■ 21話

「あなたが名前ちゃんかしらァ」
「こ、こんばんは…?」
「そんなに緊張しないで。アタシはお香、よろしくねェ」

立て札に導かれるままに進んだ先にあったのは、大浴場も大浴場、えらく巨大な作りの風呂場だった。あまりの広さにどっちへ行けばいいのだろうかときょろきょろしてた所を、このお香さんに声をかけて頂いた次第だ。しかもどうやらお香さんは鬼灯様に私を風呂に放り込めと言付かっているらしく、ありがたいことに風呂道具一式を準備してくれていた。
これ使ってねと渡された、見た事もない、どことなく高そうなシャンプーにコンディショナーを見て、自分との女子力の違いを思い知る。そりゃこんなに美容に気を遣うのだから美しい訳だ。艶やかな蒼髪と黄金の瞳に魅惑の体躯を持つお香さんは、女の目から見ても文句のつけどころのない美貌の持ち主だった。
しかもなんでもこちらのお香さんは、あの鬼灯様の幼なじみらしい。他にあと二人ほどいるんだけどねぇと頬に手を当て、懐かしそうに呟いたお香さんの表情はとても楽しげであった。
鬼灯様の昔なんて全く想像がつかないが、一体どんな子どもだったのだろう。今みたいに破天荒だったのだろうか、それとも意外とよく泣く子どもだったりして。脳裏にぴーぴーと泣きわめく鬼灯様の子ども時代を想像して、思わず吹き出してしまった。…こんな事を考えていたのがばれたらえらい目に合う。黙っておこう。

「昔の鬼灯様なんて想像がつかないです」
「そうねぇ…中身にあまり変化はないかしら。今と変わらず随分変わった子だったわよォ」
「ああ…想像に難くないです」
「きっと考えた通りの性格だと思うわ」

先ほどまで涙を流していた子鬼灯様が、その一言で無表情で亡者に一番よく効く拷問を選択する子鬼灯様へと変化する。流石は鬼灯様、昔からブレがないです。
そんな世間話をぽつりぽつりと話している間にすっかり緊張も解け、仕事の話から何気ない話題のニュースに至るまでとりとめのない話に花を咲かせてしまったようで、浴場に設置されている時計は、入浴した時刻から一つ針を進めていた。
マズい、長湯しすぎた。急いでお香さんにお礼を告げると慣れない着物をどうにか着付ける。襦袢なんて着ることがないから上手く着られず、少し緩いままだが仕方が無い。鬼灯様に部屋の鍵を貰ってなければ、この後の予定も聞いていないのだ。きっとお部屋かどこかで待ちぼうけをくらっているに違いない。
遅い、とドスの聞いた声を出しながら、愛用の金棒を片手でぺしぺしと遊ばせる鬼灯様の姿が頭に浮かんだ。…駄目だ、これ以上遅れたら身の保証がないかもしれない。
何と良い訳しよう。お香さんとの話が弾みました、じゃあ自己管理が出来てないと一蹴されるに違いない。
ならば着替えに思ったより時間が掛りました…いや、これじゃ時間管理ができて無いと言い捨てられるだろう。
どうしようと頭をぐるぐる回しながら猛スピードで女風呂の暖簾を潜ると、自販機の前で悠々とコーヒー牛乳を飲み干す鬼灯様が目に入った。ちなみに片手にはしっかりと金棒が握られている。

「お、遅くなりました!すみません!」
「おや、早かったですね。女性の風呂だからもっと時間がかかるものだと思っていましたが」
「え」
「まあ早いに越したことはないです。では行きましょうか」

そういうと鬼灯様はコーヒー牛乳の瓶をゴミ箱にポイ、と投げ捨てた。
かくなる上は土下座か…と思いながらコーヒー牛乳を飲み干す鬼灯様様の前に躍り出たのに、思い描いていたものとは全く違う反応が帰ってきて驚く。完璧に眉間に縦皺が刻まれているものだとばかり思い込んでいたのに。
思わぬ対応にホッと息をつくと、様子を不審に思ったのか二、三歩先を歩いていた鬼灯様がちらりとこちらに視線を向けてきた。ぱちりと視線がぶつかった際に目に入った、風呂上がり特有の湿り気を帯びた髪に、やや上気した頬、少し緩めに着付けた浴衣を纏う姿にどくりと心臓が大きく拍動する。
常々思っていたが、どうにもこの官吏様は色っぽくて敵わない。女も顔負けの色気だ。
一人勝手に心臓をドクドクさせながら、必死で部屋の扉を開けた鬼灯様の後を追いかけていると、どこからかパチリと乾いた音が聞こえた気がした。



