8月に入り、私は約束通りジェームズの家へと向かった。
漏れ鍋から、煙突避行粉を使ってポッター家へ。

今回は、後からシリウスが衝突してくるのを避けられるよう、素早く暖炉の中で灰を落とし、火格子からひとりでさっさと出た。炎の燃え盛る音とエメラルドグリーンの明かりが見えたのだろう、私がよっこらせとポッター家の居間に足をつけて立ち上がった時、ユーフェミアさんがこちらにゆったりと歩いて来るのが見えた。

「久しぶりね、イリス。元気だった?」
「はい、ユーフェミアさん。お陰様で」

ユーフェミアさんは、また一段と老け込んだように見えた。年のせいなのだろう、動きも以前ほど軽やかに見えず、今までだったら私を見た時には小走りで駆け寄ってきてくれていたのに、足が痛むのか、腰をさすりながら私の手を皺の増えた手で握ってくれた。

「あなたが来る少し前にリリーが来てくれたわ。あの子、本当に礼儀正しい子よね? それに、知らない間にうちのジェームズと付き合っていたなんて! あんなに素敵な子がお嫁さんに来てくれたら、私も本当に嬉しいんだけど────」

気の早いユーフェミアさんが頬に手を当てて恍惚とした表情を浮かべているのを見て、私は自然と微笑んでしまう。彼らが付き合い始めたのはつい最近のことだし、そんなにすぐ結婚なんて話は出ないと思うんだけど────いや、あのジェームズのことだから、ないとは言い切れないか。それにしても、リリーとユーフェミアさんが予想以上に馬が合うようで良かった。

「リリーとジェームズは部屋ですか? それともお庭?」
「ジェームズは部屋にいるわ。リリーはお庭を少し散歩したいって、少し前に外に出たばかりなの」

せっかく2人きりだというのに、一緒ではないのか。
私は少し迷った後、リリーを追うことに決め、そのままポッター家の広い庭に出て行った。

いつ見てもこのお庭はすごいと思う。手入れの行き届いた草原が、地平線の彼方まで見渡せてしまう。禁じられた森に作ったピクニック広場を一万倍くらいの大きさに拡張したようだ。

そんなだだっ広い庭の中で、たっぷりとした赤毛を見つけるのは容易いことだった。緑と赤の色はとても相性が良く、リリーの姿は太陽の光に照らされたまるで草木の女神様のようだった。

「リリー!」

遠くから声をかけると、リリーが振り返り、ぱっとその顔が輝いた。

「イリス!」

彼女は軽やかにこちらに駆けて来て、ユーフェミアさんと同じように私の手を取ってくれる。

「1ヶ月も経ってないのに、随分久しぶりな気がするわ! 変わりはない?」
「うん、元気だよ。リリーは?」
「私は────あー…────その、あなたと2人になれたら、相談したいことがあったの」

まだ会ったばかりだというのに、リリーの表情が急に暗くなってしまった。それに、「私と2人になれたら」って────どうしたんだろう、この期に及んであの4人に聞かれたくない相談事なんて、余程何か重大な悩みでも抱えているのだろうか。

「もちろん聞くよ。シリウス達はまだ来てないし、多分来てもジェームズのところに行くと思うから────話せるようなら、ここで聞こうか?」
「ありがとう、イリス。私、もうずっとひとりでこのことばっかり考えちゃって、気が変になりそうだったわ…」

いよいよ何事かと心配になる。私達はテラスの方へ行き、直射日光を遮る屋根の下でそれぞれ椅子に腰かけた。

「────それで、どうしたの?」
「あのね────」

リリーは真っ先に「相談したい」と言ってきたものの、まるで何かを迷うように口ごもっていた。あれだけ切迫した表情を見せていたのだから、何かきっと言いにくいことに違いない。私は黙って、ゆっくりとリリーの気持ちが落ち着くのを待った。

「────私、ジェームズにプロポーズされたの

…一瞬、時が止まる。

え。

ジェームズに、プ…プロ、プロポーズ…?

