06.道標を/2

 綺麗なものに囲まれろ、とエルヴィンは言った。それがお前に相応しいのだと。
 綺麗なものを得るためには、残酷な過程を経ることもある。例えばこの咲き誇る薔薇を七部咲きで摘み取ってしまうのは、また新たに芽を伸ばし美しい花を咲かせるためで、そのために花の命を短くしてしまっているということも。
 そして綺麗なものはとても儚い。水に差した薔薇はいっぱいまで開き切る前に、色褪せてしまう。舞台の後で山のように贈られる花束も、美しいのはそのときだけで、いつかは散ってしまうのだ。
 今居る居場所もこんなに儚い、いつなくなるかも解らない足元も覚束ないものなのだと言われているようだった。

 綺麗だ、とリヴァイは言った。薔薇のことなのか、花を差した私のことなのかは解らなかったけれど。
 それでも、飾り気のない彼の言葉は嬉しくて、少し悲しかった。



 リヴァイは時々、この屋敷を訪れるようになった。
 初めはエルヴィンが寄越した監視役かも、と疑ったのだが、エルヴィンは私の存在をリヴァイには話していないようだった。私はもう調査兵団の兵士ではなく、エルヴィン個人に飼われているただの女優なのだ。ほっとした気持ちと同時に、落胆も襲いかかった。

 リヴァイがやって来るのはもっぱら早朝で、昼までには立ち去ってしまう。彼とは色めいたことなどなく、ただ同じ時間を共有するだけだった。お互いがお互いに興味を持っていることだけは解るが、どちらもあと一歩踏み出せないような焦れったい期間が続いていた。
 初めは単純な彼への興味と、エルヴィンへの少しの反抗心もあったのだが、いつしか彼と一緒に過ごす時間は荒みきった生活の癒しとなっていた。
 彼のために部屋を片付け、綺麗にし、彼が好む紅茶の茶葉を用意し、歌や楽器の演奏のレッスンに付き合ってもらったり、とりとめのないことを話して。
 お芝居に出てくる恋するヒロインとまではいかないが、何かの気持ちがどんどん膨らんでいって、溢れ出しそうな感じがしていた。
 このままではまずいと思った。彼は私のうわべしか知らないのに。

 彼らが来る時期はほとんど一緒だった。きっといつも行動を共にしているのだろう。夜はエルヴィンと寝て、明るくなればリヴァイと会う。エルヴィンに対してもリヴァイに対しても、それぞれのことが秘め事だった。
 今日もエルヴィンに高ぶらせられた熱を少し身体に残しながら、明け方までには去ってしまう彼と入れ替わるように、リヴァイを屋敷へと招き入れる。
 まるでいけない事をしている罪悪感がどちらに対してもあった。壊したいのに壊してはいけない、壊したくないのに、壊れて欲しい。
 そんな危うさを恐れていた。リヴァイに関しては自分から手放すことができる。まだ手遅れではないかもしれない。

 リヴァイはテラスに面したテーブルで、紅茶を飲んでいた。
 彼の紅茶の飲み方は、決して正しい作法にのっとったものではないのに、堂々としていて、なぜか魅力的に見えてしまう。相変わらず眉間に皺を寄せ、淡々と紅茶を飲む姿をいつまでも眺めていたいような気がしていたが、そんな静寂を破るように、出資者がいること、その人に身を任せていることを告げた。
 
 リヴァイはティーカップをその独特の持ち方で一口飲んだ後、ソーサーにそのカップを置いた、少し影のある彼の横顔の表情が、さらに険しくなった気がした。二人を取り囲む空気が一瞬にして冷たくなり、緊張が走る。
  
「汚ないな」

 呟くように、静かに彼は言った。彼は飾り立てた言葉を使わない。胸に突き刺さるようなその言葉を聞いて、涙が出そうになる。
 これできっと終わる。

「この世界が汚ないってことだ」

 俺も地下街出身で泥水はたくさん啜ってきた、と彼は続けた。
 そうか、いつかエルヴィンが言っていた、地下街から連れて来たという男はリヴァイのことだったのだ。私のことを、彼に似ていると言っていた。

「壁の中は狭いから汚れるんだ。地下街も狭くて、汚れきった場所だった。そこから俺を連れ出した男がいて、壁の外なら自由があると思ったんだが」

 彼はまた紅茶を飲んだ。

「巨人の領域は自由とは程遠い。壁の外に出れば仲間を死なせてしまうこともあるし、巨人を殺せば手は血塗れだ。俺だって汚れてる」
「そんなこと……、あなたは人類の希望である調査兵団の英雄だって言われてるのに」
「俺を担ぎ出したい思惑からだろう。誰が得するか考えてみれば解る。俺だって駒の一つに過ぎない。奴にとってはな」

 奴、というのはエルヴィンのことだろうか。
 この人も私と同じなのかもしれない。

「内地に暮らして、着飾ってる女になんて興味が湧かなかった筈なんだが」
  
 リヴァイはそう皮肉めいた笑みを向けると、私の頬に手を添えてキスをした。
 驚きで目を見開いてしまうと、彼もまた目を開けたままだった。
 彼の瞳に色が見える。エルヴィンのそれとは違うが、確かに綺麗なブルーで。新たな希望の道標になるのかもしれない、そんな淡い期待とともに、頭の中に鳴り響く警鐘を無視して静かに目を閉じた。


(2013.12.9)

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