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ドガン、という音と同時に、一つの影が甲板を転げ回る。
目を覚ましたと思えば、もうその日から始まった例のルーキーの白ひげへの奇襲。今日だけで三度目になる失敗を、ニーナはあちゃあ、と見守った。

「今の、結構強烈だったんじゃ」

甲板に座る白ひげの背後から襲いかかった青年は、まさに一捻りされ甲板の先でガクガクと痛みに悶えている。

動けないのだろう彼に、他の船員が気遣う声を掛けながら医務室へ運ぼうとするが、どうやら聞く耳を持たなかったようだ。気遣う船員を振り払った手で鼻血の流れる顔を覆うと、与えられた部屋へと引き下がっていった。

彼は現在、物置を軽く片付けてマットを運んだ部屋を使っている。

その背中を、ニーナは短い溜め息と共に追った。放っておけばいいのかもしれないが、なんとなくそうも出来ない。

まあ、彼の気持ちも解らないでもないが、と青年の消えた扉の前で軽くノックをした後、許可を待たずに開けた。

「おーい、入るよ」
「なんだよ。またお前か」

青年は部屋の隅で膝を抱えるようにして座り込んでいた。昨日ぶりの再会でまだ記憶に新しい目付きの悪さに、ニーナは僅かに苦笑を漏らす。

「なんだよ、じゃないでしょう。医務室行かないの?別に気にしなくても、白ひげ海賊団のナースさん達も追い出しは……」
「敵の世話なんかになれるか!お前もさっさとあっち行け」

言葉を遮る様に被さった怒声に、ニーナは短く息を漏らした。
どうやら治療を受けた方がいいという助言に耳を貸す積もりはないようだ。とはいえ、今も止まらぬ鼻血や、今日だけで大分増えた傷の数々が非常に気になる。

そして、半分予想していた答えに、用意して正解だったと手に持つ救急箱に視線を落とした。

「なんの積もりだよ」
「いいから。ほらこっち向いて」

未だ部屋の隅で座り込んでいる青年の横に膝を付いて、横に置いた救急箱を開く。

「止めろ!敵の情けは受けねえって言ってるだろ」
「アンタの今の敵は“白ひげ”さんでしょ。私は仲間じゃないもの。敵の分類には入ってない筈よ」
「……仲間じゃ、ない?」

なんだそれは、と納得いかないような顔が浮かぶ。それにニーナは小さく笑いながら、かすり傷の目立つ腕を消毒し始めた。

「そういえば、あのデカイのも言ってたな。白ひげ海賊団じゃねぇって…… なんで仲間でもねぇのに?」
「白ひげさんの人望かなぁ。それに海賊団の人達も、皆いい人だしね。あっ!」

唐突に顔を上げたニーナに、青年も驚いた様でビクリと肩を揺らす。

「な、なんだよ」
「そういえば、自己紹介まだだった。私はニーナ。パスカル・ニーナ」
「……ポートガス・D・エース」

青年がボソリと返した名に、ニーナも頬を緩める。

「今話題の大型ルーキーだものね。フフフ、七武海の勧誘を蹴ったって、かなり騒がれてたし」
「海軍なんかと仲良くしながら海賊が出来るか。俺は、自由に生きるって決めてんだ」
「クスッ、まあ気持ちは解るわ。でも、そうなってたら今頃私達同僚だったかもね」
「はぁ?なんだよそれ」
「私も七武海と同じなの。「敵船拿捕許可状」及びその他もろもろの権限を持って、海賊行為を許可されてる海賊。まあ、七武海に席はないから、ちょっと違うけど」
「はああっ!?」
「あ、ほら。動かないの」

ニーナは驚きのあまり身体を離そうとするエースを押さえつけて治療を続けるが、本人はそれどころではなさそうだ。

「なんでお前みたいなのが七武海なんだよ」
「私こう見えて結構強いのよ。それに海軍とちょっと関係があってね」
「……そうは見えねえが」
「あれ?やっぱり海軍は嫌い?」

海軍の二文字に途端に声を低くしたエース。思わず聞いてみるが、まあ海賊としてはそれが当たり前かもしれない。

「嫌な奴が居るからな」
「えっ?」
「なんでもねえよ」

ボソリと呟かれた言葉を聞き返すが、エースはフイと顔を逸らしてしまった。その顔色まで、心なしか悪くなっているかのようにすら見える。もしかしたら、余程話したくない内容なのかもしれない。トラウマ的ななにかか。
ともかく、どうやら教えてはくれないようだ。

ニーナは諦めると、エースの擦り傷が目立つ反対の腕を取りながら話題を変えた。

「それにしても、新人でいきなり世界最強の男の首なんて、少し早いんじゃない?」
「なんだよ。俺の勝手だろう」
「まあそうだけど。普通はしないんじゃないかと思って」

そう聞きながら軽く首を傾げると、エースの逸らされていた視線がチラリと向く。
そのまま僅かに表情を強張らせたかと思えば、それまでのぶっきらぼうな物言いではなく、何か強い想いの籠ったような低い声が響いた。

「俺の力を、世界中に認めさせてやる。そう思ったんだ」

何処か切々とした響きに思わずニーナが顔を覗き込むが、彼の眼光は鋭さを増し顔つきも険しい。

「それにしたって。相手はあの“白ひげ”よ」
「アイツと覇を競った男に勝てなきゃ、アイツは超えられねぇんだよ」
「アイツ?」

何か理由があるのか、と聞いてみれば、出て来た“アイツ”という言葉。今のこの世に白ひげと渡り合おうなどと、考える者はそうは居ない。他の四皇とて同じ事。世界最強の名は伊達では無いのだから。
にも関わらず、エースにここまで言わせるということは、よほど白ひげを追いつめた存在。

「……もしかして、ゴール・D・ロジャーのこと?」
「………」

無言は肯定と受け止めるべきだろう。まさかここで偉大な“海賊王”の名が出てくるとは。
ということは、彼も“海賊王”の座を狙っているということなのか。

それにしては、少し様子が違うような気もする。その表情も、夢を語る者のそれには見えない。まるでロジャーを超えなければならない何かがあるような。

「でも、その白ひげに惜しまれるくらいにはなったんだから、前進はしてるんじゃない?」
「…………なんだよ。俺には無理だって言いたいのか」
「そんな顔しないの。そう生き急いだって仕方ないでしょう」
「いってて!!」

声に多少の呆れを含ませながら治療する手を乱暴に扱えば、上がる声と歪む表情。

何をするんだ、と文句ありげにエースは唇を尖らせてみせる。がそんなことには構わず、最後はその鼻血の目立つ顔だ、とニーナはその黒髪が覆う頭を掴んでグイと引き寄せた。

「ほら、こっち向いて。どうするにしても、ちゃんと治療くらい受けなさいよ」
「い、痛ェって!」

これくらいで泣き言を言ってどうする、とばかりにグイグイと傷口を拭えば、鋭かった目に少しだけ涙が浮く。

引き離そうと懸命になる鼻先にベタリと絆創膏を張れば治療は完了。
しかし乱暴に扱われた所為でひりつくのか、解放された途端に顔を手で覆うエース。その様子に満足しながら、ニーナはゆっくりと立ち上がった。

「首を取るばかりが、超えたことの証明じゃないでしょう」
「……何が言いてェ?」
「そんなに肩肘張ってたらつまらないでしょうって言ってるの。あとは安静にしてて。包帯外しちゃダメよ」

ヒラリと手を振りながら部屋の外へ消えて行ったニーナを、エースは無言で睨みつけた。
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