リリーは予定通り、夏休み初日に我が家を訪ねてきてくれた。1年のほとんどをホグワーツで暮らしている私にとって、まだこの家は"我が家"と呼ぶのに多少気恥ずかしく、「いらっしゃい」と招き入れる自分の声がなんとなくぎくしゃくしているような気がした。

リリーは去年と同じようにまた髪を束ねてきていた。少し切ったのだろうか? どこかさっぱりしたような気がする。それでもその顔の真ん中で輝く緑色の瞳はこの間別れた時からちっとも変わっていなかったものだから、私はすっかり安心して彼女を家に上げた。

リリーの荷物は去年よりかなり少なくなっていた。今度は途中で家に帰ることになっているので、数日分の着替えと宿題、それから今日の夕飯の食材をリュックに詰めた彼女の格好は実に軽やかに見える。

「お待たせ、イリス! なんだかおいしそうな調味料がたくさん並んでいるのを見てたら、迷っちゃって…」
「ちょ…調味料? 一体今日は何を作るつもりなの?」
「トルティーヤよ!」

聞けば、彼女はトルティーヤを生地から作るつもりらしい。簡単に材料を炒めて混ぜ合わせるだけの練習してこなかった私達に、いきなりそんな難しそうな料理ができるものかと心配になったのだが────。

────まあ、予想通り、結果は大失敗に終わった。

まず生地を薄く丸く伸ばすという作業が思った以上に難しかった。片栗粉を水で溶いた生地は、延ばせば延ばすほど手にくっつきやすくなるし、厚いまま成形しようとすると今度は中に具を詰められない程硬いパンのようになってしまう。
仕方なく、中身のサルサソースに野菜をつけ、生地に"乗せながら食べる"という新たな食べ方を発見した後、私達はトルティーヤを巻いて食べることを断念し、もさもさと失敗作のフォカッチャ生地を咀嚼していた。

「まあ…時には失敗することもあるわ」

リリーは悔しそうだった。その言い方があんまりにも実験に失敗した時のジェームズとそっくりだったので、私はつい笑ってしまい、じろりと睨まれる。

「明日は何かもう少し簡単なものにしてみようよ。知ってる? 日本の方にも同じようにお米やお魚を巻いて食べる食べ物があるらしいよ。マキズシって言うんだって」
「そうね、お米ならこのフォカッチャよりは確かに巻きやすそう」

夕食を食べた後は、一緒に夏休みの課題をやっつける。今までずっと1人で向き合ってきたので、たいして早いうちから手をつけておくことに抵抗はなかったのだが────やっぱり、2人でやるとかなり捗る。これにかけては相手がリリーだったからというのも幸いしたのかもしれない。同じ科目で、ど忘れしたところを補い合い、まるで互いを参考書のようにこき使って仕上げていく。21時を過ぎる頃には、課題の1/3は終わっていた。

「1947年のニュート・スキャマンダーの狼人間登録簿のこと、よく覚えてたわね。最近のことなのに」
「最近のことだからかな」

リーマスに関係する話題はひとつも漏らすわけがない。逆に私はリリーが1921年に起きたスニッチ最短捕獲記録のことを覚えているなんて思ってもいなかったので、かなり助けられた。

「リリーってこう見えてクィディッチ、大好きだよね」
「なあに、またポッターとお似合いとかバカなことを言い出すつもり?」
「そうじゃない、そうじゃないよ。ただクィディッチのことには詳しいなあって」
「そりゃあ、見たことも聞いたこともないスポーツだったんだもの。見てみれば面白いし…それなりに興味は持つわ」

心なしか、リリーの言い方がやけに早口になっているように聞こえた。
今までは"スネイプのことがあったせいで"ジェームズを過剰に嫌っていたリリー。でも、その原因がなくなってしまった今、ジェームズへの"理由のない嫌悪感"だけが残って彼女を少なからず戸惑わせているのだろう。

もちろん、ジェームズの態度が傲慢で嫌な奴だから、というリリーの騎士道精神に反する部分があることだって立派な理由ではある。でも、今度はその彼と瓜二つなシリウスと私が付き合い始めた。シリウスのことは嫌いでありつつも、私の手前なんとか彼らにだって認められるべきところがあるはずだと、彼女なりに思考錯誤してくれているのはわかっていた。