「え、ええと…」

あまりに突然の告白に、私はリリー以上に狼狽えてしまった。そりゃあリリーが困るのも当然だ。私はユーフェミアさんの「リリーがお嫁さんに来てくれたら」という言葉に対して気が早いと笑ったことを後悔した。ユーフェミアさんはなんていったってジェームズの母親なのだ。彼がそのくらいとんとんと事を進めて行こうとすることを、彼女はきっと当たり前のこととして予想していたんだ。

「い…いつ?」

そこから一体どう話を広げたら良いのかもわからず、私はひとまず事のあらましを聞こうとする。リリーは真っ赤になりながら「ホグワーツにいた最後の夜、私とあなた、それぞれデートに行ったでしょ? その時に────卒業したら、結婚してほしいって言われたの」と答える。

お、どろいた…。
まさかそんな前から言われていたとは。皆と一緒にいた時は2人ともいつも通りにしていたように見えたから、まさか裏でそんな大事な会話がなされていたなんて、想像もしなかった。

「リリーはその時、なんて答えたの?」
「もちろん彼と一緒にいたいとは思ってるわ。でも、まだ学生だった私にそんな大事な決断はすぐに受け入れられなくて────"実際に卒業してから、もう一度考えさせて"って言ったの」

もちろん、そんなことでめげるジェームズじゃないはずだ。リリーが完全に戸惑ってそう答えた時も、あのたまに見せる大人びた余裕の笑みで「いつまでも待つよ」とでも言ってみせたんじゃないだろうか。

「ジェームズは"待ってる"って言ってくれたわ。それで────皆と一緒にいる時は、この話を思い出さずに済むように、いつも通り接しよう、とも」

思った以上に大人になっていたジェームズの成長に、なぜか私の方が気恥ずかしさを覚えてしまった。

「だから私、誰にも何も言わないまま────いつも通りなふりをして、家に帰ったの。でも、そうしたらどうしてもジェームズのことばかり頭に浮かんでしまって────私、あなたにだけは相談したいってずっと思ってた。他の悪戯仕掛人の人には言えないけど、あなたなら笑わないで、私と一緒に悩んでくれると思ったから────」

聞いている限り、リリーに拒絶の意志がないことだけは明らかだった。
多分、思った以上にタイミングが早すぎて戸惑っているだけなのだろう。だって、リリーがジェームズを好きになったのはついこの間のことなのだ。ようやく彼の魅力に気づいて、これから愛を確かめて行こうとしていたリリーに、その申し出はかなり急なものに思えたことだろう。

でも私は、ジェームズの気持ちもなんとなくわかるような気がした。
パトリシアにも散々言い聞かせたことではあるが────私達は、これから最も過酷な争いに身を投じようとしているのだ。明日死ぬとも知れない、長期任務が入ってしまえば(想像しかできないけど、例えば死喰い人の尾行とか)連絡さえつかない、そんな心もとないと言って余りある状況の中で、"夫婦"という目に見える形の愛を求めてしまうのは────状況を深刻に捉えていれば捉えているほど、当然のものになってくるのかもしれない。

もちろん、彼が「待つ」と言ったのなら、その選択を急がせるようなことはないのだろう。
でも、リリーから聞いていたじゃないか。ジェームズはクリスマスの日、「僕は本気だよ」と、ただ一言それだけを言ったのだと。

ジェームズは、本気なんだ。本気で、リリーを愛し抜こうとしているんだ。

「ジェームズのことなら、野暮だけど私よりあなたの方がよくわかってると思うの。ねえ、イリス────私、どうしたら良いのかしら」

ジェームズ自身がリリーを急かさず、外堀を埋めるようなこともせず、ただ真っ当に彼女の返事を待っているというのなら、私がとやかく言うのはそれこそ野暮なことのような気がした。

でも、ジェームズの友人ではなく────リリーの友人としての私だったら、きっとこのくらい言うことは許されるだろう。私は戸惑っているリリーの手に、そっと自分の手を重ねた。

「それを決めることはリリーにしかできないよ。だから、リリーの気持ちがちゃんと固まるまでは、待ってもらって良いと思う。────でも、ジェームズは────きっとリリーも知ってる通り、楽しいことが大好きで、友達思いで、正義感が強いとっても素敵な人だよ。私の方があの人を知ってるなんて、そんなことない。誰から見ても、ジェームズはあの姿のままなんだ。嘘偽りがどこにもなくて…まあ、自分を誇大化する癖はまだ抜け切ってないけど、そんなところも含めて見たままの人なんだ」

だから、私の一番大切な親友が誰かと添い遂げるというのなら。
7年前に出会ったその日からずっと大好きだった、この子が誰かと結婚するというのなら。

「私の大切なリリーがそんな素敵な人と結婚するって言ったら、私はきっととっても嬉しいと思うな」

────その相手は、同じくらい私が素晴らしいと思える人であってほしいと思う。

これは、ただの私の我儘だ。私のリリーを取るって言うのなら、私が納得できる相手じゃないと嫌だなんて、本当に私はよく物を言うようになったと思う。
でもこれは逆に、私にだけ許される我儘だとも思っていた。あの仲間達の中でなら、誰より近いところでリリーを見てきた。誰より長く、リリーと一緒の時間を過ごしてきた。そんな"リリーを想う私"だからこそ、"リリーの立場"に立った上でその言葉を伝えたのだ。

