2週間後。
今日は満月。天気は晴れ。風もなく穏やかな日だ。

その日はたまたま変身術の授業がある日だった。去年マクゴナガル先生が言っていた通り、消失呪文を課題として出される。

「この呪文は物体などを分子レベルにまで分解し、文字通り"消失"させます。物体を別の場所へ移動させる"移動呪文"や、不可視にするだけの"目くらまし呪文"とは根本的に異なっているため取り違えないように。さて────私は昨年度末、この魔法をピーブズからの妨害に対し俊敏かつ的確に唱えた生徒を見ました。ミス・リヴィア、ここにあるコップの水を皆さんの前で"消失"させてください」

ジェームズが「ひゅーっ」と小さい声で言い、シリウスが声を殺して笑う脇を通り、私は教壇まで歩いて行った。
マクゴナガル先生に見られていると思うと緊張するけど、ピーブズを相手にしていた時よりはずっと心に余裕がある。私は深く息を吸い、「エバネスコ」と唱えた。

水は、一滴残らず綺麗に消え去った。

「素晴らしい、グリフィンドールに10点。詠唱と杖の動きはリヴィアがやってみせた通りです。参考は教科書の15ページにありますから────皆さんも同じように、目の前の水を消失させなさい。では、はじめ」

マクゴナガル先生がそう言うと、生徒全員の前にぽんと、水の入ったコップが現れた。
生徒達が一斉に「エバネスコ!」と唱えては「水の量、ちょっと減ったと思わない?」などと囁き合っている。

私の隣にいるリリーは4回目で水を完璧に消した。
前方のシリウスとジェームズも、もうコップを空にしている。

マクゴナガル先生は私達のコップを見るとひとつ頷き、再びコップを水で満たした。

「次の中身は"忘れ薬"になっています。対象が魔力を持っている場合、あるいは物理的に大きな物体の場合、その魔力の強さや大きさに応じて難易度も上がっていきます。その調子で消失の精度を上げなさい」

結局、授業が終わるまでに、私は予備の椅子を、リリー、シリウス、ジェームズはそれぞれ大皿を消失させることに成功していた。
通路を挟んだリーマスは、その時点で忘れ薬の消失に成功していた。

「本日の時点で忘れ薬まで消失させた生徒は、要求水準を満たしていると考えてよろしい。今回忘れ薬あるいは水を"消失"させられなかった生徒は、来週また同じ課題を課しますので、練習しておくように。来週までに全員が忘れ薬を消失させられるようになったら、今度は"出現呪文"────原理は多少"消失呪文"と異なりますが、対象を目の前に現す呪文へと順次移行します。遅れが発生した生徒には補習を課しますので、各自復習を怠らないように。それでは、授業を終わります」

マクゴナガル先生が教室を出て行った後、教室は不満の声で溢れ返った。

「僕、絶対補習だよ…」

その中にはピーターもいる。彼は一度水の消失に成功していたものの、その後マクゴナガル先生の視線が飛んでくるなり、異常なまでに緊張しコップを爆破してしまったのだ。
隣のリーマスが「僕も結局1回しか消失させられなかったよ。一緒に頑張ろう」と声をかけている。

────やっぱり、今日のリーマスは体調が悪そうだ。生理前の女子と同じ感じ。顔が青白くて、まぶたが腫れぼったくて、不健康そう。

「ねえ。私達、いつも変身術の授業があった日には一緒に復習をしてるんだけど、今日はピーターも混ざる?」

だから、私はそんな体を装って2人に話しかけてみることにした。
予想が正しければ、ここでリーマスにはきっと────。

「ごめん、イリス。今日はちょっとあまり体調が優れなくて、授業が全部終わったらマダム・ポンフリーのところに行くことになってるんだ。また週末に教えてもらっても良い?」

────案の定、断られる。

「うん、もちろんだよ。それより体調は大丈夫? 今日は厳しい先生の科目もないし、あまり良くないようだったら、授業に出ないで早めに医務室に行っておいたら?」
「ううん、そこまでひどいわけじゃないんだ。ただ元々の持病で、ちょっとした薬が必要だから、いつも夕方頃に貰いに行ってて────」
おいおい、聞いたか、シリウス」
「いや、聞き間違いかもしれないぞ。我らが誇る優等生がまさかサボりを推奨するなんて」

後ろから、リーマスの声をシリウスとジェームズがカバーする。

…これも、予想通り。

リーマスがもし私の考えている"特性"を持っていたとして、それを悪戯仕掛人が知っているとしたら、当然この2人はどこかで私達のこういう会話を妨害しに来るだろうと思っていた。だから、リーマスには心の中で謝りつつ、心配しているフリをしながら会話を続けてみたのだ(心配していることは嘘じゃないけど)。

「そういうことなら、次の薬草学の時間、僕らちょっとお腹が痛くなりそうだから、スプラウトにそう言っておいてもらえない?」
「もちろん。それにそこまでひどいなら私、付き添うよ。さあ、一緒に医務室に行こうか?
「はは、一本取られた!」

