翳り | ナノ





「じいや。すまなかった。こんなに近くにいたというのに。お前の苦しみに気づいてやれずに。

その人生をかけ将軍家に尽くしてくれたというのに、余らはお前を苦しめることしかできなんだ。


じいや。今からでも間に合うか。約束の時に___」










「このままこの国にしがみつけば、その地位だけではなくお命まで危ぶまれましょうぞ。どうか、天導衆の元へご助勢をお求めに」

「半生をかけ積み上げたものを、全て捨てよと申すか!裏切り者どもを捨て置いたまま、天導衆の元へ泣きつけと申すか!」

「殿のこれまでの働きを思えば、必ずやその復権にお力添えを頂けましょう」

「戯言を__奴らにとっては茂茂も私も、この星そのものが道具に過ぎぬ。

そうだろう天の遣い。八咫烏よ。

天導衆は全てを私におわせ切り捨てるためお前を遣わしたのだろう。私が売国奴なら奈落、貴様らは国の死肉を食い生きる卑しいカラスだ。

救援の船?笑わせるな!天導衆にあったが最後、二度と地上へは戻れぬであろう!」

「お望みとあらば、どこへなりとも。我らは殿の力添えを仰せつかった私兵であるつもりゆえ」

「ほう?何処へでもいくと?

____ならば、吉原へ参れ!!!

我が覇道の始まりの地。そして裏切りを受けた忌まわしき地。彼の地でそなたらの忠心を示してみよ」

「忠心……いかように」

「鈴蘭を殺せ。

あの時の裏切りが全ての元凶。ならば舞蔵、鈴蘭。お前たちの約束を完膚なきまでに打ちくだき、この因縁に終止符を打ってやろう。
私を裏切った全てのものに、目にもの見せてやる」

「それで気が済むのであれば」

船に乗り込む定定を見送る。階段を昇る翁の背中に向けて、全く手のかかる人だとこっそりため息をついた。
違和感を感じたのはその時だった。自分の背中をヘビが這っているかのような感覚に、後ろの部下は部下を装った刺客と予想する。

「........はっ、」

予想は見事に的中した。刺客の冷えた刀が透の背中を貫き、肉を炙っている。

「銀時。我々に化けてまで......何が目的だ」

「そんな可愛い目で睨むなよ。アイツが、嫉妬するぜ」

「____っ、」

「透…………」

「朧。どうしてそんなに、死にたがる」

それは死なないで、というようにも聞こえた。透の死ぬことを望まないような物言いに、朧は今まで強張らせていた筋肉を緩めた。透は先ほどまで平気で刃を向けていたが、今そんな様子はない。

朧は答えずに、ただ透を見つめた。透の目は悲しく、最後の三日月を描いているようだった。今にも消えそうな、儚い笑みを浮かべている。
その後ろでは満月が煌々と輝いている。暗闇でも朧と透を照らしているのは、間違いなく二人を引き合わせた月だった。

「死にたがってなんかいないさ」

朧は目を閉じて透をそっと瞳の中に閉じ込める。月の下で見ると、透はあの頃のままの少女だった。幼いながらに俺と先生を護った、今も燦然と輝く俺の月。
生きろと背中を押され助けられるたびに朧は、透にどう恩を返そうものかと悩んでいた。

透のように生きろと背中を押すのではあまりに不躾で、かつ透の境遇を少しも変えてやれないのである。第一に、透は死なないのだ。生きろと言われても何のことやら。死んでも死ねない体なのだ。

だが月に乞うように遠くから透の幸せを願っているだけでは、とても恩を返しきれそうになかった。だから。

「俺は生き続けて、透にこんなくだらないこと辞めさせてやる。生憎まだ、死ぬ予定は入ってない」

「死ぬ予定がないなら、私の目の前に立たないでよ。殺さなきゃいけないから」

透は背中に刺さったままの刀を手で掴むと、ゆっくりと引き抜いて刀身を銀時へ押し返した。

「命を無駄にするのか。君は今の幸せを、捨てるつもりなのか」

「アホか。こいつはンなこと、とうの昔から知ってんのさ。誰よりも争いごとが嫌いなコイツがわざわざ戦争に参加するかよ。国をひっくり返すかよ。それでもここを選んだのはお前が、いの一番に地獄に身を投じるような真似するからだろ。テメェの幸せを誰よりもこいつが、思ってるからだろ」