「では予定通り名前さんはこちらで休んで下さい」
「本気だったんですか?!」
「ええ。では明日の朝迎えに来ますので……一応、あまり物に触れない事をお勧めしておきます」
「絶対に触りません」

好奇心は猫をも殺すと言うし、それにみるからに怪しげな物品に好んで触れるほど私は勇気を持ち合わせていない。罷り間違ってもベッド周辺以外は触らないでおこう。
大人しく一晩過ごすぞと心をきめていると、鬼灯様はではまた明日朝に、と一言残すとパタリと扉を閉めてしまった。
こんなに簡単に部屋を明け渡してしまっていいのだろうかと一瞬考えたが、きっと大事な書類関連はすでに運び出しているか、どこぞに片づけているのだろう。それに私みたいなド素人がそんな書類を目にしたところで地獄の内情が分かる訳でもなし。
ぐるりと辺りを見渡すと、丁度部屋の真ん中にある綺麗に整えられたベッドがさあ寝なさいとばかりに私を誘う。
疲労度的にはもうベッドに身を横たえてしまいたいのだが…鬼灯様のベッドであるという事実が私の足を踏み留めた。
果たして、これほどまでに敷居の高いベッドが今まであっただろうか。たとえ最高級のベッドだとしてもここまで緊張することはないはずだ。
疲労困憊と言えど、流石にベッドのド真ん中に腰を下ろす勇気もない。
おっかなびっくり端の端、お尻が落ちるか落ちないかのギリギリの所に腰を下ろした。
ふぅ、とため息をつきながら顔を上げれば、とたんに眼前に飛び込んでくる用途の見当がつかない謎の収集物、何かの粉末と薬草に、どこか見覚えのあるクリスタルなアレ。
よくみるとアレ、二つも飾ってある。二回も当たったのか、恐ろしい強運の持ち主だなぁと室内灯の温かみのある光を反射するそれをぼんやりみつめていると、その奥に漆黒の珠がぷかりと浮かび上がった。
室内灯の色は少しぼんやりとしたオレンジ色だ。
透明なクリスタルでできているはずのそれに当たった所で、間違っても黒く反射したりはしない。そう、絶対にだ。
先ほどのあれが見間違えであることを祈りながら再度それを見返すと、先ほどまで黒い珠を浮かべていたクリスタルがオレンジ色に輝く代わりに、その隣に豊かなまつ毛に縁取られたまん丸な漆黒の瞳が二対こちらをじっと見つめていた。
まんまるい空洞の様に仄暗い揃いの瞳のまま瞬き一つしない幼子二人は、物音一つ立てぬまま、すっとその小さな指先でこちらを指さす。

「ねえ、あなた、誰?」
「ここ、鬼灯様の部屋」
「鬼灯様は、誰も、ここにいれないの」
「でも、あなたはここにいる」

なんで?と声を揃えて疑問を口にしたあと小首を傾げた少女たちの表情は、不思議そうな口調とは裏腹に全く動かない。
黒髪、白髪、黒髪、白髪の子の順で細切れに言葉を紡ぐ女の子二人にどこかで見たような既視感を感じた。
なんだろう、この部屋の主に何となく似てる気がする。この鉄壁の表情筋の感じとかまさにだ。
どう思えてしまえば先ほどまでの恐怖はどこへやら、どことなく親近感を感じるのだから不思議なものである。
少女二人と部屋の主の共通点を発見した事に小さな感動を覚えていると、何か思うところがあったのか黒髪の少女が掌の上にぽんと拳を置き、わかったと抑揚のない声色で呟き、ゆっくりとそのちんまりとした指をこちらに向けた。

