04

 わたしの最近の日課、朝の散歩。
早起きと、それから迷子にならないようにする目的も含めてなるべく毎朝やっている。
迷子になるのは明白なので、まずは女子寮の周りをぐるぐるするだけのコースから。そして今日はようやく灯台を目標に朝の散歩を始めるのだ。長い道のりだった。

 今日は珍しく朝霧が濃くて周りの景色が見えにくい。せっかくの朝なのに少し残念。
少しでも自分の気分を上げようと鼻歌を歌いながら歩いてみる。こんな朝早くから外にいる人はいないでしょ、たぶん。実際に今まで朝の散歩中に人と会うことってなかったし。

 ふふふん、と小さく歌っていたはずが気分が上がってハッキリとした歌へと変わっていった。こういう時に音楽プレーヤーがあったら気持ちよく歌えるんだけどなぁ。
今のわたしはさながらミュージカル女優。中学校のお昼休みもよく友達とこんなことしてたっけ。どの寮からも遠いからわたしの歌声は聞こえまい!問題なし!今日のわたしは絶好調!

次のフレーズにむけて大きくブレスをしようとした、が、しかし。

沈黙。

「……お、おはようございます」
見たことの無い制服を着ている、おそらく先輩であろう人が灯台の下にいたのだ。そしてわたしと目がバッチリあってしまった。なんで気づかなかったんだろう。いやだって霧が濃かったし。そのまま何事もなかったかのように歌を歌い続ける度胸はなかった。思い切り目が合ったのに挨拶もしないなんてのもよくないだろうし。
「おはよう。新入生か」
「は、はいっ、新入生です、あはははっ」
乾いた笑いしか出ない。そして先輩はにこりともしないのが余計にきつい。穴を掘って埋まりたいね。
「どうして早朝からこんな所にいるんだ?」
「朝の散歩をしてるだけです!」
「そうか。霧が濃いから気をつけるといい」
「あ、ありがとうございます、失礼します」

 「う、うぅ、さむい、寒い寒い寒い!」
全身がブルブルと震える。どうしてこうなってしまったんだ。急いで戻って暖かいシャワーを浴びたい。水を吸った髪の毛が異様に重たい。絞ってみるとびちゃびちゃと音を立てて水の塊がアスファルトに落ちていく。
完全に不注意だった。さっきの先輩も霧が濃いから気をつけろと言っていたのに、愚かなわたしは何も無いところで躓いて海へダイブしてしまったのだ。自力で戻れたことが奇跡かもしれない。
「どうしたんだ、そんなに濡れて」
「えと、海に落ちちゃっただけなんで気にしないでくださいハハハ」
ははは、と笑う声が震える。さっきの先輩だった。
「気をつけろと言ったはずだが」
「すみません……わたしの不注意です」
潮風が容赦なく体温を奪ってくる。そして先輩の言葉も厳しい。そりゃわたしが悪いけれど、今はいち早く体を温めたい。
「一先ずこれを着るんだ。鮎川先生は……女子寮か。女子寮の前まで同行しよう」
「そんな、上着大丈夫です!濡れちゃいますよ!それと一人で戻れるのでそんなお手を煩わせるわけには」
「遠慮しなくていい。このままでは風邪をひいてしまうだろう」
「うぅ……すみません、ありがとうございます」
なるべく、できるだけ濡らさないようにと気をつけながら貸していただいた制服を羽織った。今は人の温もりが何よりもありがたいね……。


 「ほんとにありがとうございました。ええと、制服は乾かして必ずお返しするので」
「いや、このままで構わない」
「ええっ、でもさすがにここまでしてもらったのに」
「亮?なぜあなたがここにいるの?それに澪音もどうしてここに?」
明日香ちゃん。
ぽろりとこぼした言葉に彼女自身が返事をすることは無かった。先輩と知り合いなのだろうか。というかこんな朝早くになんで外に居るのだろうか。明日香ちゃんの表情が、心做しかいつもより暗くて重い気がする。
「朝の散歩をしてたんだよ」
「俺は彼女をここに送り届けたまでだ」
「……何故濡れているの?」
「ちょっとね!あはは」
「海に落ちたようだ」
ごまかしたつもりが先輩にさらっと白状されてしまった。なんて人だ!明日香ちゃんが勢いよく肩を掴んでくる。デジャヴ。
「澪音!貴女なんて……あぁもうはやく体を温めないと。鮎川先生はきっともう起きていらっしゃるわ」
「う、うん、そうするよ」
りょう先輩?はごくごく自然な動作でわたしから制服を取り上げて明日香ちゃんとどこかへと行ってしまった。羽織るものがなくなり、改めて自分の体が冷えきっていることに再度気付く。二人のことも気になるけど、早く先生のところへ行こう。