「________」

「テメェはそんな同門の気持ちも汲んでやれねぇのか?少なくとも俺の知った松下村塾の一番弟子たちは、そんな無慈悲なクソ野郎ではなっかたがね」

「習わなかったか。銀時。先輩にものを言うのは、100年早いってな」

そう言った透に、銀時はニヤリと悪役のする笑みを浮かべた。

ドゴォォォォォォォ……
定定の乗った船を背中に待たせていた透の短い髪を、ゴオと熱風が持ち上げる。
彼女の細い眉がキリリと釣り上がっているのが横からでも分かる。しかしもう手遅れだ。定定の形勢は俺達によって返された。


「朧。もう最後だ」

何が最後なのか。朧にはさっぱり解らなかったが、透の薔薇色の頬は今に限りやけに清々しいソーダのような色をしていた。若く鮮やかな皮膚に似つかず、落ちる影は彼女の冷酷な心を表している。しかし朧は間もなくして知った。
その冷酷さは彼女自身に向けられたものであると。自分を殺す決意なのだと。

「本当は知ってた。君が主人に剣を向けてなんかいないってこと。君の邪魔者は私が片すから……朧。君はその残された命で主人を守ってくれよ」

透はその剣を誰に向けるでもなく、自らの胸に突き立てた。










「此度の働き誠に見事であったな。佐々木殿。

負傷したにも関わらず任務を全うされた貴殿の忠誠心には喜喜様も感嘆されていたぞ。我ら一橋派による新政権樹立後の地位は堅かろう。ヒッヒッ。最大の政敵定定は全ての罪を白日の下に晒され投獄。何より驚くべきはあの茂茂が将軍職を捨てヤツを道連れにしたこと。
おかげで我々は労せず喜喜様を将軍に押し上げることができる。ヒィィハハハハッ!!!」

佐々木異三郎の病室。異三郎は夢中になって操作していたケータイの画面から顔を上げ、根津の顔をここに来てやっとまともに見た。肉に埋もれたシワを歪ませて笑う根津はまるで恵比寿だ。自分は何の手柄も立てていないのにどうしてこうも機嫌が良いのかと思えば、一橋派の話を公共の病院で堂々とおしゃべりとは。こいつは出世できないタイプの人間だ。

「根津殿。ここは官営の医療機関。どこで誰が何を聞いているか」

「なぁに。時代は一橋一色。我々に逆らえる者などもういない」

「いえいえ。壁に耳あり障子に目あり」
「肩にフェアリーと言うでしょ」

根津の後ろには真選組の近藤と土方が背後にバラやらコスモスやらを咲かせて立っていた。
ほれみろ。異三郎が皮肉の一つでも言ってやろうと根津を見たときにはすでに、病室から尾を巻いて逃げた後だった。病室には近藤と土方が残る。

「まさかあなた達が見舞いに来てくれるなんて。本当にあなた達は見かけによらずフェアリーのような心の方達だ」

「なぁに。未来の警察庁長官殿だ。今からゴマすっとくに越したことはねぇだろ。葬式くらい参列すらぁ」

あいにく異三郎は見え透いた殺意に飽き飽きしていたところだ。後ろから気配もなしにブスリと毒塗りの刀で刺されれば、そんな気分にもなる。土方の挑発を軽く受け流して、異三郎はメールでばかり達者なせいで異様に乾いてしまった口を開いた。

「今更利用されたことに気づいて私を斬りに来たとでも?」

「悪政を正せるのであれば喜んで利用もされるさ。だが俺たち家臣を守るためその咎を一身に背負われた殿を利用したとあらば、黙っているわけにもいかん」

「殿のため?悪政を正す?アナタ達は本当にそんなもののため剣を取ったのでしょうか?
私が一橋派のため殿の失脚まで狙っていたと考えているならそれは誤解です。いくらエリートでも予想できませんよ。一介の浪人のために一国のあるじが地位を捨てるまで心動かされるとは。一本の腐れ縁のためバラバラの山ザルが剣を取ろうとは。

