■ 19話


※オリキャラ注意

 これはどういう状況なのか。目の前には土下座する男、その傍には襦袢のみになった地獄の補佐官殿、そしてその補佐官の道服を羽織る女。はたから見ればもはやなんという修羅場、この一言に限るような状況にしか見えないだろう。
謝罪の意味が分からずぽかんとしている私を余所に、男は壊れた機械のようにただひたすらに謝罪を繰り返す。一方の鬼灯様は、じっと品定めするような目で男をじっと観察しているだけで何のアクションも取らない。…この訳のわからない状況を打破できるのは自分しかいない。

「あの、ええと…謝罪はもういいのでとりあえず頭を上げてもらえますか」
「すみません!すみません!…え、頭ですか?」

男は地面に擦りすぎて赤くなった額を隠すこともせず、言われたとおりに顔を上げた。その瞳は鋭く、まるで獣のようである。思わずその瞳をじっと見つめていると、私と男の間を遮るようにして鬼灯様が立った。

「どうやらあなたは犬ですね。それも妖だ」

妖?と思いながら目の前の彼を見ると、男はその瞳を丸くさせながらよくわかりましたね、と高揚したように口を開き、鬼灯様の両手を取った。その姿はさながら主人にじゃれ付く犬のようで、この短時間でこの妖に目上の者だと理解させるだけの能力を持つ鬼灯様に驚く。まあ若干、暴力的な解決手段が目立つところではあったが。

「妖…でもなんで急に私の影から飛び出していったんですか?」

今までずっと存在すら感知させぬようひっそりと隠れていたのに、なぜ急に飛び出す気になったんだろうか。何か特別な事やったっけなと今日一日を振り返るが、今日はごくごく普通の業務と少しの片づけをした程度だ。何も変わったことはしていない。ならなぜ?と頭を捻っていると、鬼灯様がそれはあなたが月兎だからでしょう、何をいまさらと言い放った。

「私が月兎な事と何の関係が?」
「兎と月は縁深し。それに今夜は満月ですし、大方強烈な月光を一身に浴びたあなたの正の気に耐えきれず、影から飛び出したというところでしょう」

つまり平たく言うと、月の力でパワーアップした私の力に耐えきれず影から脱出したという事だろう。細かい機序は不明であるが、不思議な事もあるもんだ。へーと感嘆していると、鬼灯様がそれにしても、と呟きながら私を頭のてっぺんからつま先までゆっくりと見下ろした。

「あなたが人の皮を被った兎だとは知りませんでした」
「いえ私元人間で兎の皮を被ってるだけなんですが…」
「おや失敬。しかし人間になったり兎になったりと面倒な体ですねぇ」

兎姿の方が私の好みです、ときっぱり断言した鬼灯様の目は本気に見える。兎の方が好きって…うれしいんだかうれしくないんだか微妙な告白だ。一応、多分兎の時間の方が長いですよ、と返答すると鬼灯様は、それは良かったですと明るい声色で呟いた。

「ところで、どこで妖なんぞを拾ってきたんですか」
「拾ってないです!全く身に覚えがなくて」

元の所に捨ててきなさい、とお母さん節を炸裂させながらわざとらしくため息をつく鬼灯様。元の所に戻すも何も、何時何処で私の影にひっついたのか見当もつかないのだ。そもそもであってもいないのに、どうして私の影に潜んでいられたのだろう。疑問が尽きないなこいつ、と眼前の犬男をみると、男はきょとんとした顔で驚きの言葉を言い放った。

「あの、俺初対面じゃないんですけど…名前さん、ですよね?」
「えっ?」
「えっ?覚えてないんですか!?」

そういうと男はちょっとショックです、と大げさに落ち込んだ。悪いがこんな犬男、全く見覚えも無ければ聞き覚えもない。だというのに相手は私を知った風に語るものだから、なおさら意味が分からない。ぽかんと口を開けていると、鬼灯様が両腕を組んだまま知り合いじゃないですか、とジト目でこちらを睨めつけた。

「ほら名前さん、あなたやっぱりコイツをどっかで拾ってきたんですよ」
「う、嘘だ…一体どこで?」

見覚えないですよ本当に、と必死で鬼灯様に弁明していると、横から男の情けない声が割り込んできた。そちらに視線だけ向けると、男は必死で自身の頭に生えた耳を指さしながら、あんなに意気投合したじゃないですか、としょんぼりしている。

「覚えが無いなんてそんなぁ…配達の途中でお会いした“送り犬”ですよ!」
「え…えっ!?あの犬妖怪だったんですか!?ただの野良犬だと思ってました」
「妖怪と野良犬の判別ぐらいしてください。…妖怪付きの月兎か」

そういうと鬼灯様は何か察したように一言、なるほどと呟くと目を細めながら私と男を交互に見つめる。そのジトリとした探るような視線に居心地の悪さを感じるが今はそれは後回しだ。
そう、この男は送り犬と言った。送り犬と言えば私が月から追い出される原因になった諸悪の根源ではないか。こいつさえいなければ私は今頃月で平穏に品種改良に精を出せたというのに、と思うとふつふつと怒りが込み上げてくる。確かに今の暮らしがいかに恵まれたものであるか理解はしているが、やっぱり住み慣れた所を追い出されたのはショックが大きい。
こいつが、と眼前の男を睨みつけるが男は全く気にした様子もなく、思い出しましたかとのほほんとしている。その態度に悪意はないのかもしれないがやり場のない苛立ちが募り、つい手をぎりと強く握ってしまう。チクリと爪が掌に食い込んだ痛みが脳に伝わると同時に血が上った頭ようやくまともに働き始めた。ゆるやかに回り始めた頭で、今ここでこいつを罵倒した所で何の意味もないんだと言い聞かせ、深く息を吸い気分を落ち着ける。すぅ、と吸い込んだ空気は熱の上がった私の身体とは裏腹にひんやりとしていた。

