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上のフロア等比較にならないほど、陰湿で重苦しい空気の中。流石にニーナも言葉を謹んで静かにマゼランの後ろを歩けば、囚人を収容する牢獄の前に出た。
「……おい、ハンニャバルとマゼランが雁首揃えて、一体何の用だ」
「新入りか?ククク、ここじゃ唯一の刺激だからな。さて、どんな奴だ」
風体からも見て取れる、かつて残虐の限りを尽くした極悪囚人達が、ジロリとその視線を向けてくる。
息苦しくなるほどの険悪な雰囲気に、ニーナはグルリと周りを見渡した。
「ここが、Lv 6。無限地獄」
世間からその存在を隠され、そこに収容される囚人は同じく、存在と起こした事件をもみ消される。
「……陰気な場所」
ボソリと漏らしたニーナに、ハンニャバルが頷き返す。
「まあ、我々もここへは滅多に立ち入らないからな。それよりも署長。どこの房に入れるので?」
「それなら……」
『おぉーー!!』
マゼランの声に被さる様に響いた、野太い男達の声。思わず振り返ったニーナだが、今度は別の方角からも冷やかす様な笑いが響き。すぐに部屋全体から聞こえ始める声に、発生源を突き止めるのは諦めた。
「おいおい!新入りってのはその小娘か!?」
「よく見りゃなかなか、イイ女じゃねえか。おい下痢野郎!その女こっちの房へ入れろ」
「こんな所までくるんだ。可愛い顔で何やらかしたんだ?」
下卑た笑いに混じって聞こえる男達の興奮した声に、ニーナはここが無限の退屈を与える場所だったと思い出す。
「お嬢ちゃあん、こっちおいでぇ。俺達が色々教えてやるよぉ!」
「こら下痢野郎!その女置いてとっとと失せろ!」
「違ぇねえ。そら、何処でもいいからさっさと房に入れろ!下痢野郎が!」
あまり気持ちの良いとは言えない声の数々に、思わずニーナは眉を寄せて隣のハンニャバルへ呟いた。
「マゼランさん。馬鹿にされてますよ」
「突っ込むとこそこかよ!!」
逆にビシリとハンニャバルが突っ込み返す。
その間にも飛び交う野次や冷やかしは止まない。しかし、それに混じって聞こえたボコリと何かがこぼれ落ちる様な音。それと同時に、ジュワッと床が溶け出す様子に周りが口を閉じた。
「貴様等、調子に乗るなよ」
まるで地獄の底から響いて来たような恐ろしい声。その主はマゼランで、全身を紫色の液体で覆われた監獄署長の頭上に、同じく紫色の竜が出現した。
「ばっ、テメエ。何マジになってやがんだ!」
「どうせ囚人だろうが。おい、止めろ!」
「ただの冗談だよ!」
青ざめる囚人達の顔色からも、逃げ出したハンニャバルからも、これがただ事ではないというのが伺える。
ニーナは咄嗟にどうすべきかと悩むが、結局逃げることも避けることも出来ず。真横まで迫る毒の液体に、タラリと冷や汗を流しながらもその場に留まった。
「この娘に、それ以上下卑た視線を向けるな」
「お、おい止めろって!」
マゼランの生み出した竜は巨大で、部屋全体を飲み込む勢いだ。
「毒竜(ヒドラ)!!」
「ギャアアアアア!」
毒の竜はそのまま格子の間を潜り抜け独房の囚人達を飲み込んだ。
そのすぐ側に立つニーナも、この距離では多少の飛び火を覚悟し、腕で顔を庇いながら固く目を瞑った。
が、覚悟した衝撃は何時まで経っても訪れない。
不思議に思いそっと目を開けてニーナは思わず間抜けな声が出てしまった。
「……あれ?」
部屋は紫の液体でドロドロだというのに、自分の周りの床だけ、ポッカリと穴が空いたかの様に無事なのだ。
それを見て、それまで隠れていたハンニャバルが、何処からともなく現れ、マゼランを指差しながら怒り出した。
「えええっ!ちょ、ちょっと署長。そんなピンポイントで避けるの可能なんて、私知りませんよ!何時も射程範囲だって毒攻撃躊躇いなくしてくるクセに!!私が犠牲になるのはいいって言うんでスマッシュか!?」
「煩い、馬鹿者」
そんなハンニャバルの突っ込みは無視し、マゼランはギロリと毒に悶え苦しむ囚人達を睨みつけた。
「この監獄のボスが誰なのか、忘れたのか?」
凄むその表情は、地獄のボスに相応しい。怒りを露わにするマゼランに、漸く囚人達も口を閉ざした。
「流石、我らが署長!」
「……移動するぞ、ハンニャバル」
また何時かの様に、ヘイッ、ヘイッ、と署長を称えながら小躍りを始めていたハンニャバルは、えっ!?と目を見開いて固まる。
「ここに収容する予定では?」
「牢を分ければ、とも思ったが。変更だ。あまり気乗りはしないが、あの部屋を開けろ」
「あ、あの部屋?………えええっ!あの部屋でスマッシュか!?」
ハンニャバルの動揺から、どうやら自分はまた酷い場所へ放り込まれるらしい。と、予想したニーナは、深く、深くため息を漏らしたのだった。