つくづく不可解な男だ。坂田銀時。
飽き性のあの子がこの一件異様な執着を見せたのも長官の側近が任務放棄したのも、あの男の悪い影響でなければいいのですが。ねえ?朧さんに、信女さん」

病室の前から二つの足音が遠ざかる。二人が姿を見せずとも、そこにいることを異三郎はずっと気づいていたのだ。


「佐々木は何を企んでいる」

「異三郎は将軍の首を差し替えるだけじゃ、この世が変わらないのは解っている。あの男が付き合ったのは、一橋の大将の矮小なホラじゃない。もっと馬鹿げた大ボラよ」

早足で異三郎の病室から遠ざかる不躾な犬に足を合わせながら朧は考えていた。一橋の大将?川喜喜は確かに甘い考えをお持ちのようだが、彼を除いて他にそんなホラ吹きがいただろうか。少なくとも朧の周りにはいなかった。いや、政治の方面に絞って考えていた自分が甘かったのかもしれない。頭を捻らせ、浮かんで来たたった一つの可能性に、悪い夢を冷ますようにブンブンと首を左右に振った。混ざるような脳みそに否定する。アイツであってたまるか。しかしその顔が浮かんでしまったのを最後に脳が考えることをやめたのが、自分でヤツだと決めつけている証拠だった。


「晋助………」








「随分と遅かったではないか。待ちわびたぞ。透」

暗がり。黒衣に身を包む三人の奈落の姿に定定は心底安心した。こうして牢獄に入れられてしまったが、天導衆は自分に救いをくれているのだ。その手を取らない理由がない。自分を貶めた茂茂を後ろから指さして笑ってやりたい気分だった。

「茂茂、残念だったな。誰にも私を裁くことはできぬ!誰にも!天にも!私を裁くことなどできはしな……」

はっ、と腹に違和感を感じ下を見る。腹から伸びている青白い光が細々と一つになり定定の顔を写している。まるでお前にはこの貧相さがお似合いであるとでも言うように。
そこからさらに伸びた不健康で骨組みの浮き上がりそうな棒も、人の腕らしい。その細さに似合わず野太い声が定定を地獄へ導く。

「その通りだ。たとえ将軍だろうと天であろうと誰にもお前は裁かせねぇ。お前を裁くのは、この俺だ」









「これも因果応報ってヤツですかね。暗殺で全てを気づいた男が暗殺で終わりを迎えるなんざ。ま、あの大騒ぎの後にこいつが世間にバレるのはまずいってんで公には病死ってことになるらしいでさァ。納得いかねぇのも分かりますが、上からのお達しなんでね」

「下手人を?」

「さて。探すつもりがあるんだかないんだか。ね?兄さん」

「ないだろうな」

ようやく最近になって陽の光を観れるようになった吉原の空が、今日は曇っている。銀時の隣で冷めた湯のみをさも愛おしそうに擦っていた朧が簡潔に沖田の話に答えを出した。朧の中には自分さえ知っているんだからいい。と言う気持ちさえ起こっていた。これ以上を銀時に伝えたところで、また彼を危ない目に遭わせてしまうだけだ。

「天導衆は定定を取り戻そうとしていた。だが、一橋の方が一手早かった。それだけだ」

天導衆は一橋派から宣戦布告を受けたことになる。そして定定を失った天導衆が次に茂茂の辞意を取り消しその座に留まらせたのもまた事実。
しかしそのことは口に出さないでおいた。今日はそんな暗い話をしに銀時を呼んだのではない。銀時の約束したあの男のことを伝えるために来たのだから。

「あの爺さんは一命とりとめたぞ」

「そうか」

「あの体で吉原に行くことは難しいかも分からんが、2本目の腕を失って息があるなら優秀な方だろう」

水を差すようで申し訳ないが。いつからいたのか後ろから月詠が声を投げて来た。



「鈴蘭も、今日の月が最後だろうと」















城の廊下にはあかり一つ灯っていない。時折古びた床の木を軋ませながら、舞蔵は歩いていた。あの人の、待つところへ。今日はきっと自分の最後の満月の晩なのだから。こんな自由の効かない体では彼女のところまでたどり着けるか分からない。行った先で彼女が待っているのかも分からない。自分の体はもうあの頃のように若くはない。だが、まだ動くと思い込むのが一番だと体に鞭を打つように歩いていると、スパン。襖が開き殿中警護の異三郎が姿を現した。

