05

「ああ、なんて綺麗な花嫁なんでしょう。とても素敵ですよ」

 エルヴィンは先ほどのことなど何もなかったかのように、浴室から出たなまえを花嫁に仕立て上げていった。
 表情は変えないものの、酷く嬉しそうな様子のエルヴィンに、なまえはされるがままだった。
 ヴェールを被せられて曖昧になる視界に、鏡に映った自分を見つけるが、現実に起こっていることとは到底思えなかった。
 ふわふわと宙に浮いたような心地がしながら、エルヴィンに手を引かれて部屋を出た。


「式はこの屋敷の礼拝堂で執り行います。足元にお気をつけて」
 
 エルヴィンに言われるまま廊下を進み、気付けば階段をもう随分下りたような気がする。途中の踊り場にこのスミス家の者なのだろうか、肖像画を見つけた。金髪に碧眼の、整った顔立ちの男性だ。一瞬で見る者を惹き付ける、堂々とした立ち姿。
 目の前を歩くエルヴィンによく似た――



 階段を全て下りきった所で、重厚な扉が現れた。それを開いてエルヴィンが入るように促す。

「さあ、旦那様がお待ちです」

 室内のひんやりと冷たい空気に、なまえは背筋が凍りそうになる。それにお香が焚かれているのだろうか、甘ったるい濃厚な香りがまとわりつくように漂っていた。
 礼拝堂の一番奥、祭壇の前に人影があった。あれがスミス家の当主なのだろうか、遠目にははっきりと姿は見えなかった。

「さあ」

 エルヴィンが手を差し伸べて、なまえの歩みを促した。慣れないロング丈のウエディングドレスにつまづきそうになり、エルヴィンの手をぎゅっとに握ってそれだけを頼りに祭壇へと向かった。
 なまえの顔を覆うヴェールで視界が悪いところに礼拝堂の薄暗さも手伝って、祭壇の前に立つ男の姿ははっきりとは見えなかったが、エルヴィンよりも随分小柄で、黒い髪をした男だということは分かった。首元にクラヴァットを付けてはいるが、正装とは言い難いラフな格好のように見えた。



「遅ぇよ」

 数歩手前でその男は悪態をつきながら吐き捨てるように言った。張りつめた空気がびりびりと震えるような、威圧感のある声。それだけで、なまえの肩は恐ろしさにビクリと揺れた。

「申し訳ございません。でもほら、なまえ様はこのとおり」

 エルヴィンが自信たっぷりで言うので、なまえは急に恥ずかしくなった。夫となる人物を前にして、その姿を直視できない。

「なまえ……! 本当になまえなのか……?」

 その男に突然名を呼ばれ、両肩を掴まれる。顔を確認するように覗き込まれ、じっと見詰められるのになまえは混乱した。

「お待ちください。まだ儀式を済ませていません。そういう性急な態度が女性を怯えさせるんですよ。散々学習したでしょう?」
「チッ、さっさと済ませるか」

 掴まれた肩を急に離されて、ぐらつくなまえの身体をエルヴィンが後ろから受け止めて支えた。

「儀式って? 結婚式じゃないの? 司祭様は……?」
「大丈夫。旦那様は資格を持っており、ご本人が執り行うことができます。誰にも得ることのできない特別な力です」
「え……?」

 祭壇の前に立つその男は、聞き慣れない言語でなにやら呪文めいたものを静かに唱えている。しばらくそうしていたかと思えば、なまえの前に向き直り、そっとヴェールを持ち上げられた。
 その男の鋭いブルーグレイの瞳と間近で目が合ったかと思えば、次の瞬間には抱きしめられていた。

「やっと捕まえた、なまえ」
「……リヴァイ」

 初対面のはずなのに、誰なのかは分からないのに、なまえにはその男の名が何故か分かった。どういうわけか底知れぬ恐怖と絶望感が胸に押し寄せる。男の胸板を強く押し返して抵抗するが、びくともしなかった。

「……い、や……、嫌ぁっ」
「もう遅い、もうお前は俺のものだ」

 ヴェールごと髪を引っ張られ、無理矢理に上を向かされる。首筋にその男の薄い唇の感触が這うようになぞっていった。

「何百年待ったと思ってるんだ」
「……やっ」

 なまえは縋るようにエルヴィンに視線を向けたが、彼はいつも通りの穏やかな表情を向けていた。こうなることが分かっていたと言わんばかりに。それは目的が成就したことへの満足気な表情にも見えた。
 首筋に鋭い痛みが走ると、一気に身体の力が抜けていった。
 

(2014.11.1)
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