 「おはよう、万丈目くん」
わたしの最近の日課その2、万丈目くんに挨拶をすること。
「毎日しつこいッ!さんを付けろ新入生!」
「あはは、今日も元気だね!」
もうかれこれ一ヶ月を過ぎようとしているというのに万丈目くんはまともに挨拶を返してくれない。あとわたしのことをずっと新入生、と呼ぶ。もしこのまま来年とは行かなくても半年先まで新入生なんて呼ばれたらどうしよう。もう新入生じゃないよね。新入生じゃなくなったらどう呼ぶのか少し気になるけど。

 「なんでさんじゃないとだめなの?」
「お前ほんと何も知らないんだな」
「前も言ったように万丈目さんはエリートの中のエリート、未来のデュエルキング!それになァ、万丈目さんの兄である」
「黙れ」
ぴしゃりと放たれた言葉は冷たかった。私の挨拶を咎めるようなものではなくて、本気の拒絶の言葉のように思えた。取り巻きの二人は縮こまってしまった。
「貴様もさっさと席に着いていろ」
「う、うん」

 「毎日毎日、よく懲りないわねぇ」
頬に手を添えて呆れた視線をわたしに向けるジュンコちゃん。
「これだけ澪音さんが熱烈なラブアタックをしているっていうのに……万丈目さん、手強いですわ」
「いや、ラブアタックとかそういうのじゃないけど……」
「でしたらどうしてあの殿方に構うんですの?」
どうして、と聞かれましても。
返答に困ってしまう。恋愛的に、一人の男性として好きかと聞かれたらよくわからない。お付き合いしたいかと言われたらそこもよくわからない。友達かと聞かれたらそこまで親しくない。というか一方的にわたしが親しくしているだけだ。うーん、つまり、これは、
「気になる子ほどついついちょっかい出したくなっちゃう理論!!」
後ろから何かが落ちる音が聞こえた。また声が大きかったうえに万丈目くんにきこえていたらしい。
「あれっ、ごめんね!?」
振り返って謝ったもののそっぽを向いたまましっしっと手で振り払う素振りをされてしまった。
「結局それ好きってことじゃない」
「小学生の男の子みたいね」
「えぇ〜!?なんで〜!?」
「うるさいぞ新入生!!」
「ご、ごめんなさーい!」
明日香ちゃんはおかしそうにくすくすと笑っている。なんか納得いかない!違うんだってば〜!

 「それで澪音さん、今朝は大丈夫でしたの?」
お昼休み。もう朝の霧もすっかりなくなって、気持ちの良さそうな空模様になっている。
「うん、もう今は全然平気だよ!」
「海に落ちるなんて朝から災難ね」
「生きてればそんな日もあるよ」
たぶん、と心の中で付け足す。明日香ちゃんが体調は大丈夫か、と聞いてきたので二人にも流れ的に朝のプチハプニングのことを白状せざるを得なかった。
「最近薄々思っていましたけど、澪音さんって結構やんちゃな方だったりします?」
「そんなことは……なくもない、かなぁ?」
「あるわよ。ね、明日香様。……明日香様?」
「……え?そうね、元気なのはいいと思うけど元気すぎるのも困るわ」
「明日香様、今日はなんだか上の空ですわ。なにかありました?」
「確かに……。明日香様!困ったことがあったらいつでも言ってくださいね!!」
「え、えぇ。ありがとう。でも大丈夫よ」
何かあったのかなと思ったけれど、朝のことを触れていいのかわからなくてむやみにそれを聞くことは出来なかった。