「前から気にはなってはいたんだろうね。ほら…よく衝突してたからさ。衝突するってことは好意なり悪意なり、相手にそれだけ関心があるってことだからね」

去年のことだっただろうか。いつからジェームズはリリーのことを好きになったんだろう、と漏らした私に、リーマスがそう言ったことを思い出した。
理由がどうあれ、相手のことを気にせずにはいられないからこそ衝突するのだと。まだその時はリリーに"悪意による関心"があったからこそ、ああしてしょっちゅうジェームズとぶつかりあっていたわけなんだけど…。

もし、その"悪意による関心"が薄れてきた時、彼女は"何もかもが今まで通り"のジェームズとどう接するのだろうか。無視? それとも仮面を被って当たり障りのない対応を取る? それとも────その悪意が、何か別のものによる関心に移り変わることも、ある?

「ジェームズ、きっと今年はキャプテンになるんじゃないかなあ」
「あの自分勝手な選手に一体誰がついて行くっていうのよ。私が箒ならまず彼を乗せること自体お断りだわ」
「ふふ…まあ気持ちはわかるけど、キャプテンにも色々いるしね。1人ひとりに気を配って、全体を見ながら底上げしてくキャプテンもいれば、自分のスーパープレーで味方の士気を勝手に上げて、わけのわからないうちにチームを強くしていくキャプテンもいるし。後者の在り方なら、ジェームズにはピッタリだ」
「まあ…うん…そうね…」

とっくに彼の実力を認めているのに、まだ心が認めたがっていないんだろう。ムキになってジェームズを嫌おうとしているリリーの姿がなんだか愛らしく見えて、私はここでも笑ってしまった。

ちなみに、翌日に作ったマキズシは、今度こそと思ったのにまたもや失敗に終わってしまった。
まずお米に酢を混ぜるという概念がよくわからない。パサパサとしたお米に酢を掛けると、べちゃべちゃした見ただけでおいしくないとわかる謎のゲルみたいなものができてしまう。更に私達に生魚なんて捌けるわけがないので、予め焼かれていた魚を巻いて食べてみたのだけど…これが…なんともいえない味なのだった。苦味と臭みと酸味を、無理やり詰め込んで胃の中で混ぜている感じ。日本人はこんなものを好んで食べているのだろうか。

「やっぱりダメね…初心に帰らなきゃ。明日はこの2日を耐え抜いたご褒美に、マッシュポテトとステーキでも焼きましょう」

リリーでさえこんなことを言っていた。

そうして、矢のような2週間はあっという間に過ぎてしまう。

「あーあ、明日には帰らなきゃいけないなんて。もっと夏休みが長かったら良かったのに」

リリーは家の都合で、明日には一度帰って来いと言われてしまっていたらしい。こちらはこちらで明日から悪戯仕掛人を招くことになっていたので、色々な面から考えても彼女がここに滞在していられるのは今日が限度になっていた。

狭いベッドに2人で入りながら、最後の思い出を語り合う。

「ステーキも、せっかく良いお肉を食べるならもう少しランクの高いものにすれば良かったわね」とか、「魔法薬学のレポート難しくなかった? リリーがいなかったらもう私ヒステリー起こしてたかも」とか、「8月に入ったらOWLの結果が届くのよね。なんだか今から緊張しちゃうわ」とか。

たった1ヶ月。それが過ぎれば、またリリーとは毎日一緒にいられる。
でも、この2週間────全く魔法を使わずに、まるで本当の姉妹みたいに過ごせたこの時間は本当に楽しかった(去年も同じようなことを思った気がする)。

寂しいな、卒業しても、リリーとはずっと仲良くしていたいな。
喋っている間に寝入ってしまったリリーの子供のような寝顔を見ながら、刻々と差し迫る卒業の日のことを思う。

まだ卒業するには2年ある。でも入学した時にはまだ"7年"あったものが、もう"2年"にまでなってしまっている。
時が過ぎるのは早い、なんて大人みたいなことを言いたくはなかったけど────でも、私ももう今年には成人してしまうんだ。

