04.薺のこころをもって

 慣れない匂い、見慣れぬ天井。サッと起き上がると、朝日が虚の顔を照らした。
この状況を寝起きの頭でゆっくりと理解し、そして絶望をした。寝てしまえばこの変な夢からは目が覚めるだろうと思ったが、夢ではなかったらしい。
昨夜の出来事を振り返る。

 虚が連れてこられたのは宿屋だった。カウンターではエイトが受付の男と話している。虚はここで待っていて、と言われたものの、居心地の悪さからかスカートの裾をいじりながらただ床を見つめていた。
「じゃあこれ、部屋の鍵ね」
すっと差し出されたそれは鍵と言われても見慣れない形をした鉄の塊だった。
まさか泊めてくれるとは思わなかったし、それにここもタダでは休める場所ではないだろう。それなりにお金がかかったはずだ。虚はもともと血色の良くない肌をさらに青くして首を横に振った。
「いいって!もう部屋取っちゃったからさ。今日は色々疲れたでしょ?細かいことはまた明日の朝にしよう」
「本当に、すみません」
「気にしなくていいから。じゃあまた明日、色々聞かせてよ。おやすみ」

 これからどうすればいいのだろう。昨日からなんとなく自分の内にあった──無意識のうちに誤魔化していたその不安は、ハッキリと言葉になって現れた。これだから朝は嫌いなのだ。
「おはよう。起きてるかい」
軽いノックとともにドア越しから話しかけられた。未だベッドの上で固まっていた虚は手櫛で乱雑に髪を梳きながら急いでドアを開ける。
「お、おはようございます」
「あはは、すごい寝癖だよ。あっちに洗面所があるから行ってきなよ」
ろくに鏡も見ずに飛び出したものだからエイトに軽く笑われてしまった。少し恥ずかしい気持ちで頭を隠すようにして洗面所へと向かうと、そこではヤンガスがバシャバシャと顔を洗っていた。
それを邪魔しないようにと後ろから鏡を覗き込むように見ると、一瞬にしてぞわぞわっ、と身の毛がよだった。自分が昨日、なぜ人に話しかける度に怖がられていたのかがよくわかった。こんなものが相手なら自分だって小さく悲鳴をあげてしまうだろう。
映っているはずの自分は、自分の目は、まるで透明なガラス玉の中に鮮血を注ぎ込んだような色をしていたのだ。なぜか瞳孔も猫のように細い。いや、爬虫類と言った方が近いかもしれない。目を両手で覆い、口から言葉になりきらない音を漏らして尻もちをつく。後ろで大きな音が聞こえたヤンガスは動きを止めて振り向いた。
「娘っ子は昨日の……。何してんだ」
「あ、あ、あの、私の目は……私の目は、何色ですか」
「赤じゃねぇのか?」
さらりと返ってきた真実に心底絶望する。そこで完全に固まってしまった虚を不可解そうに見ながらヤンガスはその場を立ち去った。
◇◆◇

