるとそれを食べるよう勧めた。
甘いものを鬼灯様が好んでいる事は承知済みのこと。そして、どうやったのか今となっては必死すぎて思い出せないが、最終的には暖かい蒸しタオルを鬼灯様の目元に乗せることに成功したのである。
そしてそのまま十数分ほど仮眠をとった鬼灯様は、目が冴えました、休憩も必要ですね、というなり私にお茶のお礼を告げたのである。そして私もそこで我に返った。なんて恐ろしいことしでかしたんだ、と。
今思えばかつてない行動力を発揮した瞬間であった。
半ば記憶が飛んでいるから、きっと必死過ぎて理性とかそういうのが薄れていたのだろう。そうでなければ鬼灯様にこうも強く出られるわけがない。
その時から細々と続く習慣がこれ、お仕事合間のお茶休憩であった。
初めのほうは、鬼灯様に休んでもらう手段が思いつかず私が一方的にお茶を運んでいただけだったのだが、その回数が十を超えたあたりから鬼灯様も徐々に、徐々にだが自主的に休息をとりましょうと誘ってくれることが多くなってきた。
私はそこまでハードワークではないのでお茶を頂いて休むほどではないのだが、鬼灯様に淹れてもらうお茶を受け取らないなんてことできない。
それにそれは口実で、実はこのお茶休憩の時間に食べるお八つを選ぶことがちょっとした楽しみになってきているのだ。今日はあそこのお菓子にしよう、次は洋菓子にしよう、など。
つまり結局のところ、鬼灯様の休息なれと始めた習慣だったが、私は私で勝手に楽しみを見つけてしまった状態なのである。


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