8月の18日、予定通りリーマスは一足先に家に帰ることになった。
去年は事情を知らないせいで参加できなかった私も、今年は前日の晩の"会合"にお呼ばれしていた。

「下準備は順調に進んでる。ホグワーツに戻ればすぐ調合を再開できるぞ」と、シリウス。
「僕はまたクィディッチに引きずり出される日が続くんだろうな…。ハービーのやつ、キャプテンになったって手紙をこの間寄越してきたんだけど、人が変わったようだったんだ。前はあんなに温厚だったのに、今じゃ連続優勝杯獲得のためなら、授業さえ全部練習時間に充てるとか言ってる」と、ジェームズ。
「僕には何ができるかな…」と、ピーター。
「何か必要な材料とかはあるかい? 調達できるものがあれば僕、進んでやるよ」と、リーマス。

それぞれがそれぞれのやり方で動物もどきの研究に専念していることを口にする。
とはいっても、現状を公平に見る限り、シリウスしかまともに動けていないと言う外ないんだけど。彼は古い教科書のような本を開きながら、「今この辺まで進んでる。学期末には一応文言通りの色になってたから、学校に戻る頃にはこっちの…ピンク色の煙を出してるはずだ」と3人に説明していた。

「その教科書、どこから持って来たの?」

とてもホグワーツの蔵書とは思えない、ところどころ破れている黄ばんだ本を見て、好奇心に負けた私はつい横から口を挟む。

シリウスは「僕の家」とこともなげに答えた。
なるほど、伊達に7世紀の歴史を重ねていないというわけか…。

「まあ、伝統もたまには役に立つな」

表紙の文字など、ほとんど擦れて読めなくなっている。何よりその内容はあまりに専門用語が多く、行程も眩暈がするほど細かく書きこまれているものだったので、私は見た瞬間視界がチカチカと光ったような錯覚に陥ってしまった。

まずそもそも必要な材料が多い。次に大鍋に入れる前の下準備が多い。だってこれ、下準備ひとつとっても、特定の材料同士を正確な分量混ぜ合わせ、粉末状にしたり、完璧な混合液を作ったりしなきゃいけないんだから────なるほど、必要の部屋にあれだけの小鉢が広がっていたのはそういうわけか。
そして更に、いくつもに分けられた下ごしらえ済みの材料を、適切な手順で適切なタイミングを計りながら混ぜ合わせ(これがまた"15秒後"のものあれば、"2日後の全く同じ時間"など、めちゃくちゃな指定ばかりだった)、ようやく鍋の中に入れる用意が整う。

鍋に入れた後も一苦労だ。なんと杖で一定の呪文を唱えながら攪拌しなければならないだけでなく、その掻き回し方までも細かく指定されている。30秒で1回時計回り、それを2回繰り返した後、今度は2分かけて逆時計回り────。

「教科書から一瞬も目が離せないね、こんなに細かく指定されてたら」

道理で動物もどきのなり方が図書館に置いていないわけだ。こんなものがあったところで、何の参考にもならない。天才型のシリウスやジェームズならこの内容でさえも一回で理解できたことだろうけど、優等生ぶりっこの私にはあまりに難しすぎた。

「流石に緊張の連続だよ。材料は希少価値の高いものばかりだっていうのに、一度ミスると全部イチからやり直しになりかねないんだ」
「はー…怖…」
「でも、その分他のどんな勉強より面白いけどな」

…彼らのこういうところ、素直に尊敬する。
教科書を一通り眺めるだけでその内容を完璧に把握できてしまう彼らにとっては、きっとこのくらい難解な課題の方が余程やる気が出るんだろう。

「わかってくれたか? 僕達がしょっちゅう必要の部屋に行ってた理由」
「うん。さすがに秒単位で作業を指定されてたら離れられないよね、なかなか」
「そう。数時間単位、あるいは数日単位で放置できる段階までは一気に進めないといけないから、マジで夕食後の時間が肝要だったな」

なるほど、それで夜の外出が目立っていたのか。

「ところで、来学期からはイリスにも少し手伝ってほしいんだけど────」

ふむふむと感心していた私は、軽く付け加えられたシリウスの言葉にぎょっと肩を跳ねさせてしまった。
私が? こんな重要な作業を?

