■ 20話


「こちらです」
 そういうと鬼灯様は、絢爛豪華ではないが品のある、小さな扉を指さした。その端には客間と書かれた札が立て付けられている。扉一つとっても明らかに高級感が溢れる客間に、思わず足を一歩引いてしまった。
一般人を泊めるようなお部屋には到底見えないのだが、本当にここを借りても大丈夫なんだろうか。お部屋間違ったんじゃないですかと思いながらチラリと鬼灯様を見やると、きょとんとした表情で、何を突っ立ってるんですかと言うと扉に手を掛けてしまった。心の準備をする間もなく回されたドアノブに、軋む音一つ上げずにするりと開く扉。その奥にはいかにも和風な座敷が広がっており、汚れ一つない畳の上には髪の長い一人の女性が横になって転がっている。…女性?

「なんじゃ、レディの部屋にノックもなく」

ゆるりと波打つ髪を二つに結え、バッシバシのまつ毛をぱちぱちと上下させた女性は、私の前上司と纏う空気がそっくりだ。それもそのはず、このイザナミ様は月読様の生みの親であるイザナギ様の妻だったのだから。
そんな高貴な神であるイザナミ様が、なんでこんなところでのらりくらりねっ転がっているんだろうか。そもそもイザナミ様はご自分の御殿をお持ちなのになんで態々ここで?
目の前の展開を飲み込めず、ドアの前でぼーっと突っ立っていると、隣からやや不機嫌な声が聞こえた。声の主は、眉間に少し皺を寄せた鬼灯様だ。

「…イザナミ様、何故ここに?」
「恨み女の集いで女子会を開いたんじゃが、思いがけず話が弾んでな。もう暮の頃だし、ここに一晩泊めて貰おうと思っての」
「そうですか…誰に許可を得ました?」
「大王じゃが」
「あんのアホ」

連絡入れといたのに、と鬼灯様はぼそりと呟いた。
しかし客間をイザナミ様が使われるのであれば、ここに泊まる訳にはいかない。やっぱり何かしら服だけお借りして、マキちゃんのアパートまでダッシュで帰るしかないか、と静かに心を決めていると、状況を静かに見守っていたイザナミ様と視線がバッチリ合ってしまった。その視線に固まっていると、イザナミ様は何か悟った様な表情で口もとをにやりと吊り上げる。

「なんじゃ、お主も隅に置けんのう」

そういうなりイザナミ様は、小指をちょこんと立てた。…小指!?私が鬼灯様の恋人なんて恐れ多い!そんな事を何故考えられたのかは分からないがそれは全く事実と異なる結論ですイザナミ様。
あまりに突飛な解釈に、額から冷や汗をダラダラ流している私とは真逆に、鬼灯様は表情一つ変えないまま、そのジェスチャー古いです、と一刀両断している。

「まあそう隠さずともいい。お主もいい加減良い年頃なんじゃから、身を固めればいいと思っておったからな」
「話を聞いて下さい」
「妙な趣味嗜好の持ち主じゃから心配だったが、よい女子を捕まえられてよかったよかった」
「話聞けよ」

完全に私と鬼灯様が恋仲だと断定したイザナミ様は、鬼灯様の否定の言葉など右から左に受け流し、御満悦そうに私と鬼灯様を交互に見やりながらにやにやと笑うばかりだ。この誤解、どうやったら解けるだろうと無い頭を必死に回転させていると、斜め前に立つ鬼灯様がはぁ、と深いため息をついた。

「とにかく、ここに宿泊はできませんね」
「何も恋人同士別部屋に泊まらずとも、お主の部屋に泊めればよかろう」

そうすれば誠になるじゃろ、と口角を吊り上げながら笑うイザナミ様。誠にって…私たちが恋人同士じゃない事をちゃんと理解した上でからかっているのか。割と灰汁の強い人だなとイザナミ様に対する総評をつけていると、斜め前に立つ鬼灯様が瞳を軽く開くながら、あ、と小さく声を上げた。

