■ 9話


 星の瞬きが一層輝く宵の頃にかごを背負って山道を歩くのは骨が折れる。いくら兎が夜に強いからと言っても、やはり足元がこうも悪いと歩行効率は非常に低下してしまうものだ。夜の探索も楽じゃないなと思いながら、目当ての物を探すべく辺りを見渡すがいつもはこの辺にある独特の輝きを放つ物体がない。これではせっかくこんな夜中にわざわざここに足を運んだ意味がないではないか。さっさと仕事を終えて帰らねば、極楽満月で仕事が終わるまで起きて待ってくれている桃太郎先輩に申し訳がない。
 少し焦りながら周りを見渡すと、少し遠くに淡い黄色の光が見えた。きっとあれに違いない。あまり夜にここを通る事がないから少し道を間違えていたようだ。少しタイムロスをしたが、とりあえず目的の物を見つけることができ、ホッとため息をついた。



 今日の女の子は当たりだった。物欲も少なく、束縛もあまりせず顔も可愛らしい、そして一晩の遊びだとお互いに納得して事に及ぶことができたまさに百点満点な子だった。是非とも連絡先を交換したかったが、あちらが一晩の火遊びのつもりだからと言って断ってきたためそこでお別れすることになった。残念だ。
 珍しく満足できた夜だったためか、今日は酒もいつもより進んだ気がする。少し視界がふわふわしたが、どうにか極楽満月まで帰宅することが出来た。扉に手を掛けると、奥部屋の電気がついていることに気づく。あれ?いつもだったらもう寝てるはずなのに。

「ただいまー…桃タロー君まだ寝てないの?」
「白澤様お帰りなさい。名前さんが帰ってくるまでは起きていようと思いまして」
「名前ちゃん?こんな夜更けになにやってるの?」

 奥部屋から出てきた桃タロー君は、寝巻のまま少し眠たげに眼をこすり、名前さん遅いですねと言った。名前ちゃんの仕事時間は朝から夕方までのはずだ。それが終われば地獄の門を通って、居候させてもらっているらしいアパートに帰るのだと聞いている。仕事内容も日中に終わる程度の量を振り分けているつもりだし、こんな夜更けまで残業しなければいけない用事は無いはずなんだけど、一体何を取りに行ったんだろう。

「白澤様、今朝名前さんに光苔を取ってくるよう言ったでしょう?」
「ああ、そういや言ったね。でもあれは夜にならないと普通の苔と見分けがつかないから明日にでも…え、もしかして取りに行ったの?」
「天国なら治安も悪くないし、夜には強いからと飛び出して行きました」
「あー…明日の夜一緒に取りに行こうと思ってたんだけどなぁ…まあ天国だし、不審者はいないから大丈夫か」

 どうやら真面目にも光苔を取りに行ってくれたらしい。こんな夜更けに兎と言えど女の子を外に出すのはちょっと心配だが、ここは地獄や現世じゃなく天国だ。彼女もここらの道は把握しているし、物騒なこともない。…そのはずなのだが、どうも引っ掛かる。まあ、もし何かがあっても一応手は打ってあるのだ。きっと心配することはない。
 酔い覚ましにと桃タロー君が注いでくれた水に口を付けながら、テーブルの端に散らかっている緑に染まった契約書を眺めた。



「これが光苔…」

 そこかしこで光る岩、岩、岩…光”苔”なのだから岩か何かに軽く苔がひっついてるんだろうなと想像していたのだが、思ったより岩に所狭しとびっちり苔が張り付いている様子に少し驚く。これは剥がすのに手間がかかりそうだ。しかしさっさと持って帰らねば桃太朗先輩が眠れない。ちゃっちゃと剥がそうと岩と苔の間に板を差し込み、ゴリゴリとこそぎ落とした瞬間、頭の奥が鈍く痛んだ。寝不足だろうか、それともまだ勤め始めて日が浅いからストレスが溜まってるのだろうかと思いつつも手を休めず、手ごろな大きさに苔を剥がす。格闘すること数分、どうにか綺麗に採取することができた。とっとと帰ろうとそれを後ろのカゴに放り込み、駆け足で帰路につく。そういえば、今晩マキちゃんが夜の仕事があるのだと疲れた顔で言っていた。今頃ロケバスの中だろうか。帰ったらマキちゃんの好きなもので明日の朝ごはんの準備をしておこう。よろこんでくれるだろうか。
 明日の朝食の献立を幾つか思い浮かべた瞬間、再度頭の奥に響くような鈍痛が襲った。じぃんと沁みる様な痛みに立ち止まり頭を抑える。痛い、何とも言えない感じたことがない痛みだ。必死にこめかみ辺りを摩るが、痛みは増すばかりである。
 しばらく頭を押さえていたが痛みはひどくなるばかりで、とうとうガンガンと響くような頭痛へと悪化してしまった。どうしようこれじゃ帰れないと思い目を開いた瞬間、視界が少しだけ変わっていることに気づく。先ほどまで目の前に合った雑草の先が胸のあたりに来ているのだ。なにがどうなっているんだろう、なんで私、大きくなってるの?
 恐る恐る自分の身体をみると、ちょっと自慢の真っ白の毛がどんどん薄くなっているではないか。腹部はもうすでに白の毛が取り払われており、肌色の皮膚が思いっきり露出している。え?脱毛?この年で?しかもこれ、どんどん毛がなくなっちゃったら全裸じゃないか?どうしよう、取りあえず、身体隠さなければと思うのだが、体中が痛くてうずくまった姿勢から動くことができない。夜間に外で全裸なんて絶対に嫌だ。誰でもいいから私が全裸になる前に助けて下さい。



 大丈夫かなと思いながら一月前に書いてもらった書類をつまみ上げる。名前ちゃんにはこのシミは汚れだといってごまかしたが、これはただの汚れではなく一応れっきとした術式なのだ。この術式の上に書いた名前の主の危機を察知して、緑が黄色に変化する仕組みなのだが、と書類に目を落とすと名前ちゃんの名前の上からじんわりと黄色が広がっているではないか。つまり、彼女に何かしらが起こったということだ。やっぱりあの妙な違和感は不吉の予兆だったのだろう。いや、こんなことをぼやぼや考えている場合ではない。早い所彼彼女を迎えに行かねば。
半分脱ぎかかっていた服を急いで纏い、水を注いでくれている桃タロー君にここで待機するよう伝える。

「白澤様っ!?そんなに急いでどうしたんですか!」
「話は後!ちょっと名前ちゃんを迎えにいってくるから、玄関だけは開けておいて!」
「は!?ちょっと白澤様!?」

 桃タロー君が何か叫ぶ声を後ろに、元の姿に戻る。獣に戻るのはとても久しぶりだった事に加え酒が入っているからか、自分では出来る限り早くまっすぐ飛んでいるつもりだが左右にゆらゆらゆれてしまう。
今日はなんてタイミングが悪い日だろう。もし僕が酒を飲んでいなければ、もし名前ちゃんが採集を明日にずらしていたら、もし桃タロー君が彼女を止めていたら、僕たちは今頃暖かな寝床についているはずなのに。次々後悔が浮かぶが終わってしまった事はどうしようもない。今はとにかく早めに名前ちゃんの所に行かねば、とふらつく視界に舌打ちを漏らしながら全速力で空を駆けた。


「名前ちゃん、居たら返事して!」

 今宵は星の瞬く新月だ。自身の光をさえぎるものが無い光苔は眩いばかりの光に包まれていた。おそらくこのあたりにいるだろうとキョロキョロとあたりを見渡すが、白い兎は見当たらない。代わりに群生地の隅っこに小さくう蹲った一人の人を発見した。人間は蹲ったまま小さくうめき声を漏らす。その声は絞められた鶏のような喉の奥から絞り出されえる呻きで、その人の苦痛を如実に表している。急いで名前ちゃんを捜したい所だが、あんなに苦しそうな人を見捨てていくことも忍びない。なにかいい薬はあったかなとポケットに手を突っ込むと、試作品として作った鎮痛薬の小瓶が指にぶつかった。まだ研究段階だから作用はさほど強いものではないが、ないよりはましだろう。それを掌に握りしめると、いまだに呻き身体を震わせるその人物の元に駆け寄る。

「君、大丈夫?」
「ぁ…頭が、痛くて……」
「頭痛?ちょっ見せ……え?」

 その人物は痛い、と呟くとさらに身体を丸めた。もしかしたらただの頭痛ではないのではないかもしれないと思い、念のため顔色を確認しようと蹲っている人の周りに茂っている雑草をかき分ける。かき分けた草の中から見えたのは、艶やかな髪を持つ少し神秘的な印象を受ける女性だった。ただし、裸体の。あまりの衝撃に外気にさらされている背中をじっと見つめてしまう、と肩周辺にふわふわとした白い毛が生えていることに気付いた。銀狐が人に化けているのだろうかとぼんやり考えるが、今はそういう時ではないと思い直す。急いで上に羽織っていた白衣を脱ぎ、彼女の肩に掛けてあげる。これでひとまず目に毒じゃなくなった。ふぅとため息をつくと先ほどのこの子の顔を軽く覗き込む。若干青い色をしているが、顔色はそんなに悪くはない。試薬とはいえ、この鎮痛薬は多少なり効くだろう。

「頭が痛いならこれを飲むといい。効き目は保障できないけど、無いよりマシだ」
「薬…?」
「液体だから今すぐここで服用できるよ。さあ、飲んで」
「ありがとう、ございます」

 ゆらりと頭を上げた彼女は、僕の手のうちにある鎮痛薬に手を伸ばす前に動きを止めた。見開かれた瞳は今にもこぼれおちそうなほどで、彼女の動揺がいかほどのものか察することが出来る。唇を小さく震わせている彼女は本当に小さな声で呟いた。

「……白澤様?」


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