「こんな夜更けにどちらへ?その体で吉原へ夜遊びですか?死にますよ。これ以上騒ぎを起こしてもらっては困ります。どうか自重し部屋へお戻りください」


「命令違反は百も承知。どうぞ切るなら切ってくだされ。すでにその刃を受ける腕もなし。足だろうと首だろうと持って行きなされ。

___だが。あの日交わした約束。皆がもう一度繋いでくれたこの魂に繋がれた糸だけは。いかなる刃をもってしても立つことはできませぬ」



舞蔵は自分の体が動こうと前へ進むのを抑えられなかった。きっとそれも国に仇なす大罪人になろうとも自分と彼女の心を守るために戦ってくれたあの男のせいなのだろうと。

まだ、彼女に会うことを許されたような気がして。今こそ約束を果たす時だと、あの者たちが背中を押してくれているような気がして。



カランッ。

乾いた空き缶がどこからか投げ込まれた。床を転がり、何者かの足に止められる。


「な…!あなたたちは一体どこから!」

狼狽える異三郎の長身から舞蔵は顔をのぞかせた。銀色の天パが二人、缶を踏んで人差し指を天に届かせる勢いで掲げる。


「缶けりする人!この指と〜ま〜れぇぇ!!!」

バン!バン!襖が左右多方から開かれ、大勢の真選組の隊士を集めた。舞蔵が目を凝らす先にはなぜかそよ姫と茂茂の姿もある。

「じゃあこの人数でじゃんけんすんのもアレなんで、鬼は土方さんってことで」
「ふざけんな!この人数だぞ!100パーいじめみたいになんだろが!」

「やめないか。もう内部争いはたくさんだ。ここは将軍の特権で私が決めさせてもらう。

じいや。頼む」

驚く舞蔵に反して異三郎は腹の虫の居場所が悪いらしい。

「いい加減にしてください。外部の人間まで巻き込んだ上に、職務放棄までするつもりですか」

朧は異三郎を落ち着かせてやらねば、そう思い近付こうとするも、琥珀の髪が風にさらりと奥の部屋からちらついたのを見て安堵した。もうここは、大丈夫だと。


スカァァァァン……

それは光の速さで缶けりの火蓋が切られた瞬間だった。子気味のいい音を立てて何処までも缶は飛ばされる。いやホントどこまで飛ばしたんだよ。
信女は何か悩み事でも解決したあとの探偵のように、よく通るすんだ声で言った。


「さっさと缶拾って来て。多分、吉原くらいまで行ってると思うけど」












「こんな遅く、もう待ってもこねぇって。兄ちゃんの待ってる女は今頃他の男といいことしてんだよ。諦めな」

「そうだとしても。いい。待っていたいんだ」

親父のしゃがれた声はいつも耳をつんざくような居心地の悪さがあったが、もうそれにも慣れた。川沿いの屋台で女を待つことを言い訳に瓶を傾け酒を喉に滑らせる。待つ女は来ないのだから、結局朧は夜を台無しにすることが常だ。

「鈴蘭には、会えたのかな」

「お。お前さん。わしらの時代のもんか?ちったァ古いが、目の付け所はいい」

「あら、お兄さん。アラサーは好きじゃないのかい」

親父、焼酎一杯。隣に腰掛けた編笠の青年はやけに女性らしい亜麻色の柔らかそうな髪を揺らし、朧に微笑みかける。
頭に桜がついているのなんてまるで気づかない。そんな愚かで、可愛い透に朧はこの上なく愛おしさを感じる。
今にも手を広げて彼女を抱きしめたい衝動に駆られたがそれを抑え、余裕を残した笑みで答えた。



「約束を守らないヤツはお断りだ」






30.9.23


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