■ 10話


 突如謎の頭痛と腹痛に見舞われた私に、鎮痛薬という名の救いの手を差し伸べてくれたのは白澤様であった。予想外の人物の登場に薬を貰い受けようとした動きが止まる。今日は知り合いと飲みに行くのだという話を伺っていたのだがと思いながら彼の顔を見ると、ほんのり頬が赤く、少し酒の匂いが漂っている。こんな時間にここにいるのだから、おそらく早い時間にお開きになったのだろう。しかし帰り道で苦しんでる人を偶然発見するなんて、白澤様もある意味薬師が天職なのかもしれないななどと思いながら、ポカンとしている白澤様から受け取った薬を喉の奥に流し込んだ。とろりとした薬は抵抗感なく身体に沁み渡り、あれほど辛かった痛みが嘘のように引いていく。さすがは神獣様だと思いながら白澤様にお礼を告げ、今日はお早かったのですねと言うと、彼は口を開けたまま固まっていた。

「白澤様?…あ、そうだ。光苔の採集終わりました」
「…苔?え?何の話?」
「え?白澤様、今朝苔が必要だって…」
「だって僕は名前ちゃんに頼ん…」

 そう言いながら私の身体を上から下まで眺める白澤様。その顔は言っては悪いが間抜けなものである。彼の視線に耐えきれず目線をそらすと、いつもは見上げなければいけない雑草が眼下に見えた。なぜだろう?再度視線を戻し、いつもより近い白澤様の顔を見た瞬間、強烈な頭痛が襲ってきた直前の事を思い出した。そうだ私、急に脱毛したんだった!ハッと気づくと途端に羞恥心が襲ってくる。こんな貧相な身体を白澤様の目に触れさせるなんてありえない。とにかく身体を隠すために無我夢中で背中に引っ掛かっていた白衣に腕を通すと、前ボタンを音速で閉めた。
そんな私をポカン眺めていた白澤様は、開けていた口を閉じ、口もとを引きつらせながら呟いた。

「え?…名前ちゃんなの?」
「…みたいです」



「白澤様、名前さんは…ってまた女性を連れ帰って!名前さん迎えにいったんじゃないんですか!」
「違うよ桃タロー君!人聞きの悪い!」
「何が違うんですか。全く、自分の白衣を着せるプレイなら室内でやって下さいよ」
「信じてよ桃タロー君…この子、名前ちゃんなんだよ」
「はぁ!?寝言は寝て言え!この人どう見ても人間でしょ!名前さんは兎ですよ」

 そう言い放つ桃太郎先輩は、全く白澤様を信用していないようだ。白澤様が必死に、迎えに行ったら兎じゃなくて人型の私が居たのだと説明しているが、桃太郎先輩は右から左に流しているようである。
 
 あの謎の脱毛事件の後どうにか自分を落ちつけた白澤様は、とりあえず帰ろうというと獣の姿に変身し、私に背に乗るよう促した。正直全裸で神様に跨るとか死ぬほど罰あたりな事は避けたかったのだが、腿程までしかない一枚の白衣を羽織っただけという防御力最弱の状態で、徒歩で帰路に着くのはあまりにハードルが高すぎたのでありがたくお背中を借りることにした。始めて飛んだ空はそれはそれは美しいものであったのだが、白衣がめくれないかとひやひやしていたせいであまり楽しむ事はできなかった。勿体ない。

 そんな風に現実逃避している間に桃太郎先輩と白澤様の攻防は桃太郎先輩が折れる形で終息したらしく、桃太郎先輩がこんな夜更けに外に放り出すわけにもいきませんからと言いながら中に入るよう促してくれた。見慣れた中に入ると、桃太郎先輩が暖かい緑茶を出しながら、白澤様をジロリと睨みつける。

「で、冗談はもういいですから、名前さんは見つかったんですか?」
「見つかってるよ!」
「あの…桃太郎先輩、私が名前です!ほら、光苔取ってきました!」

 あまりに押し問答が続くので、ついつい口出ししてしまった。いつまでも白澤様が云われのない濡れ衣を着せられるのも申し訳ないし、信じてもらえるかどうかは分からないがとりあえず真実は告げるべきであろう。出来る限り信憑性が増すように、今日採集した光苔を見せながら昨日の仕事ではどんな材料を集めただとか、過去に桃太郎先輩に不本意ながら睡眠薬を毒見させてしまった話などをとにかく話しまくる。信じてもらいたいがために私が必死に話すせいか、桃太郎先輩はもういいですからやめて下さいと困った表情で言った。