「その手があったか」
「鬼灯様…?」
「名前さん、仕方がないし私の部屋を一晩貸します。それなら一晩過ごせるでしょう」
「えっ!?」

ベッドも小さくないですし、あなた一人ならば寝るのに問題ないでしょうと、良い事考えたという顔で鬼灯様は言う。いやいや問題はそこじゃないです鬼灯様、なんて事を閃いたんですか。あなたのベッドになんて恐れ多くて寝られません。絶対に無理ですと必死に伝えるも、私の部屋しか空いていないので我慢して下さいと返されてしまった。

「少々散らかっていますがそこは目を瞑って下さい」
「いや、そういう問題では……鬼灯様はどちらで過ごされるんですか」
「大王のベッドででも寝ます」

元はと言えばあのアホが勝手にイザナミ様に部屋を貸した事が原因ですからね、と言いきった鬼灯様の顔は真剣そのものだ。服を貸して頂けたら、歩いて帰るから構わないと伝えたが、夜中に女性を外に送りだす訳にはいかないと一刀両断されてしまう。
…なんだかおかしな方向に話がまとまり始めてしまった。最悪、鬼灯様の自室に泊まることになるかもしれない、と背中を冷や汗がたらりと伝ったと同時に、イザナミ様が目元をゆるりと細めたかと思うと、にやりと口の端を吊り上げながら扉に手を掛けた。

「じゃあ年寄りは引っ込むから、後は若い者同士でごゆっくり」

この部屋はありがたく使わせて貰うからの、と楽しげに言うと一切の躊躇なく扉に手を掛けるイザナミ様。無情にもパタリと閉じてしまった扉の前には、呆けた顔をした私と表情一つ変えない鬼灯様が佇むばかりであった。



干からびた金魚草、怪しげな資料、すりこぎに大鍋にクリスタルで出来た男性の像と、非常にまとまりのない物品が地面やら机やらに散乱している。足の踏み場はあるものの、もはや物置に近いこの部屋には生活感が欠如しているように思う。
そんな一歩間違えばゴミ屋敷に足を踏み入れそうなこのお部屋こそ、地獄の高級官吏様のお部屋だというのだから驚きだ。
鬼灯様は整理整頓に口煩そうに見えるのに、あまりそういう事には頓着がないらしい。これならよっぽど白澤様の部屋の方が綺麗だ。まああちらが整っている理由には、綺麗な部屋じゃないと女性を上げられないからという邪な考えに基づくものなのだが。
無造作に投げ捨てられたモンゴル衣装っぽい物に目を取られていると、何時の間に準備したのか女性物の着物を手にした鬼灯様が真横に佇んでいた。

「ひぇ!?吃驚した…声ぐらいかけて下さい!」
「なにか物珍しいものでもありましたか」
「あ、いえ、あの服どこで手に入れたんだろうと思って」
「ああ…あれは私の趣味ではなく懸賞で当たったものですよ」

欲しいなら差し上げます、そう言いながら無言で女性用のモンゴル衣装を掴むと、着物の上に無造作にかぶせたままそれををつきだす鬼灯様。別に衣装が欲しくてみていた訳ではないのだが、無言で突き出す鬼灯様に、それはいらないですと言いだす勇気もなく、民族衣装ごと着物を受け取ることにする。
手渡された着物は質素な造りのものであったが、一度として洗った形跡のない、新しい物だった。一晩宿を借りる身分で新しい物を下ろして貰っていいんだろうか。本当にこれを使って良いんですかと聞くと、安物ですがどうぞという返答が帰ってきた。

「浴場はここを出て左に曲がると立て札が出ていますので、その通りに進めば迷う事はないでしょう」
「お風呂までいいんですか?」
「大浴場ですから、あなたが一人紛れ込んだところで誰も不審に思いません。安心して利用してください」
「ありがとうございます!」

ではまた後で、と言うと鬼灯様は部屋を出て行ってしまった。身一つで良いと言われはしたが、バスタオルも無ければ洗身タオルもないんだけど。行ってタオルが無かったら引き返そうと思いながら、逆さ鬼灯が描かれた扉を後にした。



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