「閃いた。そう、愛人だ」

ね、と言わんばかりに隣の白髪の子とアイコンタクトを取った黒髪の子は、そうだそうだ、と楽しげに口を開く。
視線を向けられた白髪の子もなぜだか合点がいったらしく、掌の上にぽんと拳を置くと、おお、と感嘆の声を漏らした。

「そうだ、今日の昼のどらまで見た、不倫」
「納得した」
「どらま難しかった、でも楽しかった」

昼のドラマ…昼ドラ?!
なぜ年端もいかぬような子がそんなもの見て楽しんでるんだ、と一瞬疑問が浮かんだが問題はそこではない。

「愛人、不倫!?いやまさかそんなおそろしい!お二人ともきっと間違って解釈してるよ!」

必死に手を振って全力で間違いを主張するが、自分なりの結論に行きついた二人はそんな私のジェスチャーなどなかったかのように、楽しげに下駄をカラコロ鳴らすばかりだ。

「愛人、禁断の関係」
「隠れて密会、わくわくする」
「昼間の寝室で、密会?」

どらまがここで、と先ほどまで空洞の様に深かった瞳に一筋の光を宿した二人は、尚も楽しげに昼間学んだらしい昼ドラの展開を単語で漏らす。
最後の方に不穏な単語があった気がしたが、少し悩んだ末触れないでおいた。
私の全力の否定など全くの丸無視と決め込んだ二人を留める手はずは思いつかない。結局暴走する幼子に向けて情けなくも、あの、とか、ちょっといいかな、とかの煮え切らない言葉を掛けている途中、ふと気が付いた。

「そもそも鬼灯様って結婚されてるのかな…?じゃないと不倫にならないよね」

知り合ってそう日は経っていないが、連れ合いが居る風にはお世辞にも見えなかった。
自由人、かつ必殺仕事人だが気遣いもできる不思議な方という印象はあるし、そういった噂話も聞く。
しかし浮いた話は一つも聞いたことがなかった。補佐官という立場もあってそういう事には気を配っているのかもしれない。
それにしてもゴシップにすらそういった話は出ないと、白澤様の知り合いらしい女性がぽつりと漏らしていたのを聞いた気がする。
じゃあ未婚かな、とぼんやり考えていると、女の子たちも小首を傾げて数秒思案したあと、ぽつりと口を開いた。

「多分してない。じゃあ、愛人じゃなくて恋人?」

恋人、と自分で口にして、先ほどまでの鉄仮面はどこへやら急にはっとした表情を浮かべた白髪の子が両手をぎゅっと握りしめると、やや視線を下げ気味にしながら先程より小声で口を開いた。どうも先ほどの間違った解釈が少々恥ずかしかったらしい。

「そっか恋人、わかった、えっと…」

そういえば名前しらない、と再び指を揃えてこちらに向けた二人は続きを促す様に指先をくるりと回した。
子どもらしい可愛らしい所作に促されるまま自己紹介をすべく口を開くと、満足げに頷く二人。

「あ、名乗り遅れました、名前と言います、よろしくね」
「名前?私は一子」
「名前、覚えた。私は二子」

またね名前、と口もとだけほんの少し綻ばせた二人は、カランと下駄の底を軽やかに鳴らすと流れる様な仕草で部屋のドアノブに手をかけた。
うんまたね、と手を振りそうになって、ふと気が付く。いやまて、誤解を解いていない。大問題の誤解が解けてない。
二人ともちょっと待って、と急いで閉じられたドアを突き破る勢いでバアンと開けたが、そこには二人の影も形もなく、しぃんと静まり返った長い廊下があるだけだった。
閑散とした廊下とは真逆に不安の嵐が吹き荒れる私の胸中。
いやいや大丈夫なはずだ。そう、あの物静かな感じの二人が吹聴して回るとは考えにくい。きっと静かにお人形遊びとかしてるタイプのはずだ、あの見た目的に。
どちらにせよ一晩きりだし、まあ大丈夫だろうと自分を納得させた名前は、ドッと背中にのしかかった疲労に促されるまま、ベッドの端っこに潜り込んだのであった。



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