09.導き与える/1

※リヴァイ視点

 まるで悪い夢を見ているようだ、と思った。
 快楽を求める行為の中で、身体の感覚は研ぎすまされているのに、一方で脳内は霧がかかっているかのように、鈍く麻痺している。
 欲望を何度もなまえの中に突き立てては、奥で吐き出し、その繰り返し。
 既に気を失い、腰の突き上げに無抵抗に身体を揺さぶられているなまえに視線を落とすと、彼女の首筋に赤く血が滲んでいる箇所が、ぼやける頭に鮮明に映る。
 確かに彼女を手中にした満足感のその裏側で、きっともう彼女は永久に手に入ることはないと絶望の中で確信した。
 ギシギシとベッドが鳴り、肌のぶつかり合う音が響くのがやけに耳に張り付く。激しく揺さぶれば、意識のない中でもなまえの中は吸い付くように蠢き、肉棒に刺激を与える。またひとつ、小さく身震いをしながら射精をした。


 どれだけの時間が過ぎたのだろうか、それともそれ程経ってもいないのか、なまえの身体の拘束を解き、乱れに乱れたリネンをその身体に掛けてやる。
 もう、ここに来ることはないだろう。なまえの目が覚めたとき、彼女はどう思うのだろうか? 彼女の愛するエルヴィン以外の男に、汚い紙幣をもって奪われ、その上殺されかけて。
 それでも彼女の心に、深く消えない傷が残ればいいなんて思ってしまう自分に、滑稽を通り越して、恐怖すら覚える。

 ベッドの端に座りながら暫くなまえを眺めた後、そっと部屋を後にしようとしたとき、聞き慣れた声で後ろから急に名を呼ばれた。振り返ると、寝室の入り口付近に佇む、エルヴィンの姿が目に入る。
 彼は顔色ひとつ変えずに、規則的な足音を鳴らしながらゆっくりベッドに近付くと、その脇に腰掛け、なまえを見下ろしながら言った。

「ああ、随分酷いことをしたんだな」
 
 他の男に陵辱された跡がありありと残る自分の女を前に、口にしたその内容にしては、ずっと軽い口調なのが鼻につく。それどころか薄く微笑んでいるようにも見えた。その気持ちの悪い笑みに嫌気が差し、白々しく答える。
 
「悪いな。お前のものだとは知らなかった」
「いや、なまえは私のものではないよ」

 一瞬絶句しかけて、次から次へと頭に浮かんだ疑問を口にしたいが、まとまらない。あれ程なまえに入れ込んだ様子を見せつけておいて、実際に彼女を囲っておいて、この執着のなさは。

「……どういうことだ?」
「お前には、話しておこう」

 そう言ってエルヴィンの打ち明けたことは、全く思いもよらないことだった。なまえが元調査兵団の兵士だということも、元貴族の令嬢だということも。そしてエルヴィンに庇護されている本当の理由――

「なまえはあまりに立体起動が下手でね、あのまま兵士をやってたら今頃はとっくに巨人の腹の中だっただろう」

 尤も、彼女はそれを望んでいたようだったが――
 苦笑しながら、しかしどこか懐かしむように話すエルヴィンに、胸の中にドロドロと蠢くようなどす黒い思いが沸き上がってくる気がする。
 首を締めたときになまえが口にした言葉と彼女のバックグラウンドがぴたりと当てはまった。あのすぐにも消え入りそうな微笑みの影に一体どんな思いを秘めていたのだろうか。

「なまえに酷いことをしているのはどっちだ? どうしてこんな――」
「決まってる。人類の勝利のためだ」

 一点の曇りも無い青で見据えられる。決意をその瞳に秘め、崇高な信念を語るその裏側で、きっとこの男はどんなことでもやってのけるのだろう、と朧げには思っていた。地下で出会い、短い期間に衝突しながらも、この男への理解を深めてきたつもりだ。
 どれほど多くの人を死に追いやっても、どれほど多くの人を不幸にしても、恨みを買ったとしても、その尊い目的のために、彼が揺らぐことはおそらくない。
 しかし――

「俺には解らない」

 ベッドの端から立ち上がり、一歩踏み出そうとすると、また声を掛けられる。

「なまえとまた会ってやってくれないか? 彼女はお前を心の拠り所にしていたと思う」
「……っ、できると思うか? それにお前と女を共有するなんて御免だ」
「そういうところが潔癖だな」

 飄々とした口振りの一方で、エルヴィンの目は笑っていなかった。真実を隠しながら、情報を操りながら、俺を、なまえを、他の大勢を動かしている筈だ。心の奥底に秘めた本音を語らず、しかし、意のままに事を運ぶ。進むべき道を導く光のように見せかけ、退路も与えない残酷さをもって。それに気付いたときには、既になすすべもない。

「……もっと大事にしてやってくれ。きっとエルヴィンしか頼る者がいないんだ」
「……ああ。解ってる」

 その瞬間、エルヴィンの表情が緩んだのを見逃さなかった。思惑どおり、ということだろうか。
 俺となまえを引きはがし、それぞれをエルヴィンの思惑に向かせること。それが目的だったのだろう。

「お前のお陰で今まで以上に死に物狂いでやれそうだ」
「リヴァイ、私はお前も大事だよ。調査兵団に、ひいては人類にとって必要な男だ。だから……」
「……ああ、演じてやるよ。お前が俺を人類最強と担ぎ出し、英雄に仕立てあげた理由を知るために」

 そうだ、俺にもそれしか残っていない。
 エルヴィンの元で、戦うことしか。

 それが、この先なまえと俺を繋ぐ唯一の接点になるはずだ。

 愚かな、と思う。
 それでも彼女が無事に生きていることを知るだけで、きっと心は淡い思いで満たされるのだろう。

 こんな狭くて汚れた壁の中じゃ、到底幸せになれない。だが壁の外に焦がれ、追い求めた世界はあるのだろうか。なにもかもが霞んで見える色褪せた世界の中で、大切にしていた色彩は鮮明な血の色に取ってかわられてしまった。自らが付けた傷によって。

 後ろ手に扉を閉め、静かに邸を後にした。太陽が高くのぼる空の下、日差しが目に痛い。壁に囲まれたこの狭い空が忌々しく、小さく舌打ちをした。


(2014.2.1)

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