07.見失ってしまったら/1

 リヴァイは、確かに私に思いを寄せているような言葉をくれるのに、決して触れようとはしなかった。
 あのキスの後にも二人の間には何もない。だからこそ、その記憶が特別な意味を持って、心に深く刻まれていた。
 勝手に抱いた淡く純粋な期待が、どんどん膨らんでいき、ついには生きる希望にも似た大きな意味合いを持ってしまう。
 それが大切で、守りたいと思う程、一度隠してしまった秘密は深く重く伸し掛かっていき、だんだんと歪んでいく。 

 歪んだ危うい状態だったというのは、その中にいるときには決して解らなかった。だって、きっと彼も歪んでいたから。
 彼は地下街のゴロツキから、人類最強と呼ばれる兵士になった。地下街のことも、壁外のことも話に聞くだけだから想像することしかできないが、どちらも種類の違う過酷な世界だ。その強さの影で、彼の精神には知らず知らずのうちに負担が掛かっていたのかもしれない。きっと彼が私に会いにくる理由はそれと関係しているはずだ。私が彼に会う理由も、似たようなものだから。
 エルヴィンが似ている、といった通り、私達は似ていたのかもしれない。
 でも全てのことは、終わってから――壊れてしまってから気付いたことだった。粉々になった状態を目の当たりにして、初めて解ることだったのだ。



 リヴァイに決して明かすことのなかった秘密は、突然明るみになった。
 壁外調査の後で、やはりいつもと様子の違うエルヴィンに明け方近くまで身体を弄ばれ、責められていた私は、居間を片付けている途中で、ついうとうととソファーで眠り込んでしまっていた。
 その頃にはリヴァイは邸の裏口から勝手に入るようになるまで気慣れていたから、私は彼によって起こされることになる。 

 部屋に残る他の男の痕跡――煙草の吸い殻や、飲みかけの酒瓶や空いたグラス、などといったものが、リヴァイの目に触れることになってしまった。彼が嫌う汚れた部屋と、汚れた自分自身を晒すことになってしまった。
 でもそれだけならまだ救いようがあったのかもしれない。
 
 厚手のカーテンが掛かる部屋は、朝の光を遮ってしまう。薄暗い部屋で、こもった空気の中で、沈黙が続く。リヴァイは大抵眉間に皺を寄せているが、その時は大きく目を見開いて、普段より一層落ち着き払った低い声で尋ねた。

「おいなまえ、これは何だ?」

 リヴァイはソファーの背に掛かっていたそれを手に取った。自由の翼と称される、調査兵団の紋章が入ったマントだった。
 どうして? こちらが聞きたかった。エルヴィンがこんな大きな忘れ物をするなんて。一気に眠気が冷めるどころか、緊張が走り、冷や汗が背中を伝う。

「あ……」
「俺は隊服でここに来たことはない。誰のものだ?」

 どこからどう切り出せばいいのか解らず、唇を噛んで押し黙ると、普段は口数の多くないリヴァイが堰を切ったように話し出した。

「エルヴィンは、お前に随分とご執心の様子だった。観劇に行けば俺の話そっちのけでお前を凝視してるし、花束も何度も贈っていただろう?」
「……ええ」
「エルヴィンとも会っていたのか?」

 なまえの答えを待つ間に、リヴァイがじりじりと詰め寄って来る。静かに歩みを進めるが、その足取りは重く、びりびりと空気が震えるようだった。人類最強と謳われる彼の、恐ろしい程の、殺気。
 思わず後ずさりするが、すぐに壁に突き当たってしまった。足に力が入らず、壁に沿うようにして勝手に身体が落ちていく。
 リヴァイの顔が間近に迫った。あの日綺麗な青だった瞳は、今は暗く澱んで見える。ああ、もう終わりだ。大事だと思っていたものは、既にそこには無い。

「……っ、そうよ。私はあの人から、逃げられないの」
「まさか、出資者っていうのは……」
「そう。この家だって、この服だって、全部エルヴィンから贈られたものなのよ」
「……金か? 金で男に足を開くのか?」

 お金が欲しいわけじゃない。そんなもので身体は売らない。汚いものを見下すような彼の視線に耐えかね、つい口走ってしまった。

「そういう訳じゃない。私はエルヴィンにしか……」
「ヤツにしか、身体を許してないって?」

 冷たくそう言うリヴァイの声は微かに震えて聞こえた。怒っているのかもしれないし、悲しんでいるのかもしれない。焦って取り繕おうとして、また余計な言葉を重ねてしまう。

「そうだけど、でもエルヴィンとは……」
「愛してるのか?」

 そう尋ねるや否や、なまえの返答も待たずに彼はいつも首に巻いているクラヴァットをしゅるりとほどいた。

「何を……」
「もういい。もうお前の口から、エルヴィンの名を聞きたくない。もう何も……聞きたくない」

 真実なんてどうだっていい、そう呟く声が上から降ってくると同時に、ゆっくりと彼の手が伸びてくる。全く抗えないまま、彼が手にしているもので口を塞がれた。

 ごめんなさい、と謝ることも出来ない代わりに、きっとどう言っても白々しく聞こえてしまうであろう言い訳もしなくて済んだ。


(2013.12.23)

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