「…確かにこんなに詳しく話されたら信じるしかないですよ…にわかには信じがたいですが」
「えっ今ので疑い晴れたんですか?」

 必死のマシンガントークで疑いが晴れたようだ。うれしいような、なんだか不思議な気分である。

「名前さんのストーカーでもない限り、あれ程の内容は本人以外把握していないでしょうし…所で、なんで人型になってるんですか?」
「いえそれが私もさっぱりで…」
「心当たりはないんですか?変な薬飲んだとか」
「うーん…最近飲んだものと言えば野菜ジュースぐらいですし」

 必死に最近口に含んだものを思い返すが、ごくごく一般的な食事とちょっとしたジュース類程度しか口にしていない。危ない何かを口にした記憶も無ければ、危険な薬草類を採集した覚えもないのだ。全く心当たりはないですと告げると桃太郎先輩は、獣が人に擬態するなんて聞いたこと無いしと呟いた瞬間目を見開き、白澤様を指さした。

「獣が人に…白澤様じゃないっすか!」
「確かにそうだけど、僕のコレは機序がはっきりしてるしそもそも僕は神獣だからね」

 神様によって得手不得手はあるけど、僕は変身は割と得意なんだよと言いながらこちらを向いた。バチリと視線合わさるとなんだか気恥ずかしくなって目線を逸らしてしまった。失礼だったかもしれない。そんな私を知ってか知らずか、白澤様はポツリと呟いた。

「僕の白衣を着て照れるって、なんか良いね」
「…からかわないでください白澤様」

 楽しげな瞳で私を上から下まで眺める白澤様。ジトリと横目で見ると、冗談だよ、と少し焦ったように両手を振った。

「ごめんごめん!でも憶測なんだけどそうなった理由に見当がついたよ」
「えっ本当ですか?」

 さすがは万物を見通す神獣様だ、こんなに早く原因を突き止めるなんて!と歓喜に震える私に白澤様はにこりとほほ笑むとあくまで推論だけど、と念押しをした。
全くもって身に覚えのないこの謎の変身の原因の糸口がつかめるなら、推論だろうが憶測だろうがなんだってかまわないという旨を伝えると、白澤様は正直この推論ちょっと自信あるんだと言いながら口を開いた。

「今日は新月だろう?そして名前ちゃんは月兎だ。月兎が月光と深い関わりがあることは前に話したよね」
「はい。確か太陽で光らないっていうお話ですよね」

早一月前の記憶だから曖昧だが、確か月兎は月光でよく光るとかそういった話だったような気がする。それとこれと何が関係があるのかさっぱりだが。

「そうそう。僕が思うに名前ちゃんは今までは月光から陽の気を得ていたんだけど、今日は新月だろう?だから月の光が届かない」
「はぁ…」
「陽の気が減るって事はつまり陰陽のバランスが崩れてる事を意味する」

陰の気陽の気辺りから全く話についていけなくなった私が理解力が足りないのだろうか、と思いながら向かいの桃太郎先輩をみると、彼もポカンとした表情で突っ立っていた。仲間発見だ。その気持ちわかります、私もさっぱりです先輩。
桃太郎先輩は私の表情に気付いたのか、白澤様にちょっと待って下さい、陰の気陽の気の意味が分かりませんと質問を投げた。質問された白澤様は、そっかそこからかと呟くと顎に手を置いてうーんと唸り始めた。どうやら説明が難しいらしい。

「そうだね…ざっくり言うと、月の光が陽、それが足りなくなると陰が強くなるって感じで考えてくれればいいよ」
「…そんな感じでいいんスか?」
「いいのいいの。続けるよ」