「えっ、私にできること、ある?」

そりゃあ、何か助けになれることがあるなら、なんだってしたいと思っている。
ただ、さっきシリウスも言った通り────材料の希少価値や調合の複雑さを考えると、あまり下手に手を出さない方が良いような気もしていたのだ。
それまで身を乗り出して魔導書を眺めていたのに、一瞬ですっかり及び腰になった私(声も裏返ってしまった)。しかし、シリウスは至極真面目な顔をして頷いた。

「あるある。今までは下準備とか、鍋をかき混ぜるだけとか…とにかく単調な作業ばっかりだったから、正直誰がやったって同じことだったんだ。でも、これからは本格的な"調合"の行程に入る。その時、今まで通り鍋を混ぜ合わせる作業はそのままに、新たに呪文を唱える人が必要でさ」
「それなら僕が────」

リーマスが身を乗り出して申し出てきたけど(きっと自分のための調合だからと責任を感じてるんだろう)、シリウスが小さく首を振った。

「いや、正直これについてはイリスの方が適任だと思う。…まあちょっと2人とも見てくれ。このページが、これからの課題だ」

指し示されたページを、リーマスと2人で覗き込む。
そこに書いてあったのは、薬の成分を"一部変える"呪文だった。最初に投入した2種類の薬剤で一度化学反応(仮に化学反応@とする)を起こし、その後魔法で中身の成分を一部変えることにより、別の化学反応Aを起こす。そこで即座に新たな種類の薬剤を投入することで、更に化学反応Bを生み出すという…見ているだけで頭の痛くなるような文章が書いてあった。

しかも化学反応Bが生じることによって、本来均衡を保つべき薬剤成分に偏りが生じてしまうため(均衡を保つべきって何? 偏りって何?)、10分も放置すれば液体であるべきその薬は凝固してしまうらしい。だから物質の平均化と薬の液状保持のため、"一定の薬剤成分の分離呪文"と、"増加した化学物質を一定量消失させる呪文"をかける必要があるんだそうだ。…これを化学反応Cと仮定しようとしたところで、そもそもこれを化学反応と呼んで良いのかどうかすらわからなくなってしまった。

「…う……」
「…そうだね、私が引き受けます」

こんな複雑な魔法をそんな簡単に分類して良いものかはわからないが────これは、ごくごく身近なジャンルに分類するなら、"変身術"と"呪文学"の応用だ。驕りたいわけではないが、私がこの人達に何か勝てる分野があるとすれば、その2科目がぴったりと当てはまる。
大切な作業の肝心な場面で自分の力が試されるのだと思うと怖いけど、彼らが私を信じて頼んでくれるというのなら、私もせめて、自信のある顔くらいは返したいと思った。

「これが呪いの類ならリーマスに頼んでも良いんだけどな。イリスの変身術と呪文学は異常なレベルで高い。僕は誰がやるよりイリスに任せた方が良いと思ってる」
「シリウスに一票」
「う…誉れ高いけどプレッシャーが重い…」
「大丈夫だって、失敗したらまたピーターが材料をくすねてくるから」

どうやら、そういったちょこまかとした作業はピーターの役割らしい。そういえば去年、ハニーデュークス店の倉庫からホグワーツへと続く抜け道を発見したのもピーターだったことを思い出した。彼は目や鼻がとても利くので、普通の人なら見落としてしまうような穴も簡単に見つけ出してしまう────ということは逆に、誰にも見つからずにあれやこれやと行動することも容易ってわけだ。シリウスの言葉を受けたピーターは、「うん、僕、やるよ!」と私の背を力強く押してくれた。

「ごめん、みんな…。肝心の僕が一番役に立ってない…」
「それは言いっこなしって話だったろ。君は僕らに大冒険のチャンスをくれた、それだけで十分なのさ」

今までずっと部外者だった私までもが加担することになったところで、いよいよリーマスがしゅんと項垂れてしまう。しかし、すぐにジェームズがキラキラとした笑顔で彼の曇った表情を吹き飛ばした。こういう時、彼の裏表のない言葉は相手を救う一筋の光になっているのだろう、と思う。
リーマスは困った顔をしながらも、おずおずと笑ってくれた。

「────ありがとう。…ごめんね、イリスのことも巻き込んで」
「ううん。動物もどきになる気はないけど、秘密を暴いちゃった責任は取るって決めてたし」
「そうだそうだ、何も言わずに乗り込んできやがって」

肩をすくめる私に乗っかって、シリウスがわざと怒ったような声を出す。

「だってあれは────」
「えっ、イリス、動物もどきにならないの? てっきり僕らと一緒に新しい遊びに参加すると思ってた!」

反面、ジェームズは本気で驚いているようだった。危うく再び喧嘩になりかけたシリウスと私だったけど、今更すぎる彼の言葉に拍子抜けしてしまい、お互い口を閉ざす。

「…あのね、ジェームズ、私はいくらだってあなた達の"味方"をするけど、"悪戯仕掛人"にはならないよ」
「なんでさ」
「優等生だもん」
「ここまで来て優等生ぶりっことか、アリかよ?」
「アリです。ちょっと離れたところから4人が楽しそうにしてるのを見てるだけで十分。その成果を見せに来てくれるだけで、私は楽しいんだ」

前提に立ち返ってほしいのだが、私は決して肉体派ではない。リーマスが狼であろうがなかろうが、深夜に男子4人の中に混ざってプロレスをやろうぜと言われて、私が承諾すると思う?
全力で手は貸すけど、自分までもその中に入ろうとは思わない。前にも同じようなことを言ったかもしれないが、私は4人が"4人組でいてくれること"が何より大事なことで、安心できることだと思っていた。その輪の中に、自分が入ろうとは思わない。

「なんか…こう、あれだよね。イリスって…母親みたいっていうか」
「ベビーシッター?」
「そんな感じ」

…相変わらず褒められているのか微妙なラインの評価をもらいながら、その日の夜は解散となった。

そして翌朝、リーマスを見送った後────。

「さて、諸君!」
「レポートなら見せません」
なぜ!