自分のこの先がどうなるかなんてわからない。外の世界では戦争が起きていて危険に満ちている、とは聞いたけど、マグルに紛れて過ごしている限りそういった凄惨な話を聞くこともほとんどなかった。新聞の隅で、不審な死の報道が小さく語られているだけだったのだ。おそらくそれらこそがヴォルデモートや死喰い人のやったことなのだろうとは思うものの、どこか遠い国のことのように思えてしまって、いまいち恐怖が実感を伴ってはくれない。

日刊予言者新聞ももちろん購読しているけど、こっちに至っては毎日のように大見出しでやれ誰が死んだだの誰が拉致されただの、今度は逆のベクトルで実感の湧かない辛いニュースが相次いでいた。

世界はこんなに穏やかで幸せそうなのに、一枚壁を隔てた向こうでは毎日誰かが死んでいる。

本当はもっと深刻に受け止めなければならないんだろう。
本当はもっと、こういったニュースを身近なものとして捉えなければならないんだろう。
明日は我が身だ。いつ新聞に私や────リリーやシリウス達の名前が載ったっておかしくない。壁の向こう側では今、そういうことが起きている。

それはわかっているつもりだった。

でも、私の人生はあまりにも幸運に恵まれすぎていた。
目を閉じても思い返されるのは、友人の死体や容赦なく飛び交う呪いではなく────ホグワーツの温かい食事と、ふかふかのベッドと、そして退屈な毎日にほんの少しの刺激をもたらす"ちょっとした冒険"だけなのだ。

「新聞に書いてあることが全て正しいとは限らない。与えられた情報の中から真実を見つけ出すのは難しいことなんだ。イリス、だからおまえはそのために、たくさん勉強をしなければならないんだよ」というお父様の────懐かしい言葉が蘇る。
今にして思えば、その教えは正しいものだったのかもしれない。

私が勉強をして得た知識なんて、新聞に書かれていることを全部真に受けて考えてみた時には、どれも役に立たなさそうなものばかりだった。だって一体誰が、死の呪いをかけられた時に"溶けない雪をチラチラと輝かせる"魔法でそれを跳ね返すっていうの?

本当に、世の中ではこんなにも辛い出来事ばかりが続いているんだろうか。
だって隣で眠っているリリーは紛れもなくリリーなのに…ある日突然そのリリーの顔が剥がれて、死喰い人の顔に変わっていました、なんてことが本当にありえるんだろうか。

誰も信じられない暗黒の世界。

今の私には、まだ少しばかり難しい現実だと思った。

そうこうしているうちに、だんだんと私の元にも睡魔が訪れる。
去年の進路指導で"不死鳥の騎士団"に入りたいなんてポロッと言ってしまったがために、そして現実主義者のシリウスと一緒にいすぎてしまったがために、自分の頭がいかにお花畑状態になっていたかを噛み締めたまでは良かったが、一体だからといってこれからどうしたらはわからないままだ────そう思いながら、重い瞼を閉じたその瞬間だった。

ブオーン!!!!

世界中の人を叩き起こすのではないかと思われるほどの爆音が辺り一帯に轟き渡り、私とリリーはガバッと身を起こした。反射で杖を取り、使ってはならないとわかっていながら未知の音の出元を探ろうと窓から外を眺める。

「ねえ、今の…」
「うん…なんだかまるで…」

バイクがエンジンをふかした音みたいだ。

もちろん、わざとバイクの音が大きく聞こえるように改造している人が多いことはわかっている。時々ここいらでも週末なんかにそういったヤンチャな人達が楽しそうに近所を騒がせているくらいだ。

でも、今のはまるで音が空から降ってきたようだった。
あんないつもの"遠くを走るバイクの轟音"なんていうレベルじゃない。ここはアパートの4階、耳元で鼓膜を破られるような、すぐ傍の空気中からそんな音が聞こえるはずないのだ。

いくらなんでも空を飛ぶオートバイなんて、あるわけがない。
それこそ、魔法の掛けられたオートバイでもない限り。

そっとカーテンを開けて、杖を離さないようにしながら2人でそっと窓を開ける。

「あ、悪い、エバンズもいたのか」

────そこには、確かに人がいた。

「シ────」

空飛ぶオートバイに乗って、こちらをニヤニヤと見つめる、月明りのよく似合う青年が、1人いたのだ。

「シリウス!」

シリウスは、これまた何も変わらない笑顔で私達を見ていた。

「麗しのプリンセスを迎えに来たぞ」



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