 なんとか気を取り直した虚は極力鏡で自分の姿を見ないように身支度を整えてからふらふらと部屋へと戻った。


「そういえば名前を聞いてなかったね。僕はエイト。こっちはヤンガス。 昨日一緒にいた王様がトロデ王、それから……今は馬の姿のミーティア姫」
「虚、です」
「どうしてあんなところで寝ていたんだい?」
「……すみません、わからないんです」
「その前まで何をしていたのかは覚えてる?」
「覚えてないです、本当に、すみません」
「謝らなくていいよ。いきなりどこかもわからない場所に一人にされた不安はよくわかるんだ、虚」
そして区切るようにしてもう一度虚の名を呼んだ。
「……虚、昨日少し聞いたけれど、残念ながら僕たちはキミの住んでいたところはわからない」
はい、と数秒間の重い沈黙の後になんとか返事をする。その「はい」とは肯定でもなければ了承、受容するものでもない。「はい」としか返せなかった。その形式だけの二文字が限界だった。
「それで、もしよければなんだけれど。今、僕たちは訳があって世界の各地を旅をしているんだ。……あぁ、旅は始まったばかりなんだけれどね」
またエイトはもう一度念押しをするように、もしよければだよ、と確認し言葉を続ける。
「僕たちと一緒に来ない?もしかしたら、世界中を回ればキミの帰る場所が見つかるかもしれない」
森閑とした空気は決して良いものではなかった。俯く虚の表情は、エイトから見ることはできない。
「外は魔物がいるから、安全な旅とは言えないけれど……。正直、昨日の剣さばきを見ての誘いでもあるんだ。もちろんこのあと当てがあるなら気にしなくていいんだよ」
当てがあるなら。
あるわけがない。知り合いもいなければ、この世界の常識すら、基本すらわからないのだ。
「ごめん。意地悪なこと言ったね。……でも、君は選ばなきゃいけないんだ」
エイトの言うことは正しい。虚は選択しなければならないのだ。彼らについて行くか、一人でこの状況をどうにかするか。
 虚にとって後者は直接死を意味するように思えた。今まで自分には保護者がいて、その保護者に保護されることが当たり前だった。住む場所は当たり前に存在して、食事も毎日三食食べられた。生きるということ自体に困ることなど何もなかった。
「……すみません。ほんとうに、ご迷惑をおかけします。お世話に、なります」
前腕と下腿、それから頭を床につけて声を震わせた。所謂"土下座"というものだった。
「ま、待って、顔上げて!」
慌てて虚を起き上がらせるように宥める。虚の瞳は濡れていた。
「じゃあ、改めてこれからよろしく。遠慮とかしなくていいからさ、その敬語もなくていいからね」
「兄貴がそう言うならあっしも歓迎するでがす。よろしく頼むでがすよ」
おねがいします。一音一音を噛み締めるように、また頭を深く下げた。
遠慮はいらないといった直後にこの様子の虚に二人は顔を見合わせて苦笑をもらした。

◇◆◇

 「……というわけで虚もこの度に同行することになりました。私の勝手な判断です。ですが、どうしても放っておけませんでした」
「うむ、構わん。旅は道連れ世は情けとも言うじゃろう。むしろ行くあてのない娘をほっぽり出して行くほうがワシからしたら許せぬ行いじゃ」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます。お世話になります」
エイトに続いて虚が慌てて頭を下げる。それで満足したトロデは一行の出発を促した。
◇◆◇

 「その剣、随分と大きいよね。剣の種類も見たことないし」
「あぁ、えっと、うん。これは剣というか、刀、たぶん大太刀って言うので」
「最初見た時にも珍しそうなもんだなと思ったでがすよ。娘っ子のじゃないって言ってたでがすが誰のものでげすか?」
成り行きでそのまま虚が所持している大太刀。虚は昨日、自分のものでは無いと言ったが、全く見覚えのないものではない気がした。大太刀をまるで鑑定士かのようにじっくりと見つめ、また角度を変えてはじっくりと見つめる。
「あれ……ここ」
「?どうしたでげすか」
持ち手側、縁と言われる部分に不自然な跡があることに気づいた。触ってみるとすこしぺたぺたと指がくっつく。
ここで虚は確信した。

 十年ほど前。
虚は祖父の部屋で珍しく大声をあげて泣いていた。
「馬鹿者!!泣きたいのはこっちじゃわい!!」
「ごめ゛ん゛な゛ざぁ゛ぁ゛ぁ゛い゛」
「儂の命と言っても違わぬこの太刀に、こんな……このような所業を成すとは……」
「悪魔……悪魔の仕業じゃ……お前は悪魔じゃ!!悪霊ッ!!退散!!」
「や、やめてくださいお爺様!!子供にそんな乱暴をっ!」
「ぐっ……ギギィ……こんな姿になりおって……」
祖父は激昴した後、力なくその太刀───柄の部分が一面かわいらしいハートのシールでデコレーションされた───を抱きしめ撫でていた。


あの太刀だ。あの祖父の部屋に大事に飾られていた、祖父が何よりも大事にしていたかもしれない、あの太刀だ。幼き虚が悪意なく、かわいいシールを何処かに貼りたかったという理由だけで汚してしまった、あの太刀。
柄巻きは付け替えて綺麗になったのだが、縁の部分だけはシールの剥がし跡が残ってしまったのだ。

 「あぁ……おじいちゃん……」
「娘っ子の爺さんのものなんでげすか?」
「うん……」
「顔色悪いけど大丈夫?」
うん、と頷くも虚の表情は晴れない。今頃、今度こそ完全に発狂しているであろう祖父のことを考えるとこちらが気を失いそうだった。
「剣術は誰に習ったの?虚のお祖父さん?」
再びこくりと頷き、祖父が居合道の範士であること、幼き頃からその祖父に師事していたことを話した。
「へぇ。女の子なのにそんな大剣振り回せるなんてすごいなぁ」
その後も虚の緊張を解すように二人は他愛のない話をしながら洞窟へと向かった。

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