サラッと陰陽についての説明を流した白澤様は、結論からいうと、と声を潜めて瞳をキュっと細める。白澤様のあまりの真剣な表情にごくりと生唾を飲み込む。

「名前ちゃんの陽の気が減って月兎という陽の姿が崩れたと考えられる」
「でも、なんで人型なんスか?それこそただの兎に戻る方が信憑性が…」

人差し指を立て、自信たっぷりに言い切った白澤様に桃太郎先輩からの疑問が投げかけられる。確かに、桃太郎先輩からしたらなぜ私が人型になるのかわからないだろう。なんたって私も今の今まですっかり忘れていたのだから。
遥か昔の出来事がまるで走馬灯のように脳裏を駆け巡る。そうだ、私はかつて現世で人として暮らし、天寿を全うして死んだのだ。その後天国行きとなり、あっちこっちをブラブラ歩いていた所がたまたま月読様の目に止まり、月の従業員にと勧誘されたので月に就職したのだ。そういえば兎の姿になったのもその時だったか…月読様は確か、月は面積が少ないから幅を取らない兎になれと半ば無理やり私を兎に変えたような気がする。なにしろ遥か昔のことなので、人間だったことなどすっかり忘れて順風満帆に兎として人生を謳歌していた。時間と慣れとは恐ろしいものだ。

「なんで人間なのかは僕もわからないな。名前ちゃん、心当たりない?」
「はいっ!?」

思考を遥か昔に飛ばしていたところに急に話を振られたため、思いっきり裏返った声で返事をしてしまった。その動揺が伝わったのか、白澤様が少し不思議そうな表情をする。桃太郎先輩は私の声に驚いたのか、少し眉が上がっていた。
そうだ、私はなんで人型になったのか納得したがこのお二方は知らぬままなのだ。どう説明しようかなと一つ大きく深呼吸をする。その様子に深刻な話だと思ったのか、白澤様が心配そうな表情をした。そんなに壮絶な話でもないのに溜めを作ると何か重い話っぽくなるなと気付き、とっとと口を開くことにする。

「先ほど思い出したのですが、私、兎になる前は天国の亡者だったのです」
「え?」
「あぁ、なるほどねーだから人間になっちゃった訳だ」
「え?どういうことですか?」

頭に疑問符を浮かべる桃太郎先輩がこちらを向きながら困った顔をしている。私も元が人間だったから人に変身するのには納得がいったが原因はイマイチ把握していないので説明などは到底できない。助け船を求めて何やら頷いた白澤様に目線を送ると、白澤様はそれを察知したのか代わりに口を開いてくれた。

「人間は基本的に徳の高い者以外は陰の気が強いんだ。名前ちゃんも別に修行者だった訳じゃないんだろ?」
「普通の農村で暮らしていた様な気がします」

大根を収穫していた記憶を掘り起こす。特に宗教に没頭するわけでもなく、ただただ生きていくために百姓をやってるような人生だったような気がする。

「だから、名前ちゃんは人間という陰の気の上に月兎っていう陽の気の服を着てたようなものだ。その服の源が新月で断たれてしまったからそれが脱げて人間が顔をだしてしまったって所だろうね」
「チョコレートコーティングが取れたお菓子みたいなものですか?」
「そうそう。そんな感じ」

だからまた月光を浴びれば元に戻る可能性が高いね、と白澤様はどこか残念そうにつぶやいた。
戻れる可能性が浮かび上がったのは良いが、月光を浴びるということは短くとも明日明後日の夜まではこの姿のままということになる。この姿ではマキちゃんの家に帰ることもままならないし、今晩どうしようと考えていると、白澤様が今まで見た中で一番の笑みでほほ笑んだ。

「名前ちゃん今晩は帰れないでしょ?ここに泊まりなよ」
「えっいいんですか?」

願ってもない申し出だ。天国は外でも快適に過ごせるとはいえど、野宿は勘弁願いたい。白澤様のご迷惑にならないのであればお願いします、と伝えると白澤様は部屋は余ってるから大丈夫だよと使われていない奥部屋を指さした。そんな白澤様をぽかんと見つめていた桃太郎先輩は、急にハッとすると白澤様にこそこそと耳打ちをしていた。隠しているつもりだろうが、私は一応兎である。今は聴力が落ちているが少しは聞こえる距離だ。

「白澤様!アンタ下心が…」
「何言ってんの桃タロー君。僕は従業員が心配で…」
「はぁもういいですけど…」
「大丈夫だって…名前ちゃん部屋案内するねー」

そういうと手を取り軽やかに歩き始める白澤様。なんだか不穏な言葉が聞こえた気がするが、全て忘れることにして白澤様に引かれるまま部屋を目指した。

[ prev / next ]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -