俺たち警察にはなぜクールビズがないのか。社会のの不条理と戦う夏がやって来た。
早くに子供達の夏休みが始まると街には自然と不審者が増えるもので、警察は警備の増員やら祭りの警護やらに忙殺され、泣く泣く非番の日も出勤の判子を押すのであった。
今、朧は祭りの準備で火災が起きたという会場に足を運んでいたところだ。現場で発火原因を調べ終えた部下ととっつあんはぼちぼち飯にすっかと繁華街へ出かけた。あれだけ忙しく動き回っていたのに、まだまだアソコは元気らしい。
「朧。モタモタしてっと透ちゃんラブホに連れ込んじゃうよ?銀さんが先にゴールインしちゃうよ?」
「黙って屋台建てろよ。手伝ってるだろ」
置いていかれた俺は、銀時の屋台準備の手伝いをしているところだ。祭りはぼったくりにうってつけだと嬉嬉として屋台を準備していた銀時だったが、とっつぁんや他の隊士が女を買いに行った話をした途端、朧を煙たがり始めた。
「もう手伝いとかいらねぇから。つか繁華街で女も買わずに好きな女にも手ェ出さねぇって……朧。ひょっとしてアソコ腐ってる?」
「何だと腐れ天パ。お前にアソコの心配をされる筋合いはない」
「そんなこと言ってる暇あんだったらさっさと透ちゃんに連絡しろよ。祭り誘えよ。まだ遅くねえし」
「祭り誘えって、あのなあ。あっちにも仕事があるんだぞ」
「どうでもいいだろンなもん。祭りと関係ねぇよ。それとも何だ。うちの兄弟子は女ひとり誘えない柔な男だったか?」
カチン。このどうも性根の腐った後輩には手を焼いてきたものだが、そのくせに正論を吐かれると何だか無性に腹がたつ。
とはいえ俺だって好きな女も誘えない軟弱な男だと思われたくない。確かに銀時の言う通り男が廃るような気もする。
やっと決心がついたのは、その日の晩。家の机の便箋を取り出してからだった。
後悔することになってもいい。透に断られたっていい。それよりも朧は透を誘うことに大きな意味を感じていた。
行灯の吊るされた祭りを歩く透の浴衣姿は、皆もうっとりしてしまうような美しさだろう。
最高の幸せを想像し墨を摺る手に力を込め、遠い奈落、遠い想い人に心を馳せた。
「透様。何か手紙が届いていますよ」
「君のジャパネットじゃないの?遍(あまね)」
「ちっ!違いますよ!透様が心配してくださらなくても昨日届いてますから」
「別に心配しないから」
もう!ひどいお人だぁー。人を殺して生きているとは思えない乙女走りで廊下を駆けて行く部下。男の乙女走りとか誰得だよ。冷めた目で見届けると、 透は肝心な手紙を受け取るのを忘れてしまったことに気づく。追いかけようか悩んだが、疲労からくる体の重さに億劫になり、諦めた。
ま、いいか。ここのところは任務に予定を詰められろくに休む暇などなかった。しばらく休んだってバチは当たらないだろうし、手紙だって後でゆっくり読めばいい。
騒がしい遍の足音も遠くへ消えてしまった。閑散とした廊下を後にして、透は武器の手入れでもしようと自室へ籠った。せっかくのまとまった休みをもらえたところで、結局やっていることはいつもと変わらなかった。
「で、結局断られたっつうわけか」
他と比べ貧相な屋台を構え、鼻に指を突っ込みながら言った銀時。苛立ちつつも、朧は何も言い返せず奥歯を噛んだ。
あれから透の返事はなかった。良い知らせか悪い知らせかとドキドキしながら待っていた時間は無駄ではなかったはずだが、まさか返事すらないとは思わなかった。心に深手を負いながらも、透は忙しいんだ仕方ないと自分に言い聞かせ、祭り当日の今日は見回りに出た。交代の時間までこなし、今こうして弟弟子の出店を手伝いに来たというわけだ。本当は誰かと祭りを歩いても良かったのだが、野郎と仲睦まじく歩くのは考えただけで吐き気がするし、女といっても透を除いて誰か思いつくはずがなく、手持ち無沙汰になった次第だ。
「透は今頃、仕事が忙しいんだろ」
「あのさあ、俺も忙しいんだけど。帰ってくんない?」
「お前。兄弟子に向かってその言い草は何だ。反抗期め」
「反抗期で結構。振られた男よか惨めじゃねーし」
「なんだと?」
その時だった。
「オイ待て朧。あっ、あれ……」
珍しく挑発に乗ってこなかった銀時がいつもに増してアホな様子で、反対の向きに構えている屋台を指差した。
一緒になって指の先を見ると、そこには射的の列に並ぶ若いカップルが何組もいた。
そしてその先頭に、透はいた。
「遍。私お祭りとか初めてだから分からないよ。何これ」
「透様!これはその鉄砲で景品を打ち落とし、GETするゲームです!」
朧からは透の隣で叫んでいる男はあまり見えないが、透はよく見える。ライフルに目を落とし部品を弄っているのか、俯いている頭の旋毛に亜麻色の髪がサラサラと覆いかぶさる。
しばらく透に見とれていた朧はハッと我に返る。好きな女を見つけたはいいが、男連れだ。しかも自分はこのお祭りデートに断られた、というか返事自体拒否された身。
なんだ、あの男。朧は自身の心にむくむくと雷雲が集まるような感覚に、眉間の皺をほぐすように抑えた。ムキになっては負けだと思うほど、心が熱くなる。
「あ!透様!あれがいいです!グリンコ!!」
男が透の肩に手を置いている。肩を触られた透は俯いていた顔をあげ、屋台の景品に首をかしげていた。
「何グリンコ?あれをこのライフルで打ち落とせばいいのかな?」
ドドドドドドドドッ
「ぎゃああああああああ!!!」
「きゃああ!何やってるのあの人」
「これだから近頃の若者は危なっかしい!」
ふう、と煙のたつ屋台を前に、ライフルを下ろし額の汗を拭う爽やかな女が、隣の連れを見てにこりと笑いかけている。
「ああ、変に緊張して損したな。町のお祭りも、普段とやってることは変わらないんだね。安心したぁ」
「さっすが透様!って違うだろォォォォォォ!!!!
何が安心したぁ、ですか!町であんたのルール適用しちゃダメでしょ!人死にますよ!」
「あ、おやじさん。景品のグリンコくださぁい」
「って、この人に聞く耳のあると思った私が間違ってましたよ......」
隣の連れはしょんぼりと肩を落とした。どうやらこいつは透の部下で、相当な苦労人と見た。そりゃあ小さい頃から天然を発揮してきた透のことだ。部下は苦労が耐えないに決まっている。
いや今はそれより、だ。
「なんで透が、ここに......」
今の限りではあの連れの男と透はただならぬ関係に見える。ただの部下と上司だったらこんなお祭りに足を運んで、射的を楽しむわけがない。
デートだ。きっと、いや間違いなくデートなのだろう。
「........どっ、ドンマイ」
銀時が俺の肩に手を置いた。大丈夫。男は心だ。もっともな逃げ道を考えたらしい銀時はおとなしく透の方からむきなおり店への呼び込みを始めた。
それが吉と出たのか凶と出たのかは分からない。が、透の連れの男の方が俺たちのいる方、つまり銀時の貧相な出店を見て「次はあそこに行きましょう透様!」と透の腕を引いている。その一連の様子に朧は口を一文字にキュッと結んだ。思うままに透を動かしてしまう彼が羨ましかった。いやそれ以上に、朧の心には透を独り占めしたい独占欲が渦巻いているのだが。
「いらっしゃい。お兄さん。遊んでかない?」
「何でもできるんですか?ここ。すごいですねぇ」
予想通り、男は透を連れて銀時の出すブースの前で止まった。朧はその隙によく男の特徴を見ていた。かきあげられた前髪がカーブを描き額に垂れている。その下の凛とした切れ長の猫目。まつ毛は綺麗に下まで揃っている。不健康そうな紫の唇は筋の通った鼻を目立たせている。この薄い唇を除けば、顔の造りとしては紳士を匂わせる完成度の高い作品だ。背は透と同じくらいといったところか。なるほど。まだ俺の方が高いらしい。朧は鼻をすんと鳴らした。その威圧感ある視線を向けられた男も、当然朧に気付いていた。男はそれまで笑むために使っていた顔の皺を一点に寄せ、こちらを睨んだ。
「あなたが、透様を穢したんですね」
男が向ける厳しい視線に、朧は心当たりがあった。透の首筋に自分の跡を残したのはふた月前のことだったと思う。その時は自分でも自覚していなかった恐ろしい独占欲に支配されていたと思う。
「……すまなかった」
朧は素直に頭を下げた。まず男に謝らなければと思った。この男はただの男ではない。透の隣という、この世で俺が一番欲しかった椅子に座している男なのだ。こいつがただの男であったなら朧は頭など下げはしなかっただろう。自分の送った手紙に返事がなかったのも、透にはすでに本命との先約が入っていて、返事のしようがなかったからに違いない。
「男が易々と頭をさげるものじゃない。その抱えている男としての矜持も全て、こぼれ落ちてしまいますよ」
そう言って男はこうべを垂れる朧の横を通り過ぎ、透の元へ歩み寄った。
「透様。次はここで遊んで行きましょう」
下げていた頭を元に戻し、朧は二人を見た。透は銀時と話し込んでいるようだったが、朧の目はその後ろの男の方へ向いた。彼の透を見る眼差しは慈しみに満ちていた。彼は俺なんかよりよっぽどいい男なのだろう。透のことを大切に思うのは朧も同じだが、敵う相手ではなさそうだ。
俺はなんてことをしてしまったんだ。朧は嫉妬よりも怒りよりも、透の思い人を傷つけた己を恥じる気持ちでいっぱいだった。
「いいのか。これで」
銀時がそっと朧のそばまで来て、耳打ちした。自分の出る幕はない。朧は、この男の隣で透が笑顔になれるのなら十分だとさえ思っていた。例え透のそばに自分の居場所がなくても、もう
「片思い歴はお前の方が長ぇんだろ?どこぞの馬の骨やらに負けていいのかよ。好きな女のために青春棒に振ったのに、」
「いいんだ。銀時」
朧は無理に笑顔を作って笑って見せた。作り笑いが下手なことくらいは分かっている。これが逃げだとも分かっている。だがどうしてもこの場から離れたかった。頭を冷やして仕事に戻りたい。もう、この幸せそうな透を見ていられなかった。
30.9.28
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