ジェームズならきっと、リリーを幸せにしてくれる。
ジェームズがどうとかそういう話じゃなくて、きっと彼と一緒になったら、リリーが毎日を笑って過ごせるだろうと思ったから。たとえそれが、どれだけ辛いものだったとしても。

「────ありがとう、イリス」

リリーはおずおずとお礼を言った。私が重ねた手をぎゅっと取り、痛いほどの力で握ってくる。

「私────きっと、誰かに背中を押してほしかっただけなんだと思う。私もね、あの人のことが今では心から好きなの。でも、今まであの人に冷たく当たってきたことを思い出したら…そんな、都合良く何もかもを受け入れてしまって良いのか、わからなくなっちゃって」
「リリーは考えすぎだよ。ジェームズはリリーに嫌われてた時だって全然気にしてなかったよ。これ、ジェームズには内緒にしててほしいんだけどね…」

私はちょうどその時思い出したジェームズの言葉をリリーに伝えてあげることにした。

「何を言ってるんだ、シリウス。エバンズが僕を好きじゃないことなんか最初っから知ってるさ。でも、だからこそ、向こうの"嫌い"を埋めても余る程の"好き"を伝えるんだろ? それに僕らはまだまだ子どもじゃないか────大人になる必要なんて、どこにもないね」

4年生の時、リリーへのクリスマスプレゼントを選んでいる時。「エバンズがお前のことが嫌ってることを受け入れて、大人になれ(つまり身を引けってこと)」ってシリウスに言われたジェームズは、軽快に笑ってそんな忠告を蹴飛ばしてみせたのだ。

「ジェームズはリリーにどう思われていても、自分がリリーのことを好きなんだって気づいたその日から、リリーに愛を注ぐことだけ考えてきたんだよ」
「ジェームズがそんなことを…?」
「いやあ、あれは眩しかったなあ…。まあ、あの頃はそれでも空回ってばっかりだったけど、ジェームズはいつだってリリーのことが大好きで、リリーからの答えを受け入れる準備をしてたんだ」

私もあの時はまさかここまで2人が意気投合するなんて思ってもみなかった。もちろんうまくいってくれたら良いな、とはずっと思っていたけど、リリーの事情に寄り添っていた私はすっかりリリーと付き合う気分でいるジェームズに呆れた顔をしているばかりだったのだ。

そんなジェームズが、今更リリーが結婚の申し出を受け入れた程度で対立していた時のことを思い返したりするだろうか? 私にはとても、そうは思えなかった。ジェームズはそういうこと────相手の気持ちがどうであろうと自分の気持ちに絶対の自信を持ち続けることにかけては、特別秀でていた。短所にもなりやすいその性格は、きっと今この時だけで言うなら、それこそリリーの言う"背中を押す"ためには絶好の長所になっている。

「私はリリーの背中を喜んで押すよ。あとは納得がいくまで考えて、リリー自身で答えを出して」

────きっと、もうその答えは決まってるんだろうけど。
リリーに必要だったのはきっと、"迷いを振り切れるだけの希望"だったんだと思う。そういうことだったら、私はいくらでも彼女を応援するつもりでいた。

「本当にありがとう。ひとりで悩んでいた時より、ずっと心が軽くなったような気がする。だからってすぐに答えは出せないけど────ええ、きっと私、ちゃんと自分の納得できる返事をするわ」

リリーはそう言って、「ジェームズの部屋に行きましょう。きっともう皆着いてるわ」と立ち上がる。
結婚か。私はまだ…それこそどこかピンと来ないんだけど(リリーにはあんなことを言ったのに)、私がいつか誰かと添い遂げる選択をするとするなら、その相手はシリウスだと良いな、なんてふんわりとしたことを考えた。

ジェームズの部屋には、リリーが言った通り既に悪戯仕掛人が全員揃っていた。私達が部屋に入ると、揃って「やあ」と挨拶をしてくれる。リーマスの手元にある羊皮紙を見ながら何か話していたようだ。

「何してたの?」
「ダンブルドアからさっき返事が来たんだ。ほら、今週中に面会できないかって頼んでたろ」

リーマスが羊皮紙を見せてくれる。リリーと一緒に覗き込むと、『君達が早速会いに来てくれることを心から嬉しく思う。今週であれば木曜の午後と土曜の夜なら空いているので、君達の都合の良い日に全員連れてぜひおいで。君達さえ良ければ一緒に食事もしよう』と細い筆跡で優しい言葉が書かれているのが見えた。