元気いっぱいの様子で、シリウス達はリーマスを連れ、先に温室の方へ行ってしまう。
すれ違いざま、ピーターが「あ、あの…良かったら、今晩僕だけでも教えてもらえないかな…?」とこわごわと尋ねてきた。

あっ、ごめん、リーマスのことで頭がいっぱいで"2人に"声をかけていたことを忘れてた。

「もちろん。どこまで役に立てるかわからないけど…後で談話室で会った時にでも、ちょっとやってみよう」










その日の最後の授業は魔法薬学だった。
今日の課題は"縮み薬"。行程はかなり面倒だったものの、リリーがたまに「あ、それ、萎び無花果って根元から剥いた方が綺麗に向けるの」などと教えてくれていたので、順調に作業を進めることができていた。

「ほっほう、ミス・エバンズとミスター・スネイプは今日も一番の出来だね!」

魔法薬学はスリザリンとの合同授業。これはかなり時間が経ってから知ったことなんだけど────魔法薬学の天才は、なんとリリーだけではなかったのだ。
まさかのスネイプも、魔法薬学において桁外れな才能を持っていた。それが2人の交流と関係あるのかどうかは知らないけど、スラグホーン先生はいつもこの2人のことを褒めている。実際私の目から見ても、いつだってスネイプの大鍋から立ち上る湯気は教科書通り…そして教科書の記述以上に美しい色や透明度を誇っていた。

2人の200点の出来の薬に比べたら、私の薬はいつも100点。それでも満点のはずなのに、すぐそばに自分よりずっと上手な調合師がいるから、おちおち喜んでもいられない。

とはいえ────今日ばかりは、そんなことも気にならなかった。
私にはこの授業で、やらなければならないことがある。

事を起こしたのは授業終わりの10分前。

「では、今の時点でできている薬を小瓶に詰めて提出すること。ほうほう、ミス・リヴィア、ミスター・ポッター、ミスター・ブラックも完成までしたようだね。まっこと結構。採点結果は来週伝えるから、提出した後は各自片づけて帰ってよろしい! 変身術の授業で消失呪文は習ったね? そろそろこの授業でも、自分で作った薬を処理するところまでみんなに任せよう! もちろんまだ習得していない者がいれば遠慮なく手を挙げなさい。私が消して回るからね────」

いつものようにゆっくりと小瓶に縮み薬を詰め込み、列の後ろの方に並んで小瓶を提出する。自分で、あるいは先生にお願いして他の生徒が薬を片付ける間、私はわざと少しずつ動作を遅らせて────本当はあんまりこういうことしたくなかったんだけど────クラスの半分くらいが薬を消し去ったところで、思い切って大鍋に指を突っ込んだ。

「痛っ!」

直後、針を刺されたような痛みが指先に走った。慌てて鍋から手を引っこ抜くと、100点の薬は見事に効果を発揮し、私の人差し指を丸ごと枝豆くらいの大きさにまで縮めてしまった。

「ミス・リヴィア、どうしたのかね!」

私の声を聞きつけて、スラグホーン先生が飛んでくる。

「すみません、ちょっとぼうっとしていたら薬を間違えて指に引っかけてしまって…でも、杖腕の方ではないので大丈夫です────ちょっと、後で医務室に行ってきます」

言いながら、健康な方の腕で薬を消し去る。

「うむ、そうだな…肥らせ薬ならこちらでも調合できるが、確かに正確な"治療"をしようと思ったらそれが良いだろう。さあ、残りの材料はこちらで処理しておくから、早く行きなさい。それにしても、君もそんなうっかりをするとはね…。何か悩み事があるなら、いつでも相談してくると良い」

スラグホーン先生は優しくそう言ってくれた。気に入られておいて良かったと思いながら、「ありがとうございます。すみませんが、失礼します」と言って立ち上がる。

「イリス、大丈夫!?」

いそいそと部屋を出て行こうとした時、後ろからリリーの声が聞こえてきた。

「うん、痛みは一瞬だったし今はなんともないよ。縮んだままじゃ困るからマダム・ポンフリーに治してもらってくるね」

そう答えて、私はわざと回り道をし、時間を稼いでから────医務室へと向かう。

リーマスの話では、「授業が全部終わったら医務室に行く」とのことだった。
もし彼が本当に"ただ体調が優れない"だけなのであれば、これだけノロノロと行動しているのだ、授業後に医務室へ直行したはずの彼とそこで会うことができるはず。

でも、もし私が医務室に行っても、治療中(縮み薬の治療には15分程かかると事前に調べておいた)に彼と会わなかったら────事情はどうあれ、リーマスは"嘘"をついたということになる。

正直、こういうやり方で友人のことをこそこそ探り回ることが正しいのだろうかと、何度も自分に尋ねた。ダイレクトに尋ねても答えをはぐらかされるということは、「知られたくない」と明言されていることと同じだ。そんな秘密を勝手に暴かれて、良い気持ちになる人はいないだろう。