 「もうすぐテストですね、万丈目さん」
斜め向かいのテーブルに万丈目くんの取り巻きくんが腰を下ろした。
「なに、普段からしっかりとしていれば問題は無いさ。お前達もドロップアウトにならないように気をつけるんだな」
ももえちゃんが何かを喋ってくれているけれど、自然と意識は彼の方へと向いてしまう。うーん、食べる所作が綺麗だなぁ。でも野菜を避けて食べてるのがなんだか面白い。野菜だけめちゃくちゃ器用に避けてる。千切りキャベツ1本ですら許さないその箸捌きにはもはや感服してしまいそうだ。
「何をジロジロ見ているんだ新入生」
穴が空くほど見ていたのか、万丈目くんが顰めっ面でこちらを見返してきた。やっぱりなんだか嬉しくて、自然と口元が緩んでしまう。なんでもないよ、ときっとゆるゆるになっているあろうその顔でそう伝えた。万丈目くんの眉尻はさらに上がったけれど、もう何か言うことは無かった。

 三人の会話の中に意識を戻そうと三人の方に目を向ければ、もう皆ご飯を食べ終わってわたしの方をにこにこしながら見ていた。
「え、なに?どうしたの?」
「本当に澪音さんは万丈目さんのことがお好きなのですね」
「彼が近くにいると澪音って絶対そっちを見てるのよ」
「そ、そうかな!?そんなことないと思うけど」
「自覚ないの!?重症ね……」
「そうね。兄さんだったらきっと引っ掻き回すに違いないわ」
明日香ちゃんのなにかを慈しむような目はどこか遠くを見ていた。
「へぇ、明日香ちゃんお兄さんいるの?」
「……えぇ」
「今はアメリカへ留学中なんですよね、明日香さん!」
「早くアカデミアに戻ってきて欲しいですわ」
「そうね。……本当に、早く戻ってきて欲しいわ」
「そっか。お兄さんのこと大好きなんだね」
明日香ちゃんは少し間を置いてから柔らかく笑って目を伏せた。
さて、もうすぐ午後の授業だ。

 「はぁ、おわった〜」
今日の授業も全て終わった。空はもう茜色に塗られ始めている。
うーんと思い切り体を伸ばしてリラックスをする。
「澪音、寮まで戻りましょ」
「あ、ごめんね。今日はちょっと学校に残って勉強するから」
「あら、そうなの」
「なになにー?澪音残って勉強するの?えらいのね」
ひょこっと明日香ちゃんの後ろから顔をのぞかせるジュンコちゃん。みんなもうノートやペンをきっちりと片付けている。
「私達もそろそろテストに備えなければなりませんわね。お先に失礼しますわ」
「うん!また後でねー」

 「三沢くん!」
「あぁ、今日も質問かい」
「へへ、ご名答で。いいかな?」
「もちろん構わないさ 」
たまに授業で理解しきれないことがあるときにこうして三沢くんに頼っている。三沢くんは嫌な顔一つせずにわかりやすく教えてくれるので本当にありがたいのだ。
「澪音!三沢!なにやってんだよーって放課後まで教科書開いてんのかよ……」
元気よく話しかけてきた遊城くんだったけれど、机の上に開かれた教科書やノートを見たら一気に声のトーンが落ちた。先程まで寝ていたのか髪の毛が変な方向にはねているし、ほっぺに制服の跡がついている。横にいる丸藤くんも信じられないものを見るような顔をしていた。
「もうすぐテストもあるからね。遊城くんたちもどう?」
「いやー!俺は実技でどうにかするからな!」
「ぼ、僕も遠慮しとくよ……」
二人はそそくさと立ち去っていった。テスト数日前にひぃひぃ言いながら必死に頭に詰め込む姿しか見えてこないんだけど、大丈夫かな……。
「それで、今日の疑問点は?」
「ええとね──

 次第に教室はわたし達以外誰もいなくなり、二人の声だけが静かに反響するだけとなった。
「ほんとごめんね!こんな遅くまで付き合ってもらっちゃって」
「気にしないでくれ。これは僕のためでもあるからね。……そろそろ寮の夕食の時間だ。少し急いだ方がいいかもしれないな」
時計を見れば確かに夕食の時間が間際であることを示していた。
「そうだね。それじゃあまた明日!」
「寮へは一人で帰れるかい?」
「もっ、もうさすがに道は覚えたよ!?」
「すまない、冗談さ。また明日」

 九月の末、きっと本土の葉っぱが夕日みたいに染まり始める頃のとある一日だった。
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