「せっかくなら1日でも早い方が良いな。木曜…明後日の昼からでもホグワーツに行こう」

ジェームズの案に反対する者はいなかった。私達は明後日、1ヶ月ぶりにホグワーツに戻ることを決め、ちょうどユーフェミアさんの「ご飯よ、子供達!」という声が聞こえてきたので揃って階下へと降りて行った。

────ジェームズとリリーは、事情を知っていても気づかないほど、今までと全く同じ雰囲気で接していた。プロポーズをした者と受けた者という立場なんて、意識していないと忘れてしまいそうだった。

「父さん、母さん、僕ら、明後日にホグワーツに行くよ」

ダイニングでは、ユーフェミアさんとフリーモントさんが一緒に私達の分まで食事をよそってテーブルに置いてくれていた。ジェームズがそう言った時、ちょうど最後に全員分のスプーンとフォークを並べたところで、ユーフェミアさんの手がぴくりと一瞬だけ止まる。

それから彼女は、じっと私達6人の顔を見る。その顔は今にも泣きそうで、でも無理やり笑おうとしているのか────ひくひくと唇を震わせながら、変な表情を浮かべていた。そんな彼女の肩に、フリーモントさんが優しく手を乗せた。彼は笑っていた────ただ、それはとてもぎこちなくて、まるでジェームズが強がりを言っている時の顔とよく似ている。

「本当に入るのね、騎士団に」

それは褒めているようにも、責めているようにも聞こえた。
────自分の年齢や魔力、そして何より息子のジェームズの安全のために、不死鳥の騎士団の存在を知っていながらもそこに加わることはなかったポッター夫妻。
2人はきっと、何よりも愛し、守り育てたジェームズがこれからどこへ行こうとしているのか、それがどれだけ危険なことなのか────それを、よくわかっていることだろう。本当なら大切な息子をそんな死地へと送りたくなかったに違いない。そして優しいこの夫妻は、同じようにたった数年夏の時間を共有してきただけの私達にも、同じだけの情を注いでくれていた。

「入るよ」

ジェームズは軽やかに言った。でも決して、そこに普段の冗談を言っているような雰囲気はない。

「父さんから聞いて、外の世界がどれだけ危険かっていうことは十分理解した。母さんを見て、守られるべき善良な魔法使いがどれだけ幸せに暮らしてるかを何度も想像した。その上で、僕は────戦うって決めたんだ。みんなと」

彼の言葉に、私達が揃って頷く。これは私達が、私達で出した結論だ。
ちょっとした冒険気分なんかじゃない。英雄になろうなんて思ってるわけでもない。

私達はただ、"自分らしく"生きるために、騎士団という場所を選んだのだ。

「────話し合いなら、私達ともたくさんしたものね。その上であなたが…いいえ、あなた達が結論を変えないというのなら、母さんはもう何も言わないわ」

その代わり、というように、ユーフェミアさんはジェームズから順に全員を抱きしめた。シリウスの隣に立っていた私は、彼の後に優しい抱擁を受ける。
それは私の知らない温かさだった。シリウスを抱きしめている時の激しい愛情も、リリーとハグをしている時の感情をそのまま共有するような感覚もない。そこにあったのは、私を本当の子供同然に思い、守りたいと願ってくれている、物語の中で見た"お母さん"の温かさを想起させた。そして同時にユーフェミアさんの小さな背中に腕を回した時、この温もりを守りたいとも思った。

どんな親子の形が正しいかなんてわからない。
でも、私は────こんな"両親"に、たとえ1年に一度、たった1ヶ月弱しかなかったとしても────幼い私が求めていたはずの愛を惜しみなく注いでもらったことを、深く感謝した。

「しっかりやりなさい。助けが必要な時は、いつでも言うんだよ」

フリーモントさんはハグの代わりに、やっぱり1人ひとりと握手をしてくれた。硬くて、ごつごつしていて、皺だらけの荒れた手。彼の手はどこかジェームズの手と似ているような気がした。発明が好きで、新しいものが好きで、そして誰にも真似できない方法でたくさんの人を笑わせたいと願っている、そんなような────。

「さ、これで永遠の別れってわけじゃないんだから、しんみりした空気はもうおしまいにしないとね! 明後日は夜には帰ってくるの?」
「ううん、せっかくだからって夕飯も招待されてるんだ。木曜はホグズミードにでも宿を取って、金曜の朝に帰るよ」
「そうね。まだ夏休みは1ヶ月あるんだから、その間はゆっくり楽しんで」

そう言われ、私達も2人を元気づけるようににっこりと笑うと、一緒にテーブルについた。ユーフェミアさんの料理はやっぱりとてもおいしくて、私は自分の胃がこの時だけいつもの3倍になってしまったんじゃないかと思うほどの量をいただいた。



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