「送り犬さん…確かに現世で一度お会いしました。あの時に、一緒にくっついてきたんですか?」
「はい。悪いとは思ったのですが、あの場には自分しか妖もおらず今後どうやって生活しようか考えていたところだったのです。そこにたまたま彼の世に移動できるあなたがいらっしゃったのでこの機会を逃してはいけない、と」
「そのまま私の影で居候していたんですか」
「すみません…」

すぐ出ていくつもりだったんですが次の住居が見つからず、と眉をハの字に寄せしょんぼりしながらうつむき加減で男は言う。色々と言いたいことはあったが、男の困り様を見ているとすっかり気分が失せてしまった。この男に当たり散らした所で月に帰れる訳でもなし。それどころか逆にこの男が住居を探している始末だ。
別にもういいですよと男に告げると、今まで静かに傍観していた鬼灯様が右手をちょこんと上げながら、ちょっといいですか、と口を開いた。

「よければ住居を用意しますよ」
「え」
「本当ですか!?」

その言葉を聞くや否や男は、主人に尻尾を振る犬のように鬼灯様の傍に駆けよった。
どういう風の吹きまわしなんだろうと思わず鬼灯様を凝視すると、私の視線などまるで意に反さず、ただし条件がありますが、と鉄面皮を崩さないまま人差し指を一つ立てる。

「働かざる者食うべからず。地獄の不喜処で働く、この条件さえ飲めばあなたの衣食住は保証しましょう」
「大丈夫です!衣食住に困らないならなんでも構いません!」

なら決まりですね、というと鬼灯様はこれで従業員が潤うなと嬉しそうに呟いた。一方の男もとんとん拍子に事が運んでホッとしたのか諸手を上げて喜んでいる。
あれ?これ、頭痛に見舞われた上満月の夜に素っ裸に変身させられた私だけ損しているんじゃない?と少し不条理を感じていると、何時の間にやら契約を済ませた二人は、さっそく明日からと仕事の話をまとめているようだ。おいてけぼり感を感じつつも口を挟めず、じっと二人を静かに見つめていると話がまとまったのか、鬼灯様がでは明日の8時にと言い纏める。すると男は、鬼灯様に指さされた方角に身体を向けながら再度御迷惑おかけしました、と私に小さな声で謝罪を告げるとあっという間に闇に消えてしまった。引っ掻きまわした割にはえらく呆気ない別れに呆然としていると、頭上からふぅというため息が降ってくる。

「今日は何かと忙しい日でしたね」

そういうと鬼灯様は右手を首元に寄せると、首を左右に動かしながら伸びをする。確かにここまで男二人担いできた上に影から出てきた男を従業員にスカウトするなんていう珍事があったのだから疲労も蓄積されるだろう。お疲れ様です、と告げれば鬼灯様は暫しこちらをじっと見つめると、そちらこそお疲れ様です、と小さな声で言った。

「しかし飲み屋でひと悶着あった上、こんな事が起こるなんて…ドッと疲れた気分です」
「ええ。…さあ、私たちも帰りましょうか」

この時間に女性を一人返す訳にはいきませんから送りますよ、と申し出てくれる鬼灯様。その気遣いは非常に紳士的でうれしいものなのだが、私の住居はなんと今ブレイク中のマキちゃんのお家だ。こんな夜更けに官吏様がアイドル宅を訪れていた、なんて事がパパラッチにバレると半月はお昼のワイドショーを賑わす種になりかねない。この大きな道服一枚というのは心許ないが人気絶頂のマキちゃんの足かせになる訳にはいかないのだ。

「いえ、道は覚えているので一人で帰れます」
「…天国は大丈夫かもしれませんが、地獄に足を踏み入れた瞬間どうなるか目に見えてますよ」
「門からは走って帰ります!」
「その服で走れるんですか?」

そういうと鬼灯様は私が羽織っている道服の裾を指さした。裾は地面に接地しただけでは事足らず、まるで昔の貴婦人が纏っていた十二単のように広がりを見せている。これでは走るどころか一歩踏み出せば裾を踏ん付けてすっ転んでしまいそうだ。

「これはその…頑張れば…」
「強情ですねぇ…そこまでして拒否されると理由が知りたくなります」

そういうや否や、頭一つ分以上離れた距離を縮めるようにしてぐっと顔を寄せてくる鬼灯様。表情の変化は薄いが、瞳が興味の色に染まっている。これは話さないといけないパターンだと瞬時に諦めた私は理由を包み隠さず告げることにした。まあどうせ隠した所で尋問されるに決まっているのだろうが。
マキちゃん、つまりアイドルの家に住んでるので男性に送ってもらうと謂れの無いゴシップを書き連ねられる可能性が非常に高いので遠慮したいのだと説明する。これで事情は分かってくれただろうから、大丈夫だろうと胸をなでおろしていると、鬼灯様は事情は把握しましたと言いながら顎に手を置いた。そしてその体勢のまま、とんでもない事を言い放つ。

「閻魔殿の客間を一部屋貸しましょう。そこに一晩泊るといい」


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