でも────リーマスは、私にとって大事な友達だ。勉強を教え合って、シリウスとジェームズの悪戯に呆れ笑いをして、ピーターの宿題を一緒に手伝う"対等な友達"なんだ。
そんな友達が、あんな────あんな悲しい生き物にさせられて、魔法界からの差別に遭って、痛みと飢えに苦しみながら生きているなんて想像することはとても苦しくて────。

彼のために何かができる、と確信しているわけじゃない。
ただ私は、変わらず彼の友達でいたかった。
病気がちな魔法使いか、狼人間か────真実はどちらだって良い。
私は、彼を疑いたくなかったのだ。

狼人間だといっそあっけらかんと言われてしまえば、「ああ、そうか」と納得して、満月の晩に少しでも苦しまずに済む方法を一緒に考えられる。
病気がちなだけだと言われたら、やっぱりどうしたら楽になれるかという話を相談できる。

でも、どっちなのかわからない…彼がどんな立場で、どんなステータスを持っていて、どんな気持ちで満月の晩を過ごしているかわからないままでは…私も、彼が憔悴する様を見て戸惑い続けてしまうような気がした。"放っておいてほしい"という今の彼の願いを、それこそ放っておけなくなってしまうと思ったのだ。

私が欲しいのは真実。それだけで良い。
それでさえ深入りしすぎだという自覚はある。でも────リーマスはここに来て初めて友達と呼べるようになった人達のひとり。目の前に問題があることを察せられて、目を瞑れという方が無理な話。私は────私の大事な人が笑顔でいられるようにいつだって全力を尽くす人間でありたいと、自分で決めたばかりだった。

───だからこんな探偵のような真似事をしてしまう代わりに、何を知っても最後まで黙っていようと自分に誓った。
これは人に言って良い話なんかじゃない。私が疑問を持っていることも、それを探ろうとしていることも、そしてたとえ真実に辿り着いたとしても、その一切を────リリーにでさえも、絶対に話さないと決めている。

疑いたくないだけなら、それが自分にとって納得できる形で収まれば良い。
そう考えながら、医務室へと行く。

医務室には、鍵がかかっていた。

『外出中 10分程で戻ります』

「────…」

マダム・ポンフリーは何をしているんだろう。中にリーマスはいるのだろうか。それとも────本当に医務室へ行ったリーマスを、どこか"安全な場所"に連れて行っているのだろうか────?

10分後、マダム・ポンフリーは時間通りに戻って来た。

「どうしたんですか?」
「すみません、魔法薬学の授業で指に縮み薬を掛けてしまって」
「あら、ちょっと見せて…。ええ、そうですね、このくらいなら15分もかからずに治るでしょう。待たせてごめんなさいね、さ、中へ入って」

────医務室のベッドは全て開放されていたけど、その中にリーマスの姿はなかった。










10分後、すっかり元通りになった指を何度も確認しながら、私は談話室に戻った。
談話室にいる同学年の生徒はリリーだけ。

「大丈夫だった?」

どうやら私を心配して待っていてくれたらしい。それまで(今年は7年生になった)監督生のミラと楽しそうに喋っていたところを、私が戻って来るなりパッと立ち上がって、心配そうな顔で駆け寄ってくる。

「うん。完全に戻ったよ。心配かけてごめんね」
「ああ…あなたが魔法薬を被ってしまうなんて…何か心配事でもあったの?」
「ううん、ちょっと考え事してただけ。明日、防衛術の授業があるでしょ。水魔を扱うって聞いてたから、どんな授業になるのかなあって頭の中で呪文を復習してたら、つい」
「本当に勉強熱心だなあ、イリスは」

後ろからミラが感心したように言う。私は「ありがとう」と笑いながらさりげなく談話室を見回し、友人達の姿が見えないかと探した。

「リリー、ところでピーターを知ってる? 後で消失呪文の復習をする約束をしてたんだけど」
「ああ、ペティグリューならポッター達と一緒よ。ちょっと急用があるからって…こんな時間に何の用があるのかは知らないけど、あなたに謝っておいてほしいって伝言を預かってるわ」

なるほど、シリウス達も揃って全員いないのか。

「そっか」
「医務室でルーピンは見かけた? 夕方にマダム・ポンフリーのところへ行くって言ってたし、ポッター達とも一緒じゃなかったから、相当ひどいのかと思って…」
「あー…ううん、いくつかカーテンのかかったベッドがあったからそのうちのどこかにはいたのかもしれないけど、顔は見てない」
「そう…」

談話室の窓から見える月は、銀白色の神々しい光でホグワーツの広い校庭を照らしていた。
綺麗な満月を窓越しに眺めてから、私は遅れて夕食を取り、明日の予習をして、談話室でたっぷりと本を読んでからベッドに潜り込んだ。

────悪戯仕掛人の4人は、最後の最後まで誰ひとりとして帰って来なかった。



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