またもやジェームズの部屋に集められた私達。もったいぶった言い方でジェームズが両手を広げだしたので、今年は面倒なことになる前に打ち切っておくことにした。

「なぜ、じゃないよ…。3日あれば終わるんでしょ、3日かけて終わらせなよ」
「頼むよイリス! 少しでも時間を浮かせて、学校に持ち込める薬草の準備をしておきたいんだ。石を粉末状にまですりおろしたり、薬草を均等に切り刻んだり────」

そういえば、去年も早々に(私のレポートを利用しながら)宿題を終えた後、彼らはどこかへ引きこもっていたっけ。あの時は一体何をしているんだろうと不思議に思っていたけど、今思えば彼らはあの時から、たった1人の友達のために、持てる時間の全てを使っていたわけだ。

────そんなこと言って、私が来る前日まではどうせまた遊んでばっかりだったくせに。去年のことを思い出すとなんとなく釈然としない気はしたけど、リーマスのためなら仕方ない、と私は再びレポートをバシンと床に叩きつけた。

「シリウスはハニーデュークスの新作チョコ詰め合わせ。ジェームズはスクリベンシャフトの虹色の羽根ペン。ピーターは…とりあえず課題を今度は1週間で終わらせて…」
「去年は対価なんてなかった!」
「それにピーターだけ1週間も猶予をもらった上でノーペナなんてズルいぞ!」
「ぼっ…僕、それでも終わるか自信ない…」

三者三様の文句が返ってきたが、私は彼らをキッと睨みつけると、レポートを再び自分の腕に抱え込んだ。今年は去年より課題の量が3科目分増えている。流石にシリウスとジェームズでも、これを終えるには5日くらいかかるだろう。
それが、私のレポートがあることで2日に短縮できるとしたら? ほら、少しでも時間を浮かせたいんじゃないの?

「わかりました…女王様に従います…」
「よろしい」
「おい、誰だ? 1年生の時にこいつを弱虫で腰抜けだって言ったの」
あなただよ、シリウス」

人間、3年も経てば随分と変わるものだ。まあ…そうなれたのは他でもない目の前のこの人達のお陰なので、あまり強くは言えないんだけど。

────そうして結局今年もなんとか全ての課題を終え(シリウスとジェームズは本当に2日で終わらせ、再び動物もどき薬の下準備の続きを行っていた)、私達は9月1日、キングズクロス駅へとやってきた。

フリーモントさんとユーフェミアさんに何度も何度も別れを惜しまれながら、私達はホグワーツ特急へと乗る。

いつものように、空いているコンパーメントで待つこと────約数分。

「イリス、久しぶり!」

赤髪のリリーが、花のような笑顔で現れた。
このひと夏で、また一段と美人になったなあ────なんて思って、ジェームズの告白を思い出してしまう私。

「手紙、読んだわ! あなたが一人暮らしを始めたって聞いて、私すっごくびっくりしたの! ねえ、夏休み前に言ってた"計画"って、そのことだったのね? もう、あなたって本当に勇気があると思うの!」

お母様の元を離れた話は、手紙でリリーに伝えていた。その時もこんな風に熱烈な返事をくれたけど、目の前で会ってもまだ同じ熱量を保てているのが純粋にすごいと思う。

「あなた、どんどん変わっていってるのね、本当に! こんなこと言っちゃ失礼だけど、1年生の時じゃとっても考えられなかったわ…。私、あなたのその変わろうという姿勢、本っ当に尊敬してるの! ねえ、ロンドンのどのあたり? 今度の夏休み、少しだけ遊びに行っても良い?」

変わろうとする姿勢を尊敬してる────シリウスも確か、同じことを言ってくれていたなあ。あの時は薄暗い部屋の中でシリウスの顔が思ったより近いところにあって────ちょっとそわそわしてしまったんだっけ。

「うん、もちろんだよ」

リリーに快く笑顔を返しながら、なぜか私の頭の中には彼の綺麗な黒髪と灰色の目が残り続けていた。

ジェームズが浮ついた話をするものだから、なんだか私まで感化されたような気分だ。
シリウスに特別な気持ちなんて、持つわけがないのに

そんなことより今は、目の前のこの可愛い大親友にどうやってジェームズの良いところを伝えていくか、考えていかなきゃ。今年の課題はそれに尽きる。



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